010 演技が下手です遊薙さん


 翌日、昼休み。


 僕は持参したお弁当を机に広げてから、ふぅっと息を吐いた。

 なんとなく、気分が重く感じる。


 結局昨日、僕は遊薙ゆうなぎさんの提案、というかお願いを、聞き入れてしまった。

 すなわち、自然に僕と学校で一緒にいるための、『バラす』以外の方法。


 理由は明白だった。

 僕自身が、だんだん遊薙ゆうなぎさんに厳しくできなくなってきているのである。


 なにせ、彼女は美少女だ。

 そしてそれだけじゃなく、内面も可愛らしい。

 「あなたが好きだから一緒にいたい」なんて、あんな顔で言われたら、どうしても少し甘くなってしまう。


 けれど、彼女に異性として惹かれ始めている、というわけではもちろんない。

 簡単に言えば、ほだされている。

 ただそれだけのことだった。


 だけど、それが良くないことだというのも、僕にはわかっていた。

 彼女の気持ちに応えるつもりがないのに、これ以上期待させるべきじゃない。


 そうだ。

 これからは、確固たる意志を持って彼女の要求を拒否しなければ。

 ペットボトルのお茶を口に含んで、僕はコクッと頷いた。

 

「桜庭くん」


 口の中のお茶を飲み込むと同時に、僕に声をかけてきた人がいた。

 ゆっくりとそちらに顔を向ける。


 艶のある黒いショートカットと、細まった眠そうな目。

 小柄なのに、どこか大人びた雰囲気がある女の子。


白戸しらとさんだね」


「そう。遊薙ゆうなぎ静乃しずのの友達、白戸しらと華澄かすみです」


 白戸さんは淡々とした様子でそう言うと、空いていた僕の前の席にすとんと座った。


「静乃に聞いたよ。大変だね」


「……まあ、大変かな」


 返答に困ったけれど、素直にそう言っておいた。


 クラスが同じでも、白戸さんとは話したことがなかった。

 けれど白戸さんは、遊薙さんと僕の関係を知っている、唯一の人だ。

 そのせいか、なんだか初めて話すような気がしない。


 白戸さんは小声になって続ける。


「無茶だよねぇ。嫌がってる相手に、無理やり彼女にしてもらうなんてさ」


「ああ、無茶だよ、本当に」


「うん。でもまあ、それだけ静乃も必死なんだよ、たぶん。だから、許してあげて欲しいな。あの子がこんな風に誰かを好きになるの、初めてだと思うし」


 白戸さんは表情を変えないまま、そんなことを言った。


 なんだか、不思議な空気感のある人だ。

 賑やかな遊薙さんの親友にしては、ずいぶんと落ち着いている。


「あんまりしつこかったら私が叱るから、その時は言って。桜庭くん、優しそうだし」


「いや……まあ、そうだね。わかった」


 迷ったけれど、その言葉はありがたく受け取っておくことにした。

 どうやら彼女は、完全に遊薙さんの味方というわけでもないらしい。

 というか、極めて常識人なんだろう。


「それで、昨日静乃が言ってたんだけど」


「ああ、そうだった」


 本題に入る。

 ここに白戸さんが現れたのには、ちゃんと訳があった。


 昨日遊薙さんが僕にした提案はこうだ。


 まず、彼女の親友である白戸さんが、先に僕と友達になる。

 そこに遊薙さんを混ぜて、周りには数日かけて三人で仲良くなったように見せかける。


「『これなら桜庭くんと自然に一緒にいられるでしょ! だからお願い! 手伝って、華澄!』……って言われたよ」


「それでホントに協力するなんて、白戸さんも大変だね」


「二回断ったんだけど、しつこくて」


「なんだろう、君の気持ちがよーーーくわかる気がする」


 僕が言うと、白戸さんはうっすら頬を緩めてクスッと笑った。

 なんとなく、珍しいものを見たような気になる。


「ということでまあ、ほどほどによろしくね、桜庭くん」


「ああ、こちらこそよろしく」


 軽い挨拶を交わしてから、白戸さんが僕の机にお弁当を乗せた。

 二人で一緒に、のんびり昼食を摂る。


 この光景だって充分不自然な気がするけれど、まあ白戸さんとは同じクラスだし、そこまで気にしなくてもいいだろう。


 しばらくすると、いつかのように廊下が騒がしくなった。

 同時に、「あっ! 遊薙さんだ!」という声が聞こえてくる。

 案の定、彼女がやってきたらしい。


「白戸さんなら教室にいるよー」


「ええ、ありがとう」


 そんな会話のあと、遊薙さんはすぐに姿を現した。

 またばっちり目が合って、一瞬だけ満面の笑みになる。


「か、華澄ー。な、なにしてるのー?」


 誰が聞いても棒読みなセリフとともに、遊薙さんは僕らに近づいてきた。

 クラスの中の視線がこちらへ集まる。


 なるべく平常心でいよう。

 僕はそう心がけて、玉子焼きを口に入れた。


「何って、お弁当」


「あ、そ、そっかー! そうよねー!」


 白戸さんは呆れ顔を隠そうともしていなかった。

 遊薙さんはどうやら、かなりの大根役者らしい。


「あ、あれー? 一緒にいるのは確か、桜庭くんじゃない? 華澄、友達なのー?」


「……まあね。仲良くなったのは最近だけど」


 二人はわざと周りに会話を聞かせているらしかった。

 なるほど、それでみんなに怪しまれないようにするってことか。


 その後も二人の他愛ないやりとりは続いた。

 今日のところはリアリティ重視で、僕はあまり会話に参加しないでおいた。


 それにしても、手の込んだやり方だなぁ、これ。


碧人あおとくん」


 ちょうどお弁当が無くなった頃、また声をかけられた。

 遊薙さんでも、白戸さんでもない。

 けれど僕には、その声に聞き覚えがあった。


御倉みくらさん、どうしたの?」


 クラスメイトで学級委員の、御倉みくら柚莉ゆずりさん。

 女の子の中では、比較的よく話す仲だ。


「少し、手伝って欲しくてね。今いいかな?」


「ああ、構わないよ」


 彼女から頼み事とは、珍しい。

 僕はささっとお弁当箱を片付けて、彼女の後に続いた。


 ふと自分の席を振り返ると、いつかと同じように、遊薙さんがもの凄く怖い顔をしてこちら、いや、御倉さんの背中を睨んでいた。

 その隣の白戸さんに手を振られながら、僕はため息の出る思いで教室を出た。

 

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