回想
【回想】000-1 遊薙静乃は恋をする
それは去年の終わり、高校一年生の冬休みに入ったばかりの頃だった。
独特な世界観と少しグロテスクな描写が特徴の、アニメ映画が公開された。
私は普段、そんなに映画を見る方ではないのだけれど、ネットで偶然目にした予告映像に一目惚れして、どうしてもその作品を劇場で見たくなった。
一人でチケットを予約して、ちょっと豪華にポップコーンを買って。
絶対に一人で見たかったから、サングラスとマスクと、それからフードでなるべく顔を隠して、私は開場時間を待っていた。
自分で言うのはおこがましいかもしれないけれど、私はかなり外見が整っている。
そのせいで、一人でこういうところに来ると、大抵の場合は知らない人や、もちろん知ってる人にも声を掛けられてしまう。
知らない人を振り払うのも、知ってる人をかわすのも、もちろんできなくはない。
そういうことには慣れている。
けれど私だって、出来るならそんなこと、一切気にせずに出かけたかった。
少なくとも、ずっと楽しみにしていた映画を見る時くらい、周りの目から逃れていたかった。
そして結局、私は誰にも声を掛けられることなく、無事開場時間を迎えた。
中に入ってしまえば、本当にもう大丈夫だろう。
座っていた椅子から立ち上がり、ゲートへ向かう。
けれど、フードとサングラスで視界が悪くなっていた私は、すぐに三人組の男の人にぶつかって、ポップコーンをひっくり返してしまった。
その時は、欲張って大きいサイズを買ったことを後悔した。
べつに、食べられなくなったことはどうでもいい。
でも片付けていたら、映画が始まってしまう。
それに周りの人たちからの、哀れむような、おもしろがるような奇異の視線が怖かった。
放っておけばスタッフの人が片付けてくれたのかもしれない。
だけど、それで気分よく映画を見ていられる自信は、私にはなかった。
軽いパニックになって立ちすくんでいたら、声を掛けられた。
「大丈夫ですか?」
線の細くて柔和な顔をしたその人を、私は見たことがあった。
同じ学校、同じ学年の、名前は……思い出せない。
彼は私の手元のチケットをちらっと見たようだった。
そして何かに気づいたようにすぐにかがみ込んで、散らばったポップコーンを両手で紙のカップに戻し始めた。
「あ、あの! 大丈夫です! 平気です!」
私がそんなことを言う間にも、彼は手が汚れるのも、周りの目も気にせず、もうゴミになってしまったポップコーンを素早い動きで拾い集めた。
私はなにも出来ず、ただ立っていた。
彼はカップをゴミ箱に捨てると、そのまま売店に向かって何かを注文した。
呆気に取られていた私に、彼は同じサイズの新しいポップコーンを手渡してきた。
「これで、もうこのことは忘れましょう。映画、楽しみですね」
「え……あ、あの!」
「気にしないでください。映画を見る度に溜まるポイントで買いましたから。使い道なくて、困ってたんですよね。僕、映画中はなにも食べないので」
「で、でも!」
「始まっちゃいますよ」
彼はそれだけ言って、さっさと劇場の方に入って行ってしまった。
追いかけることもできず、私は少し遅れて劇場に入って映画を見た。
今までで、一番気持ちよく映画が見られた気がした。
ただ、映画の内容はあんまり頭に入ってこなかったんだけど。
映画が終わった後、彼の姿を探したけれど、どこにも見当たらなかった。
冬休みが終わって、登校して、私はすぐに彼を探した。
そして、見つけた。
その日から、私の恋は始まった。
◆ ◆ ◆
「……と、いうことよ」
得意げに胸を張る遊薙さんは、夕陽に照らされてまるで絵画のように綺麗だった。
長くて艶のある黒髪と、大きくてそれでいて愛嬌のある目、スッと通った鼻筋、薄い唇。
そんな、美人の条件を全て満たしたような、可愛すぎる遊薙さん。
さらには放課後の教室、というシチュエーションが、彼女の美しさを余計に引き立てているようにも思えた。
その時に見たアニメ映画はたしかにおもしろかったけれど、正直、彼女が話した出来事を、僕はあまり覚えていなかった。
それに、もし今の話が本当だとしても、それが彼女が言うほどに大したことだとは思えない。
「……だけど遊薙さんなら、その程度の親切を受けることなんて、よくあるんじゃない。それだけでそれまで接点のなかった僕を好きになるのは、言い方は悪いけれど、チョロ過ぎるんじゃないかな」
嫌われてもいいと思って、僕はそんなことを言ってみた。
「そうね。でもあの時、私は顔を隠していたのよ」
「え……」
「桜庭くんの言う通り、私がこの顔で困っていたら、きっと誰かが助けてくれたでしょうね。それこそ、ぶつかった人たちが一緒に片付けてくれたかもしれない。みんな、私の顔が好きだから」
そう言った彼女の表情は、言葉とは裏腹にひどく悲しげだった。
けれど彼女の言いたいことは、僕にもわかった気がした。
「でもあの日、サングラスとマスク、フードまでした私を真っ先に助けくれたのは、桜庭くんだった。だけどその後も、あなたはすぐに映画に意識を向けてしまって、まるで私に興味なし」
遊薙さんはすでに悲しい顔をしていなかった。
今度はどちらかと言うと嬉しそうな、照れたような表情で。
「だから……だから私はあなたを、好きになっちゃったのよ。あなたなら、私のことをちゃんと見てくれるって、そう思っちゃったの……!」
「……っ!」
聞かなければよかった、と思った。
僕は不覚にも彼女の話と、恥ずかしそうなその仕草と表情に、ドキッとしてしまっていた。
「だからお願い桜庭くん! 私と付き合って‼︎」
遊薙さんはまっすぐ僕の方を向いて、祈るように両手を組んだ。
困ったことになった。
もうすでに、遊薙さんは僕の「ごめん、付き合えない」を三回、「そこをなんとか!」で切り返してきている。
しかもこんな話まで聞かされれば、普通に断っても彼女が引き下がるとは思えない。
うっすら涙を滲ませて夕陽を反射する遊薙さんの瞳。
その視線を受けながら、僕は思わず腕を組んでしまった。
いったいどうすれば、彼女は僕を諦めてくれるのだろうか。
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