三匹目

魔物の石薬――壱

「ねぇ、ノウミ。お前も虫の話を聞いてやってよ。虫籠のあいつらのさ」

 僕は小上がりの畳に寝転がって訴える。

 ここは店の二階、住居部分だ。もともと十六代目までは一人で暮らしていたから、二階に仕切りはない。僕が趣味で置いている腰屏風が一つあるきり。


 ノウミが枕と掛布団を僕にくれながら答える。

「しかし、私は優しく聞いてやるとか諭すのには向かんぞ。この前だって玉虫を怒らせてしまったじゃないか。余計に仕事を増やしてしまう気がするのだが」

「大丈夫だよ。聞くだけでいいんだから。頼むよ。もう睡眠時間が限界なんだ」

「それは分かるが……」


 ノウミの気の毒そうな視線を受け止めつつ、同情心を煽るように掛布団にくるまって見せる。

 あの玉虫やら、今まで集めた虫たちの話を聞くのは簡単じゃない。なにせ一万と千年も溜め込んで話したくて仕方がないのだ。

 いつもは店を閉めた後や朝なんかに、限界が近い虫から順に話を聞いてやるのだ。

 それが十日前に蚕が限界を超えてしまって自分の籠を壊してから、感染するみたいに他の虫の限界もきてしまった。

 僕は店をノウミに任せて話を聞き続けている。

 他にも、疲れ切っている僕は生活の全てを任せてしまっているのだけれど、それでも間に合わない。

 今だって、今朝まで話を聞いてやっと解放されたところだ。朝食もとらず布団も敷かずに寝転がったばかり。


 今は畳の硬さでさえ気にならない。柔らかな掛布団に意識を奪われる。

「分かった。出来る限りの事はしよう」

「ありがとう……」

 急速に眠りに落ちるのを感じる。このあわいに揺れる感覚が何とも言えず好きだ。そのまま落ちていけたらそれだけで幸せになれる。


 コンコン。コンコン。


 細やかな幸せを奪う音が確かに聞こえてしまった。強くドアを叩く音だ。

「寝ていろ。私が出る」

「もう起きてしまったから、一緒に行くよ。先に行って開けてあげて」

 ノウミを行かせてから、僕はゆっくり立ち上がる。

 髪はボサボサでもいいし、服がよれていてもいい。口の端には涎の跡が付いていたっていいけれど、尻には必ず尾がなければいけない。僕のは長くて美しい鶏の尾だ。それも間違えてはいけない。

 愛おしい布団に一時の別れを告げ、階段を降りる。


「そうですか。気にしなくて大丈夫です。お探しの灯りは必ずありますよ」

 そんな事を言うノウミの声が聞こえた。なんだ、しっかり出来てるんじゃないかと少し安心して僕は重いカーテンを開けて出る。

「いらっしゃいませ」

 そこにいたのは、先月うちで木の灯りを買ってくれた狼のお婆さんだった。


「あぁ、アメノさん。朝早くからごめんなさいね」

「お気になさらず。どうされましたか?」

 尋ねるとお婆さんは尻尾をシュンと床に向けて垂らす。それからゆっくりと話し出した。


「私、ひ孫がいるんですけれどね、とても活発で可愛い男の子なんですよ。まだ晩秋ですけれど、雪が降ったら一緒に遊ぼうなんて約束をしていたんです。でも、どうやら叶わないみたいなんです。もちろん諦めてはいませんけれど、お医者様がね……雪の降るまで持たないと仰って……」


 僕とノウミは口を挟まずに頷く。

「様々な薬草を試して下さっているんですけれど、全く効かないんです。ほら、薬って気休めでしょ? 病はいつも治らないんですよね。この歳ですからよく知っているつもりですよ。もう十四日も熱が下がらないんですものね」

 お婆さんはふぅっと息を吐いて祈るように言う。


「ですから、せめてあの子の好きな海の灯りを病室に置いてあげたいと思うのです。魚や鯨の。そんな灯り、ありますかしら?」

「えぇ、御座いますよ。当店は灯屋ですからね」

 しかし、と僕は言う。

「中に入れる飾り物が別の場所にありまして、よろしければ今日中に病室までお届けしますよ」

「あぁ、良かった! あるんですね? どうか、よろしくお願いいたします……」


 何度も深々と頭を下げて、お婆さんは帰って行った。おそらくひ孫の病室に向かうのだろう。

 僕は通路で硝子の金魚鉢を探す。それと深い青色の灯り石。

「アメノ、辛いなら私が行くぞ」

 背中に優しい声が降る。僕はくすぐったくて「水晶を探して」とぶっきらぼうに言った。

 ノウミはそれを気にした素振りもなく、心配そうなのがよく伝わる。


「ミズハさんから石薬を買ってから行くから、病院には僕が行くよ」

「そうか」

 カーテンの奥の通路には二階に続く階段がある。階段下には物が溢れかえっている。

 山となったガラクタを宝物に変えるのが魔法なんだと、この仕事をしている時は胸を張って言えるんだ。

「あったぞ」


 僕たちは丸っこい金魚鉢一つ、深い青色の大きな灯り石を一つ、小さなたくさんの水晶を狭い通路の床に並べる。

 僕たちの魔法が金魚鉢を多面体のお洒落な形に変える。小さな水晶は半透明な魚や鯨に、深い青色の灯り石は海底の岩山になる。それを出口も入り口もない硝子の中に入れていき、最後に隙間なく水を入れたら完成だ。


「なぁ、アメノ」

 出来上がった商品を包んでいると、ノウミが呼ぶ。

「なに?」

「何でも自分でやる必要はない」

 言葉は少なくて、ちょっと棘っぽくて、それでも言いたい事は伝わる。これなら大丈夫だと確信して僕はノウミを見る。


「ありがとう。じゃあ頼みたいんだけど、今日は店を閉めておいてくれ。お前には虫籠の奴らの話を聞いてもらいたい」

「そ、それは……」

「大丈夫だよ。少なくとも僕はお前の言葉に救われているんだからね」

「そうなのか? それなら、分かった。やってみよう」

「うん。頼んだよ。お前はお前のままでやればいいんだ」

 僕は行李に商品を入れて背負うと、今夜こそは眠れそうだと安心して店を出る。

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