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 それから数日後。ミナと名乗る彼女は私の屋敷に初めてやってきた。最初に出会った晩に彼女をかどわかし、その血を啜り尽くさなかったのは、ほんの気まぐれからだった。単に血の餌食にするべき処女の娘としてではなく、一人の人間としての彼女に興味が沸いたのだ。


 それで、もう少し会話を交わしてみようと。そう思った。そして数夜、同じパブに通った。同じ席に座る彼女と言葉を交わした。ほんの、気まぐれのつもりだった。


「素敵なお屋敷ね、ドラクル」


 彼女は屈託なく、私の事をそう呼ぶようになっていた。ドラクル(ドラキュラ)というのは、ルーマニアの言葉では「仔竜」というニュアンスになる。私の外見上の年齢に即して言うならば、完全にからかっていると言うべき態度だった。だが、私はそれが嫌ではなかった。


「でも、使用人はどこ? これだけのお屋敷なら、最低でも何人かは必要でしょう」

「みんな裏にいる。執事は使っていないし、あまり私のいるところには出てこないように言い含めているからな」


 テーブルの上には既に晩餐の用意がすっかり整っていた。人間の血液を主食とする私にとってはほんのおつ程度に過ぎないが、ミナは人間だし、屋敷に誘うには口実が必要だったからだ。


「素敵な夕食でしたわ、ドラクル」

「満足してくれたなら何よりだ、ミナ」

「これからどうしますの」

「これから、とは」

「ドラクル、あなたがもしも吸血鬼なら――」


 彼女は本気で言っているわけではないのはもう分かっていた。ほんの戯れだ。


「わたしはきっと今夜、いいえ今これから、あなたに血を吸われてしまうのね」


 彼女の思っていることとは違って、私は本当に血に飢えていた。だが、もう少し、もう少し人間のままの彼女と言葉を交わしていたいという欲求が、勝ってもいた。ぎりぎりまで堪えに堪えた方が、その瞬間の歓喜はきっと高ぶるだろう。そのような思いもあった。


「まさか、そんなことにはならないよ」

「でも、ドラクル。、あなたのものになりたいの」

「ミナ――」

「でも、遊びじゃ嫌よ。お妾さんにしてくださいな。きっと、お妾さんにしてくださいな」


 この娘の素性について、私は何も調べていなかった。こんなことを自分から言い出すくらいだから訳ありだったのであろうことは推測ができるが、それもすべて今は時の彼方だ。


 彼女は私の寝室に入って、服をはだけて裸身を晒した。その体は震えていた。


「ミナ。私にはそんなつもりはないよ」

「あたし、魅力がないかしら?」

「そうじゃない。ただ、私は君を大切にしたいんだ。君がここで暮らしたいというなら、それは構わない。妾としての手当ても出そう」

「嬉しいわ。でも、だったら――」

「もう少し。もう少し、お互いのことを知ってからにしよう」


 吸血鬼にも、吸血衝動のほかに性欲というものが全くないわけではない。それはもちろん、昂じていた。だが、私はそれをあえて抑えた。本当に心から、ミナの血と肉と魂とを堪能する日を待つために。


「変わっているのね。それとも奥手なのかしら、ドラクル」

「例えばだな。ミナ、君の年齢は?」

二十歳はたち

「嘘だろう?」

「ええ。本当は十五歳なの。来月、十六歳になるけれど」

「なら、十六歳の誕生日を待とう。その日、君を私のものにする。それでいいか?」

「あなたがそう望むなら、仰せのままに、ご主人様」


 彼女は裸身のまま、紅い唇でわらった。


 ……今にして思えば、このとき彼女を襲っておくべきだった。その後、幾度いくたびこの夜の事を後悔したか知れない。だがこのときの私は、確かにそんな甘い事を考えていたのだ。



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