002 彼には弱い遊薙さん


「あ、桜庭さくらばくんっ」


 放課後、誰もいなくなった教室で待っていると、僕の呼び出しに応じた遊薙ゆうなぎさんがやってきた。


 夕陽に照らされた遊薙さんは、この世のものとは思えないほどに綺麗だった。

 そんな彼女が僕を見て嬉しそうに顔を綻ばせるのは、さすがに破壊力が高すぎるというものだ。


 けれど、今はそんなことは関係ない。

 ちゃんと、はっきりさせておかなければならないことがある。


「どうしたの? 話ってまさか……」


「もちろん、そのまさかだよ」


 なんだ、本当は反省してたのか。

 彼女も意外と、物分かりがいいのかもしれない。


「それじゃあ、ちゃんと付き合ってくれる気になったのね!」


「……いや、違う」


 やっぱり、遊薙さんは遊薙さんだったか……。


「なぁんだ、残念」


 遊薙さんは口を尖らせながらそう言うと、僕が寄り掛かっていた机の隣の席にすとんと腰掛けた。


「きみ、僕との約束、本当に守る気あるのか?」


「…………あるわよ」


「疑わしい。なんだよ、今の不自然な間は」


「……だって」


 遊薙さんはぷいっとそっぽを向いて黙った。


 拗ねる彼女は、当然ながらあまりにも可愛い。

 けれど例によって、そんなことは関係ない。

 絆されもしない。


「わかってると思うけど、約束が守れないなら、僕はすぐにでも君と別れるから」


「ええっ!?」


 グイッとこちらに向き直り、遊薙さんは涙目になった。


「いやよ! 絶対いや!! せっかく付き合えたのに!!」


「付き合ったのは、君があまりにも諦めが悪かったからだ。何度も断ったのに」


 今と同じような、放課後の教室。

 突然の遊薙さんからの告白を、僕は断った。


 それなのに彼女は、「やだ!」とか「お願い!」とか「そこをなんとか!」なんて言って、一向に退こうとしなかった。

 結局最後は僕が折れて、いくつかの条件を飲んでもらった上で、付き合うことにしたのだ。


 もちろんただ流されたわけではなく、僕には僕なりの考えがある。

 まあ、今はそれは割愛するけれど。


「束縛しない。僕が君を好きになることを期待しない。あと一つは?」


「……バラさない」


「そう。わかってるなら、ああいうのはやめて」


「……ごめんなさい」


 遊薙さんは消え入りそうな声でそう言って、身体を縮こまらせた。

 どうやら、別れる、という僕の言葉が思ったよりも効いたらしい。


 僕にだって、罪悪感はある。

 彼女の弱みにつけ込んでるみたいで、申し訳ない気持ちにもなる。


 だけど、だからこそ僕は彼女の告白を断ったんだ。

 そのうえで、彼女がこの条件でも良いと言ったから、付き合うことになってしまったに過ぎない。


「もうしない! 次は手を振ったりしないから、ね?」


「まだ付き合って二日なのに、もうこんな調子じゃないか。信用できないよ」


「だって……! 嬉しくって……つい」


 俯いて顔を赤くする遊薙さんは、やっぱりもの凄く素敵だった。


 もっと普通の相手を好きになればよかったのに。


 それがお互いにとっても良いはずだ。

 彼女の魅力を持ってすれば、ほとんどの男の子はイチコロだろう。


 こんな大した取り柄もない、遊薙さんと釣り合うわけもない、恋愛に興味もない男なんて、選ぶから。


「やっぱり、僕はやめといた方がいいと思う。君には、僕なんかよりももっと」


「やだ! 私は桜庭さくらばくんが好きなの! 他の人じゃダメなの!」


「……それじゃあ、ちゃんと約束は守って欲しい。でないと僕は、君を嫌いになる。僕だって、それはいやだ」


 僕は遊薙さんに、恋愛感情はない。

 いや、彼女だけじゃなく、誰にもない。


 けれど僕は、遊薙さんのことはとても素敵だと思ってる。

 友達としてなら、きっと仲良くなれる。


「ええっ!? やだ! 嫌いにならないで! ホントにこれからはちゃんとするから! お願い桜庭くん!」


「……わかったよ。わかったから、落ち着いて」


 でも遊薙さんは、友達じゃいやだと言った。

 僕と恋人になりたいと言った。


 彼女が譲らない以上、僕たちはこうして対立しなければならない。


 僕が彼女を好きになるか、彼女が僕を諦めるか。

 要するに、これはそういう勝負なんだ。


「まあ、呼び出したのは悪かったよ、ごめん」


「ううん。会いたかったから、嬉しい」


 目尻に残った涙を光らせながら、遊薙さんが笑った。

 涙も笑顔も、どちらも遊薙さんには抜群に似合っていた。


「じゃあ、僕は帰るから」


「え、一緒に帰りたい!」


「ダメに決まってるだろ」


「え~……」


「え~、じゃない。それじゃあね」


 言って、遊薙さんよりも先に教室を出る。

 けれどドアをくぐったたところで、遊薙さんは僕を呼び止めた。


「桜庭くんっ」


「なに?」


「帰ったら、連絡してもいい……?」


「……いいけど、本読んでると思うよ」


「うん、わかった! じゃあ連絡する!」


 嬉しそうな遊薙さんの声、顔。

 それが焼き付いてしまわないように、僕はさっさと彼女から視線をはずした。


 なるべく早く、諦めてはくれないだろうか。

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