003 密かに人気な桜庭くん


「なあ、碧人あおとよ」


 文庫本からチラッと目線を上げると、友達の瀬尾せお和真かずまが頬杖を突いて、こちらを見ていた。


「なに」


「俺はお前ほどもったいないやつを知らないよ」


「またそれか」


 聞き飽きたそのセリフに、僕は思わず肩をすくめた。


「またそれか、じゃねぇって! ホント、もったいないと思わないのか?」


和真かずま、ここ図書室」


 人差し指を口に当てて、シーっというジェスチャーを送る。

 自分が本を読むのを邪魔されたくないのはもちろん、周りの人の邪魔もして欲しくなかった。

 それから、この話ももう、したくない。


 けれど和真は僕の願いもむなしく、ひそひそ声で続けた。


「モテるのに彼女を作らない。俺はお前が憎らしい」


 一瞬、ギクリとしてしまう。

 けれど、ここでうろたえるわけにはいかなかった。


「モテてないだろ」


「モテてるって!」


「静かに」


 すぐ熱くなる。

 基本的にいいやつである和真の、いくつかの欠点の一つだった。


「モテるっていうのは、遊薙ゆうなぎさんみたいな人のことだろ。僕はただの地味な凡人だよ」


「そりゃあ遊薙さんと比べれば、お前なんてかわいいもんだけどさ」


 言いながら、和真の表情が緩んでいく。

 和真もこの学校に無数に存在する、遊薙ファンの一人だ。


「でも碧人あおとだって、普通のやつと比べればモテるだろ。なのにお前はそれを自覚もせず、挙句彼女なんていらないって言う。悪魔かお前は!」


「彼女が欲しくないのは僕の自由で、僕がモテるっていうのは和真の妄言だ。わかったらこの話は、これで終わり」


「わからんね! 今日こそ言わせてもらうけどな」


「静かに。迷惑」


 短く言うと、とうとう和真は向かいから僕の隣の席に移動した。

 どうやら本当に、やめるつもりはないらしい。


 この手の話題は、和真と友達になって少しした頃から、何度となく繰り広げられてきたものだった。

 どうしても僕がモテると信じ込みたい和真と、ただ事実だけを返す僕。

 実に不毛な口論だ。


 ただ現在に限って言えば、僕には一応彼女がいることになっている。

 もちろん、和真はそれを知る由もないのだけれど。


 なんだか嘘をついているみたいで、僕は少しだけ居心地の悪さを感じていた。


「だいたい、碧人あおとは地味だからこそ凶悪なんだよ。遊薙ゆうなぎさんみたいに競争率が高そうに見えないから、みんないけるって思っちゃうんだ。かわいそうだろ」


「そう思っちゃうのは僕のせいじゃない。もし仮に僕がモテたとしても、恨まれる筋合いも、改める必要もない」


「いーや、改めろ。彼女を作れ。そうすれば全部丸く収まるんだ。俺もそれなら文句ない」


「僕が文句あるだろ、それじゃあ」


「いいだろ彼女っ。絶対楽しいって。食わず嫌いせず、誰かと付き合ってみろよ」


 付き合ってみたんだよ、押し切られて。

 でも、やっぱりダメなんだ。

 僕にはこういうこと自体が、そもそも向いてない。


 それに、恋愛なんて……。


 ……いや、いい。

 それは、今考えなくてもいいことだ。


「自分の時間が大切だって、ずっと言ってる。小説を読むのも映画を見るのも、どれだけ時間があったって足りないんだから。それに僕と付き合ったって、きっとつまらないよ」


「……まあ、それはそうかもしれないけど」


 おい。


「ならせめて、誰彼構わず女の子に優しくするのをやめろ」


「優しくなんてしてない。人が困ってて、自分が助けられるなら助ける。当然のことだ。相手が男だって、それは変わらないだろ」


 僕の言葉に、和真は目を丸くしていた。

 驚いているのか引いているのか、微妙にわからない表情だ。

 まあ、どっちでもいいけれど。


「……俺がお前の友達をやめられないのは、結局そういうところのせいなんだよなぁ」


「しみじみ言うなよ、気持ち悪いな」


「わかったよ、もういい。今日は帰る。でも、いつか絶対改心させるからな」


 なんだよ、改心って。

 僕は悪人か?


 和真は短くこちらに手を振って、さっさと図書室を出て行った。

 マイペースなやつだ。


 それから一時間ほど本を読んで、僕も帰ることにした。

 読んでいた本を借りるため、図書委員の女の子がいるカウンターへ向かう。


成瀬なるせさん、貸し出しお願いします」


「あ、桜庭さくらばくん。ちょっと待ってね」


 同じ学年の成瀬なるせさんが、テキパキと貸し出し処理をやってくれる。


 成瀬さんとは本の好みがよく合って、少しだけ話す仲だ。

 貸し出しを頼む機会が多いせいか、いつのまにか親しくなっていた。

 図書室以外でも、会えばいつも声をかけてくれるところを見るに、心の優しい人なんだと思う。


「ありがとう。それじゃあ」


「桜庭くんっ」


 図書室を出てすぐに、成瀬さんが追いかけるように廊下に出てきた。


「どうしたの? 僕、なにか忘れてた?」


「う、ううん、そうじゃないんだけど……」


 成瀬さんは顔を少しだけ伏せて、何か言いたげだった。

 見当もつかないので、黙って次の言葉を待つことにする。


「こ、今度、一緒に本屋さんとか……行ってみない?」


「えっ」


「あ! え、えっとね! 桜庭くんとは好きな本も似てるから……楽しいと思うの! も、もしよかったら、だけど……」


「……うん、いいね。僕も行きたい」


「ほ、ホント! じ、じゃあ、また連絡するね!」


「うん。待ってるよ」


 僕が言うと、成瀬さんは何度も大きく頷いてから、図書室に戻っていった。

 僕も向きを変えて、昇降口へ向かう。


 成瀬さんと本屋か。

 図書委員は忙しそうだから、うまく予定が合うといいけれど。

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