僕らの立ち位置――伍

「しっかり狼だね」

 僕がケンに言うと、足元に走り寄って来て言うのだった。「これが僕だから」と。


「僕は他の場所も回ってもう少し魔物を集めます。これから事の起こる海岸へ送りますので、先に行っていて下さい。尾人たちは魔法で意識のない状態になっていますので、すぐに問題が起こる事はありません。何かあればノウミに聞いて下さい。真っ直ぐな目をした男ですからすぐに分かるでしょう。他になにか不安はありますか?」

「いいえ」


 来た時よりも魔物たちの熱気がすごい。かつてなら話ができず、僕はなにかを言う間もなく食い殺されていただろう。

 今こうして話ができ、手を結ぶ事ができるのは尾人だった時間があってこそなのだ。そして僕たちが虫であったからだ。

 納得できた訳ではないが「だから良かった」と言える結果が見え始めている。

 僕は過去を肯定するために未来を勝ち取りに行く。

 肩から下げた硝子の中でカツンと音がした。これから起こる事に気付いて慌てているのだろうと知れた。

 魔力を練って魔物たちを転送すると、空っぽの地下に僕だけが立っている。それなのに一人な気がしない。

 そして僕は関係を結んでおいた魔物たちを集めに飛ぶ。



 何箇所かまわった後、僕自身も頭から海へ転送移動する。

 潮の香と共に聞こえる波音とたくさんの息遣い。それに混ざる獣たちの匂い。魔物だ。

 魔力はしっかりとノウミに向かって渦を巻いて集まっていて、空気がねっとりと重たく瓶の底の淀みのようだ。ここは世界の底の淀みなのだろう。


 足に湿った風が吹きつけて目を開けると、僕は崖の淵に立っていた。あと一歩でも前へ足を差し出せば落ちてしまう。

 振り向くとそこに並ぶ、光の檻に入れられた虫たち。集めた虫は千や二千ではない。

 その後ろには空虚な顔で居並ぶ尾人たちがいる。しっかり魔法がかかっているようで、自分たちの後ろで魔物たちが騒いでいても空を見ている。

 その数は海岸線に低く続く崖を埋め尽くすほど。おそらく三万はいるだろうと思えた。

 さらに後ろには困惑顔の魔物たち。彼らをまとめ、説明をして回っているのはあの病院の檻にいた魔物たちだ。


 僕の隣にノウミが立っている。

「ミズハさんたちは?」

 聞くと、ノウミは少し疲れた顔でうな垂れた。

「シラユキは魔物たちに話をしてくれている。ミミズくんは尾人たちの中央で意識消失の魔法をかけているし、ヤマトさんは最後の尾人たちを集めに行っている」

 そうノウミは答える。


「で、ミズハさんは?」

 ノウミがすぅっと指で示した先、そこで大熊の魔物の頭に乗ったミズハさんがはしゃいでいる。こんなにアタフタする魔物なんて初めて見た。

 ノウミがため息交じりに言う。

「すまない。止められなかった」

「いいんだよ。ミズハさんの事は諦めよう」


 海豚の群れが低空を泳ぐ。キュゥという鳴き声に誰かの歓喜の声が交ざっている気がして探すと、すぐに彼を見つける事ができた。

 海豚好きのヤマトだ。海豚の群れの中を魔法で飛び、背に跨っては声を上げる。

 いつの間にか帰って来ていたらしいヤマトは、海豚の群れの中を魔法で共に飛び泳げる事に至上の喜びを見出しているようだ。

 僕の視線に気づいたノウミがそれを見上げ「あぁ」と声を漏らす。


「ヤマトの事も諦めてあげようね」

「海豚が好きなのだから、仕方がないな」

 何と言ったらいいのか分からないけれど、いつもなら疲れてしまう彼らのこんな勝手に笑いが漏れる。

 僕は照れくさいのかもしれないし、心強いのかもしれない。


 ポン、と唐突にミズハさんが僕とノウミの間に現れた。

「あぁ、楽しかった。あいつ良い奴だぞ」

 言いながら誰の返事も待たずに崖から飛び降りる。それをポカンと口を開けて見送るノウミが言った。

「あの人は何がしたいんだ……」

「遊びたいんだよ」


 笑った僕の言葉に悲鳴が重なった。

 それはミズハさんの声で、悲鳴だけが先に帰ってきたのだ。すぐにポンと現れるミズハさん。

「どうしたんですか?」

 僕が聞くと口をパクパクさせて海を指さすけれど、言葉にならないので何が言いたいのか分からない。

 そしてミズハさんは僕の腰を指さした。肩から下げた女王様を。


「海に人ツムリなんかいるわけありませんよ。人ツムリは塩が苦手なんですから」

「いたんだよ!」

「困りましたねぇ。それじゃあ後で退治しましょうか」


 急速に進化していき、文明を築こうとしている人ツムリに焦りを感じる。

 海に適応してしまった奴らだけでも完全に退治しなければいけないと思った。けれどミズハさんは違うと訴える。


「そんなんじゃねぇんだよ! 違うんだよ! とんでもねぇぞ!」

 騒ぎにヤマトが降りて来た。ミズハさんは硝子玉の中の女王様に詰め寄る。

「お前、旦那を呼んだな⁉」

 囚われの女王様がニヤリと微笑んだ。逃げられないはずの彼女が安心しきっている。


 殻の中に魔力がない事は昨日の夜に確認したばかりだ。

 人ツムリは空気中の魔力を使う事ができないので、虫を食べるという形で体内に、殻に取り込まなければいけない。殻に魔力が無ければ少しの魔法も使えないはずだった。


「人ツムリには遠くの仲間とやり取りができるような、特殊な能力でもあるのでしょうか? それとも……」

 悩む僕にミズハさんが声を荒げる。

「だからそれ所じゃねぇって言ってんだろう! 来るぞ!」


 それでも、勢いよく立ち上がり魔力を練るミズハさんの横で僕は緩々と立ち上がる。

 たいした風も吹いていないのに、岸壁に大波が寄せる。

 海から巨大な何かが頭をもたげた。それは蛇魔のようだけれど髭があり、彫刻や書物でよく見る龍の姿をしている。

 それが間違いだと気が付いたのは、龍の頭が僕たちの目の前にまでやって来た時だ。

 多くの連なり。紫の光の衣を纏うその龍は、人ツムリたちが集まって見せる姿だった。


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