014 歯止めの効かない遊薙さん


 インターホンへと伸ばした指を、一度サッと引っ込める。

 ドキドキと弾む胸に手を当てて、私、遊薙ゆうなぎ静乃しずのは大きく深呼吸をした。


 ものすごく嬉しいけれど、それ以上に緊張して仕方がない。


桜庭さくらばくんのおうちでデートすれば良いのよ!』


 ダメ元で、勢いで言ってみたものの、まさか本当にオッケーしてもらえるなんて。

 まあ、けっこう無理やりだったけど……。


 でも、こればっかりは仕方ないと思う。

 だって、せっかく桜庭くんと友達っていうポジションになれたのに、全然二人きりになれないんだもん。


 それもこれも、全部御倉みくらさんが原因だ。


 絶対、あの子は桜庭くんのことが好き。

 間違いない。もう、100パーセント!


 そうじゃなければ、あんなにあからさまに邪魔してこないはず。

 私と桜庭くんのラブラブなランチタイムに、毎日割って入ってくるなんて。

 しかも、桜庭くんも優しいから、ひょいひょいついて行っちゃうし。


 おかげで、もう私のフラストレーションは限界だ。

 正直、良くないとわかってても妬きすぎて死んじゃいそう。


 だから今日こそは、絶対桜庭くんとイチャイチャするんだ。

 そしてあわよくば、私のことを少しでも、意識してくれたら嬉しいな。


 一番お気に入りの、丈の長い薄ピンクのニット。

 男の子からの評判も良いこの服で、桜庭くんを虜にしてみせるんだから!


 もう一度深呼吸をしてから、インターホンを強く押す。

 “ピンポーン”という音が、家の中から聞こえてきた。


 桜庭くんと会う時は、まだいつも緊張する。

 胸が少しだけ苦しくなって、鼓動も早くなる。

 だけどそれが全然いやじゃなくて、むしろ心地良くて。

 自分が、やっぱり彼のことを好きなんだと思い知る。


「やあ」


 ドアを開けて出てきたのは、すっきりとした私服姿の桜庭くんだった。

 穏やかで、ちょっと眠そうな目が私の姿を見つけてくれる。


「お、おはよう、桜庭くん!」


「おはよう。家、すぐわかった?」


「う、うん。大丈夫!」


 そもそも、もともと桜庭くんの家なんて知ってるもん、私。

 なんてことは言わないでおくことにした。


「じゃあ、どうぞ」


「は、はい! お邪魔します!」


 桜庭くんに手招きされて、私はついに桜庭家の中へ。

 でも、なんだろう。

 なにか忘れてるような気がする……。


「あっ……!」


「……なに?」


「ごめん! 親御さんに渡すお菓子、忘れてた!」


 私としたことが!

 これじゃあ桜庭くんのご両親に、気の利かない娘だって思われてしまう!


 最悪だ……。

 桜庭くんに会えるってことに浮かれてたとは言え、こんな初歩的なミスをするなんて……。


「ど、どうしよう……」


「いや、いいよそんなの」


「よくない! 今からでも買いに行く!」


「行かなくていいって」


「ダメなの!」


「平気だよ。今日、親二人ともいないから」


「……えっ?」


 ……えっ?


 桜庭くん、今なんて?


「早く上がりなよ。いつまでも玄関にいないでさ」


 そう言って、桜庭くんは入ってすぐの階段をスタスタと上がって行ってしまった。


 ……えっ⁉︎


 親御さんが、二人ともいない……?


 ってことは……ってことは……えっ⁉︎


「……」 


 どうしよう、私……そこまでの覚悟はして来てないんですけど……⁉︎



   ◆ ◆ ◆



「適当に座って」


 そう言って、桜庭くんは一つしかなかったクッションを空けて、カーペットの上にそのまま座った。

 やっぱり桜庭くんは優しい。

 適当に、なんて言って、ちゃんと座るところをそれとなく示してくれる。


 クッションの上に座らせてもらいながら、私はこっそり部屋の中を見渡してみた。


 イメージ通りだけど、よく片付いている。

 勉強机の上も、ベッドの周りも綺麗で、いつでも人を呼べそうだ。

 ただ、壁沿いの大きな本棚とテレビ台の中は、けっこうぎゅうぎゅうになっている。

 桜庭くんは本のほかに映画も好きだから、たぶんあれは映画のディスクか何かだと思う。


 って言うか……ベッド。

 あそこで毎日桜庭くんが……。


 ……座りたい。

 そしてできれば、少しだけ匂いも嗅いでおきたい……。


 ちらっと桜庭くんを見ると、桜庭くんはスマートフォンに充電器を挿して、勉強机の上に置いたところだった。


「なに?」


「えっ! な、なんでもないわよ!」


「……そう。退屈でしょ、何もないし。だから、やめとけば、って言ったのに」


「ううん! そんなことないもん! 桜庭くんと一緒にいられるだけで楽しいし!」


「ホントかな。でも遊薙さん、なんかいつもより大人しくない?」


「えっ……う、ううん。そんなことないわよ……?」


 そりゃあ、来てすぐにあんなこと言われたら緊張もするわよ!

 桜庭くんのバカ! アホ! 好き!


「ホントになんでもないってば! それより、ありがとう。おうち行きたいって、無理言ったのに……」

 

「いや……いいよ、もう。たしかに理屈には合ってるし」


 そう言って、桜庭くんは照れ臭そうに頭を掻いていた。


「それに、まあ、一応は恋人だし……。遊薙さんとゆっくり話せる機会も、あんまりなかったし」


「さ、桜庭くん……!」


 そんな風に思ってくれてたなんて……!


 やっぱり、桜庭くんは本当に優しい。

 普段はぶっきらぼうに見えても、こうしてちゃんと、こっちのことを思いやってくれる。

 私は桜庭くんのそんなところに惹かれて、自分だけのものにしたくて。


 桜庭くん……。


「でも、謝るなら諦めて欲しかったけど……ん? な、なに? その目は……」


 ……ヤバい。


 桜庭くんと、二人っきり。

 もちろん、誰にも見られてない。


 今なら、ハグくらいしても……いいよね?


「遊薙さん? ちょっと、目が怖いんだけど……」


「桜庭くん……!」


 身体を傾けて、桜庭くんにもたれかかるように、思い切って近づいた。

 桜庭くんなら、きっと許してくれる。

 そんな甘えがあるのは自覚していても、私はもう、自分を止められなかった。


 “コンコン”


「えっ?」


 ……ノック?

 そんな、親御さんはいないはずじゃ……。

 それじゃあ、どうして?


 そんなことを考える時間も、私にはなかった。


 “ガチャリ”


 無機質な音を立てて開くドアを、私は桜庭くんの方へ倒れ込みながら、ただ見ていることしかできなかった。

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