僕らの立ち位置――漆

 僕は三体に増えた水龍から、未だにうろたえる魔物たちを守る防壁を張りながら成り行きを見守る。


 母狼魔が彼に何を言ったのか分からないけれど、父狼魔が頷いた。すぐに決意のこもった、水をも弾く力強い遠吠えが響き渡る。

 僕は彼らの頭の中に『敵は人ツムリだ』と、言葉を流す。

「敵は海にあり!」

 僕の声を受け入れた父狼魔がそう叫んで、親子は敵に向かって行く。


 気が付くと、人間たちの方もノウミやミズハさんが先導し始めている。

 今ので半分ほどが続いたけれど、魔物たちを動かすためにはもう一押しほしい。それができるのは僕じゃないと気付いていた。

 だからシラユキを探したけれど、見つける前に怒鳴り声が響く。


「いつまでグズグズしてんのよ! 自分を見失ってウジウジしてるんじゃないわよ! 私たちは魔物なんだから仕方がないでしょ! その牙も爪も角も、大きな体も自分なのよ。弱くて可愛いくて守られてるのが良くても私たちは強いのよ! だったら諦めて、気高くありなさい!」


 その声に、魔物たちが走り出したくてうずうずしているのを見た。

「吠えろ!」

 そう吠えたのは僕だ。

 僕も走り出す。



 正しさを問えば動けなくなる。間違いを探していけば僕たちの存在そのものが間違いに思えてしまう。そんな時はただ生きる事だけを考えてみたらいい。

 力強く走り出せるから。

 間違いや人付き合いを恐れて動けないでいると、そのうち世界とも上手く付き合えなくなってしまって、虫にでもなりたくなってしまう。

 そんな時は本気でただ生きたらいい。



 全ての魔物たちが走り出す。

 人間たちは上級魔法師、魔槍士、魔剣士などに分かれ、何となくだけれど陣形を整え始めている。

 僕は、今度こそ間違うまいと戦場の砂のひと粒が舞うのさえ感じられるほどに意識を研ぎ澄ます。

 これから僕がどれだけ生きても、指示を間違えて失われた命を忘れない。


 僕は防御魔法を解いた。

 すると隣に魔物の気配を感じ左を向く。そこには白い狼魔が座っていた。


「お久しぶりね、灯屋さん」

 ケンのお祖母さんだ。それが今は、座っていても見上げるほど大きな狼魔の姿をしている。僕はお祖母さんに、家に転送できると提案した。

 するとお祖母さんはくすくすっと笑う。


「私、どうしようもなく狼で、魔物であるようなんです。不器用で火なんか熾せないし、食べ物や人を匂いで判断してしまうの。歩くにも杖が必要だわ。だから安心したの。納得というのかしらね。今とってもウキウキしているのよ。分かるかしら?」


 話の間にも人ツムリたちが魔法を使いはじめ、あちこちで爆発が起こる。

「えぇ。けれど今はゆっくり話をしている暇はありません」

 視界の端で、王の顔が焦りに歪む。

「そうね。分かっているわ。だから乗って下さいな」

「僕が、あなたに乗るんですか?」

 言われた言葉に、先ほどのミズハさんの姿を思い出す。


「そうよ。私があなたの足になるわ。私は一万年前なんて知らないもの。魔物がいつまでも人間の敵でいなければならない事はないでしょ? さぁ、早く」

 お婆さんは伏せの姿勢をしてもう一度、乗れと急かす。

「ここは戦場ですよ?」

 僕がそう聞くと、お祖母さんは答える。

「私は狼魔よ」

 僕はその背に跨った。


 お祖母さんが地を蹴る感覚が伝わる。風が顔を剥ぐ勢いでぶつかって来る。

 目を開けると僕は人々の間を飛んでいた。お祖母さんは真っ直ぐに王へ向かっている。体に伝わる感覚からお祖母さんが生き生きとしている事が分かった。

 僕が魔法で空中に足場を作ると、お祖母さんは迷わずそこへ飛び乗る。

 魔物も人間も僕たちを見ている。

 世界を塗り替えた感触がした。


 王は真っ直ぐ突っ込んでいく僕たちに氷の魔法を使った。無数の氷矢が襲い掛かるけれど、僕の魔法を信じているお祖母さんの足は止まらない。

 けれど僕たちは王の槍に弾かれた。

 お祖母さんの背中から引き剥がされ、飛ばされる。受け身は取れないけれど魔法でストンと降りた。

 自分の事を『どうしようもなく狼魔だ』と言ったお婆さんも無傷で、すぐに再戦と言わんばかりに僕を咥えに来た。そこへノウミたちが集まって来る。


「ちょっと待って下さい。なにか策を練らないと」

 僕が言うと、ノウミが続ける。

「魔力が集まるのが間に合わない。それもどうにかしなければ」

 虫を人間に戻すのには大量の魔力が必要だ。それを一万人以上もとなると、この辺りの魔力はほとんど使い切ってしまう。

 ノウミの周りに魔力が集まるのにも多少の時間がかかるし、今は大勢で戦っている。戦場だ。

 魔力の少なさに海豚たちも海へ帰ってしまった。


 ヤマトが言う。

「ちょっと鯨を呼んでくる」

「鯨だぁ? 呼んでどうすんだよ」

 水浸しのミズハさんが、うんざりと言った顔でヤマトに詰め寄る。

「鯨を呼んだら魔力を生んでもらうしかないでしょう」


 僕は頷いてから聞く。

「いいと思うけど、そんな簡単に生めるものかな?」

「鯨だって溜まってるだろ。一万年だぞ」

 血を流しながら笑うヤマトを、気を付けて言って見送る。そしてヤマトは人ツムリたちの目を盗んで、静かに海へ消えていった。


「鯨が来たら、魔力が生まれるのを確認して王の横っ面に塩の槍を突き立てる。大きな槍がいい。僕がそこから中に入るよ」

 僕が言うと、ミズハさんが首を傾げる。

「塩は効いてなかったんじゃなかったか?」

「あれは慣れただけですよ。でなければ未だに川や湖に多く繁殖しているのは変ですからね。だとすると、大量の塩は効くはずです。弱点はまだ克服しきれていないんです」

「それなら私があなたを連れて走るわ」

 お祖母さんが言う。

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