夢の袖――弐

「凄いじゃないですか! 色の数だけ山をまわったって事ですよね?」

 僕の反応に満足したミズハさんが嬉しそうに頷く。

「当たり前だろう。俺は孤高の珍品屋だぞ。それより他にもあるんだ。見ろ、これ。人間の骨の化石だよ。珍しいだろう?」

「本当ですね。ちゃんと亡くなった方もいたんですね」

「まぁ虫になった奴がほとんどだろうけどな。しかし……」

 ミズハさんは水槽に冷たい目を向ける。

「こいつらは知らねぇなぁ。いつ現れたんだろうなぁ」


 人ツムリは近づくミズハさんにピュッと水を掛けた。

「けっ! だから女は嫌いなんだ!」

 苛立つミズハさんに手拭いを差し出しながら僕は言う。

「僕たち人間の記憶なんて少しの当てにもならないじゃないですか」

 ミズハさんと僕は人間だ。他にも数十人はいる。みんな僕が魔法を解いて戻した人間だ。

「でもよぉ」

「言いたい事は分かりますよ」


 初めは偶然だった。一匹の虫が唐突に人間に戻ったのだ。それは、いつも虫たちが意図せず起こす魔法の天災の一つだった。

 その初めの人間は変わり果てた世界に驚いたが、虫を集めるために灯りをともした。

 その灯りが売れた。

 買いに来たのは人のように見えたが、その人の尻には尾が生えていたので違うと分かった。


 だったら何か?


 尾を生やした彼らは尾人という種族らしく、彼の知らない種族だった。

 それから必死に世界の状況を探り、ひたすらに虫を集めた。

 けれど人には戻さなかった。戻りたくないかもしれないからだ。

 彼は灯屋をしながら寿命を迎えてしまう。

 その最期の時に一匹のバッタを人に戻した。

 バッタも同じように生き、そして最期には一匹を人に戻す。

 それが僕で十七代目。十六代も思考してしまった。人間の悪い癖だ。


 僕はミズハさんに言う。

「それでも僕たちは、虫になりたいとまで思い詰めたたった一つの記憶しか持っていないんです。他の記憶は夢幻のようにしか思い出せないでしょう。一万年もあれば世界が反転しても可笑しくない。その間に人ツムリは生まれたんです。虫を食らってその殻に魔力を溜め込む恐ろしい生き物として。おそらく人の代わりに」

「人の代わり?」

 阿保らしいとミズハさんは笑い飛ばした。


「人ツムリのその服、自分で作ったんですよ。僕は針も糸も、布さえ渡していないのに」

「客が持ってきたんじゃねぇのか?」

 僕が店と奥を仕切る赤黒いカーテンの裾を指さすとその表情が変わった。

 人ツムリの着る服と同じ色のカーテンの裾が、四角く切り取られたように無くなっているのだ。

「これ、この女王様がやったってのか?」

 僕たちで水槽に閉じ込めた人ツムリの女王様を指さしながら、ミズハさんが目を見開く。

「それしか考えられません。それに見て下さい。岩から皿や湯飲みまで作っているんです。人ツムリは僕たちが思う以上に文明を持っているのかもしれませんよ。それこそ水面下で」

 しかしミズハさんは感心したように声を漏らす。


「感心している場合じゃないですよ。虫たちは人間の魂その物。それを食われたらお終い。消えてしまうんですよ。早いところ虫たちを捕獲して箱庭に連れ帰らないと」

「その話なんだがなぁ、鉱山の地面のあちこちから角が生えて使い物にならねぇって困ってるらしい。十中八九、虫が天災を起こしてるぞ」


 このミズハさんはせっかちで、僕が話に食いつく頃には鞄を背負って出かける準備をしている。

 辛うじて場所を聞き出すと、魔法で入って来た時と違って扉に手をかける。その尻に尾が見えない。

「ミズハさん。可愛いリスの尻尾が消えていますよ」

「お? そうか」

 ミズハさんがニカッと笑うと、シュワシュワと尾が現れる。

「気を付けて下さいよ。僕たちが人間だってバレると面倒なんですからね」

「分かってるよ」

 チリンチリンと出て行くのを見送り、僕も鶏の尾が生えている事を確認して紅葉山の鉱山へ向かう準備を整える。


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