第二章

009 用心深い桜庭くん


「桜庭くん」


「……なに」


 週明けの月曜日。

 僕はその日の放課後も、遊薙ゆうなぎさんに呼び出されていた。

 教室にやって来るなり、彼女は実に真剣な表情で僕をまっすぐ見つめた。


「お願いがあります」


「……だから、なに」


 遊薙ゆうなぎさんからのお願い。

 たぶん、ろくな事じゃないんだろうな。


 そんなことを思いながら、僕は彼女の次の言葉を待った。


「……やっぱり、みんなにバラしちゃだめ?」


「だめ」


 ほらね。


「お願いぃぃいい! バラしたいの!」


「やだよ。そういう約束だろ?」


「で、でもぉ……」


「そう、わかった。じゃあもう、僕と君の関係はここまでってことで」


「わぁぁあ! 待って! それはだめ! それだけは!」


「……」


 思わずため息が出た。

 こうなるに決まってるのに、どうしてそう諦めが悪いかな……。


「桜庭くぅん……」


「……一応聞くけど、なんで? 別に、バラしたって良いことは無いと思うけど」


 僕に言わせれば、目立つ、詮索される、妬まれる、悪いことばっかりだ。

 彼女にとっては全部慣れたものなのかもしれないけれど、かと言ってメリットにもならないだろう。


「……あるもん」


「例えば?」


「……もっと一緒にいられる」


 俯き気味にそう言った遊薙さんは、頬をほんのり赤く染めて、恥ずかしそうにしていた。

 その顔をあまり見てしまわないように、僕は彼女からサッと視線をそらした。


 やっぱり遊薙さんは、ものすごく可愛い。

 たとえ彼女に恋愛感情がなくたって、どうしても甘いことを言いそうになってしまう。

 けれど、そうなるわけにはいかなかった。


「ホントに好きなんだもん……。もっと話したいし、一緒にいたいの。でもみんなに隠してたらそれもできないし……」


「あー、まあ、でも、それは我慢してもらわないと……」


「むぅーーー。我慢してるけどぉ……」


 椅子に座った遊薙さんは、悩ましそうにフリフリと頭を振っていた。


 たしかに彼女の立場になってみれば、そう思うのは仕方のないこと、なのかもしれない。

 今の僕たちは、こうして放課後に少しだけ話すか、メッセージアプリでやりとりをするくらいしか、コミュニケーションを取っていないわけではあるし。


「……わかった! じゃあ友達は? 友達になったことにする!」


「……どういうこと?」


「だからね、私と桜庭くんが友達になったってことにすれば、学校で一緒にいても平気でしょ? それに、これならバラすことにもならないし」


「……なるほど」


「ね! 良い考えじゃない? そうしましょう!」


「……いや、やっぱりだめ。いやだ」


「なんで⁉︎」


 明るかった遊薙さんの顔が、途端に悲しそうな泣き顔になる。


 彼女なりに工夫して考えてくれてるのはわかるけれど、これじゃあまだ問題がある。


「接点が無い。僕と君とじゃ学内でのポジションも違うし、クラスも別だ。突然友達になるのは不自然だよ」


「大丈夫だもん! 私誰とでも仲良いし、いろんな人と友達だから!」


「だとしても、どうせ君、しょっちゅう僕のところに来るだろ? 急に仲良くなった、接点も無さそうな男子と何度も話してたら、きっと怪しまれる」


「平気よ! みんなそんなに人のこと気にしてないと思う!」


「普通はね。でも、君は普通じゃない」


 僕がそこまで言うと、遊薙さんはまた目を潤ませて、口を真一文字に結んで黙った。

 彼女には悪いけれど、今回は僕の言い分が正しいはずだ。

 確固たる意思を持って拒否しなければ。


「……」


「……なに?」


「お願い! じゃあ会いに行くのは一日一回だけにするから! 友達ってことにしてくれるだけでいいから! そ、それならいいでしょ?」


 まだ粘るのか……。

 遊薙さんは普段からそうだけれど、今日は特にしつこいな……。


「でもそれじゃあ、元々の君の目的が果たせないだろ」


「うっ……ま、まあ、そうかもだけど」


「ならますます、メリットがないじゃないか」


「で、でも……そのぉ……」


 遊薙さんはいきなり歯切れを悪くして、まごまごと何かを呟いていた。


 ……なんか怪しいな。


「君、なにか隠してる?」


「うぇっ⁉︎ な、なんのこと!」


「言ってることがちぐはぐだよね。もしかしてなにか他に、僕と友達ってことにしたい理由があるんじゃないの」


「うぐっ……」


 わかりやすく身体をのけぞらせる遊薙さん。

 やっぱり、なにか企んでたか……。


「言って」


「な、なんでもないわよ……」


「だめ。言って」


「う、うぅ……」


 遊薙さんの目をじっと見て、少しだけ強めの口調で言ってみる。

 遊薙さんは顔を赤くして、口元をかすかに歪めた。


 彼女の弱点は、きっと僕だ。

 悪いとは思いながらも、今はその立場を利用させてもらうことにする。


「……だ、だって」


「だって?」


「……だって! 周りに私の存在をアピールしとかないと、また桜庭くん狙いの女の子が寄ってきちゃうんだもん!」


「……」


 遊薙さんは顔を覆った手の隙間から、ちらりと僕の方を見た。

 思わず、頭を掻いてしまう。


 なんだか、すごく彼女に悪いことをしてしまっている気がした。


「それが本当の理由、ってことか……」


「も、もっと一緒にいたいっていうのもホントだもん! でも……こっちが一番、かも……」


「……そう」


「だってぇ! また成瀬さんの時みたいになったら……私」


 机にガバッと顔を伏せ、消え入るような声で遊薙さんは言った。

 僕は彼女の頭に伸ばしそうになった手を、もう片方の手で咄嗟に押さえた。


 あぶない……。

 僕としたことが、不覚だ。


「はぁ……言っちゃった……」


「……心配しなくても、そんなことにはならないよ」


「なるの!」


「そうかな……」


 顔を上げた遊薙さんは、非常に恨めしそうな目で僕を睨んだ。

 もっと反論したいところだけれど、なんとなく今はやめておくことにする。


「お願い桜庭くん! いいでしょ? ね?」


「……うーん」


 祈るように両手を合わせて目を瞑る遊薙さん。


 やっぱり遊薙さんは美少女だ。

 けれどそれ以上に、彼女はすごく可愛らしかった。

 好きな人を他人に渡したくない一心で、あれこれ悩んでうろたえるその姿に、結局僕はグッときてしまっていたのである。


「……あっ! それじゃあ、こういうのはどう!」


 得意げに人差し指を立てて、遊薙さんはつらつらと話し出した。


 きっと、許してしまうんだろうな。


 彼女の話を聞きながら、僕はそんなことを思ってしまっていた。

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