時の化石 後編
壁のシミの一つまで在り在りと覚えている。鱗に埃の入り込んだ、龍の彫刻の長椅子。その向かいの、やたら豪奢な椅子にふんぞり返るビス国の国王に深々と礼をする。
どこかで誰かに言われた。頭を下げたくない相手には尻を引けと。そうすれば勝手にそのような姿に見える。この国王はそうしたい相手だ。
「この度はご了承いただき有難う御座います。ただいま我らの討伐隊が谷に到着いたしました。すぐに討伐が始まることと思います」
「うむ。お前は保険だからな」
馬鹿にするような声でそう言われた。だからと言って何もできない。黙って尻を引くだけだ。国王は僕に長椅子を勧めた。
「失礼いたします」
座るとすぐに話かけられる。
「討伐隊は三十名だったか? はて? もっと大国だと思っておったがな」
これがニタッとした笑みで言わなければ嫌味とは気が付かないのだけれど、この人は気付かせたいのだから底なしに嫌味な顔で言う。
「我が国は王の商才と神の水にて急激に発展した国ですので、去年までは小国で御座いました。国土に兵力が追いついておらず、お恥ずかしい限りです」
「商人上がりの国王が、たまたま見つけた水が薬になろうとはな。確かに、その水に神と名を付ければ売れるであろうな。しかし頭の良い国王様を持つと苦労するだろう?」
いつもは一時間もこれに付き合えばいいのだけれど、今日はこれが作戦の終わるまで数時間は続く。
僕は胸がドロリとなるのに耐えながら微笑んだ。
兵たちは戦っているのだからと、口には出さない言葉で自分を追い込んで怒りに水をうつ。
「日々の努力の励みになっております」
答えながら魔力の流れに注意を払う。伝令が飛んで来るかも知れないし、救援要請がくるかもしれない。
「始まっておるだろうな」
国王は言った。やたらと外を気にしているのは、こんな奴でも自国が可愛いからなのだろうか。
「そのように思います」
すると厭らしい笑みで聞いてきた。
「ところで、国内にも兵は残して来てのであろうな?」
「はい。ご心配、痛み入ります」
「どれほど残して来た?」
「およそ二十で御座います」
僕は少し警戒して、十五と言わなかった。すると国王は満足そうに頷く。
今さら我らの事を気にした振りをしても仕方がない事が分からないのだろうか? この国王は初めからずっとこの調子だし、もちろんそれは我が国王様にも報告していると言うのに。
ビス国王は質問を重ねる。
「国王様と魔技を競いたいのだが、どうだったかな? できるか?」
魔法はできるのかと、そこまで言わずとも何が言いたいかは分かる。つまり商人上がりに魔法ができるものかと言っているのだ。
「もちろんで御座います」
「それは良かった」
にたりと笑う。その顔がいつも以上に不気味に思えた。
急に湯飲みの水が波打った。水柱が上がるような印象で、急激に魔力の流れが乱れる。
僕がバッと立ち上がると目の前に伝令兵が落ちて来た。その右足が無くなっており、顔が紫色になっている。
「何があったの⁉」
「大蜥蜴が……ひ、火を吹いて、数名を残して……食われました!」
彼はそれだけ言うのが精一杯だった。腕の中で事切れた彼を国に転送する。僕は谷に移動する直前、微笑むビス国王を確かに見た。
谷に着いた時、昨夜の二人がツルリと飲み下されるところだった。二体の大蜥蜴は二人の悲鳴すら飲み込む。
そして、馬鹿なと思っていたが本当に火を吹いたのだ。
「息のある者は即刻、帰還せよ!」
そう叫び続けた。谷が火の海だと言うのに僕は頭が氷で焼け付くようだった。
谷には魔力がほとんど残されていなくて、それは激しい戦いがあったにしても異様なほど空っぽだ。
少ない魔力で大蜥蜴の頭上に転移すると、魔物の首に炎陣が掘られているのを見た。
魔法だ。魔法陣だ。人間の使う魔法だ。
ビス国王の不気味な笑みが頭に浮かぶ。
気配を探ると数人は腹の中で生きている気配があった。腹の中の全員を一斉に国へ転送するには魔力が足りなくて、僕は自分の体を維持する魔力をそれに回す。
国王の御前に着いた時、僕が身を削って転送した仲間たちは泥のようになっていた。あるいは熔けゆく鋼。
「……! これはどういう事だ! 何があった! ……!」
国王は何度も僕の名前を呼ぶけれど、どうやら僕は頭に回す魔力を削ったようで返事が出来ない。
そのまま近くに漂う魔力をありったけ身に纏ってビスへ飛ぶ。
国王の鼻先に着いた僕はそのまま炎を放つ。炎は僕ごと国王を焼くけれど、無意識に自分を庇うから僕は死ねないでいる。
ビス国王が悲鳴をあげながら焼け爛れてしまっても僕は無事だ。
死ねるまで焼こうと思った。
炎を纏って国中を歩いた気がする。全てが僕を取り巻く炎の向こうの出来事だからよく分からない。
無関係な人もたくさん焼いたかも知れなかった。
頭に魔力の足りなくなった僕はそんな事さえ考えられずに歩いた。
炎の向こうで誰かが絶望している。炎の向こうで誰かが弓を構える。
谷の大蜥蜴を焼き殺しても僕は生きている。
どうしても死ねない僕は虫になった。
僕が殺したんだ。仲間たちを殺したのは僕だ。
そうだった……。忘れてはいけないのだった。僕が殺したのだから……。
トントンと肩を叩かれた。体が重くて反応を返さずにいると、今度は激しく揺すられる。
「アメノ! 大丈夫か?」
ノウミの声だ。
「なにが?」と返した声が酷く掠れている。
「熱があるのか」
そう言って慌てるノウミに僕は言う。
「違うよ。焼いたんだ」
「なにを?」
「国王だよ」
心配そうなノウミの顔が炎の向こうにあるように揺れている。
「まだ炎は僕を殺せないみたいだね」
「いいから寝ていろ。水を汲んでくる」
「この火は消さないでよね。僕が皆を殺したんだから。厄介なのは人間だって言ったのは僕なのにね。不安を聞いてやらなかった、僕が殺したんだよ。間違えた僕が殺したんだ」
「私はまだ生きているぞ」
そう言ってノウミは僕から離れていく。
それがいいよ。離れていなきゃね。
僕がお前を焼き殺してしまわないように。
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