海豚の着物――弐

 その洞窟に暗闇はない。薄ぼんやりと輝く様々な色の灯り石たち。騒がしい光の中に騒がしい声が響いている。子供たちのはしゃぐ声だ。

「奥へ行こう」

 促して二人で歩き出す。所どころ抉れた岩壁、削りっぱなしの石机と椅子。その上にすり鉢がある。薬草や骨、鉱石などが無造作に転がっている。

「誰かが住んでいるのか?」

「魔物だよ」

「魔物⁉」


 思わず構えるノウミだが、その背にも腰にも得物はない。あるのは虫籠だけだ。透かしを食った彼は恥ずかしそうに咳払いをする。そして誤魔化すように難しい顔を作った。

「魔物の棲み処に来るなんてどうゆうつもりなんだ? 討伐するならせめて準備を整えてからにしなければならんだろう」

「もっともだね。でも討伐はしないよ。彼らは住んでいるだけだからね」

「しかし!」

 彼が大きな声を出したので、奥から気付いた魔物が出てきた。

「どちら様かな」


 兎魔だ。

「どうも。灯屋です」

「あぁ、この前の!」

 兎魔は昔のように人間を襲う素振りは見せずに会話をする。

「お困り事はないかと様子を窺いにまいりましたが、大丈夫なようですね」

「えぇ、お陰様で。慣れませんが……まぁ、問題はありませんよ」

「それは良かった。他の魔物たちも問題ありませんか?」

「はい。色々と教えてもらっています」

「そうですか。ではまた」

「えぇ、また」


 僕はそのままノウミの肩に手を置いて、次の目的地の妖山へ転送移動する。

 妖山に着くなりノウミが声を上げた。

「どうゆう事だ! 魔法を、いや……魔物なんだからいいのか? それにしても魔物はいないんじゃなかったのか? 尾人と虫と人ツムリだけだって言っただろう」

「普通は、とも言ったでしょ? 普通じゃないからああやって尾人から隠れて洞窟で暮らしてるんだよ。魔物は見つかったら殺されちゃうからね」

 兎魔の頭に流した情報の中に、あの洞窟の事を混ぜた。だから彼らはそこを頼って行ったのだ。


 口から涎を垂らす花が咲く木の前に僕たちは立っている。

 他にも奇妙な声を漏らす花や目玉のぎょろつく枯れ木がある。この山はそんな植物ばかりで、終いには妖山と呼ばれるようになった。これも虫の天災と、水の豊富な山ゆえの姿だ。そして昔には見られない光景。

「何故いないはずの魔物がいる?」

「…… ……」

 僕がノウミに事のあらましを伝えると、彼はそこの枯れ木のように目を見開いた。


「そんな事が……」

「魔物たちもね、微妙な立ち位置なんだよ。事実を受け止められずに悩んでいるんだ。当然だよね。だから人間と魔物は、今は敵とは言い切れないんだ」

 ノウミはそういう事かと、一応は納得したようだった。

 僕たちは出来るだけ多くの虫を集めようと腰を低くして草叢をまさぐっては、目を皿のようにして幹を探す。

 ふと手を止め、ノウミが聞く。


「アメノにも、人の生を捨てたくなったほどの過去があるのだろう?」

「あるね」

「聞かせてはくれないか?」

「酒の肴にもならない話だよ。僕はただの虐殺師。それだけ」

 カラッと話したつもりで、喉の奥がドロドロと苦しくなる。

「魔物たちもそうだが、何故こんなにも命はままならんのだろうな」

「他の命との付き合いがあるからだよ。敵とも敵としての付き合いがあるじゃない? ある意味では敵同士は心の支えかもしれない、とかね」

「ちゃんと敵でいてくれたならな」

 ノウミの返事に喉の奥がざわついて、手の中のコオロギがリンリンと鳴く。



「ちょっと町に行こうか?」

 この辺りの虫をひと通り灯屋に送ったところで、僕たちは昼食を求めて町へ向かう。

 その時に当たり前のように魔法で、灯屋のある桐花の都へ。都の手前にかかる橋の下に転送移動した。

 しかし間が悪かった。クルンと丸まった犬の尾を生やす若者が釣りをしていたのだ。僕たちはそのすぐ隣にパッと現れた事になる。

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