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 両親は早くから仕事に出ています。幸いと言うべきか、長期休み期間中であるわたしを、わざわざ起こしにやってくる甲斐性も必要性もありません。家の中はがらんどうで、——それだけで冒険でした。

 マタタビがわたしを認識してくれていたのは、はっきりと幸いと言えましょう。また、いたずらっ子な彼のおかげでドアは難なく開いてくれますから、優秀なパートナーと言えます。大きな身体にしがみついて、全く言うことを聞いてくれないマタタビを操縦するのは、文字通り骨が折れる作業でした。

 

 人間サイズのころはさらさらとして気持ちいいと感じられたマタタビの背中の毛は、今のわたしには草むらのようです。足をかすめてくすぐったくて仕方がありません。そうです。そう言えば、わたしはすっぽんぽんなのでした。

 リビングテーブルに置きっぱなしになっていたハンドタオルを目指して、小学生のころによくやっていた上り棒を思い出しながら、ズイズイと脚を上っていきます。手のひらサイズのわたしには、それはちょうどよくマントのようでした。


 さて。

 そんなことはともかくとして、わたしはこれからのことを考えなければなりません。小さくなってしまったことを嘆いて——はいませんでしたが、嘆いたり悔やんだりしても仕方がありませんから、わたしはこの体躯でどうやって今後を生きていかなければならないか、そもそも生きていけるのか、真剣に悩まなければならないのです。

 

 一人娘のわたしは、大層可愛がられて育ってきましたが、小さい頃はよく身体を壊してしまっていたため、「遊ぶ」という行為とは縁遠い生活を送っておりました。ですから、たいていの場合両親はわたしに読み物を与えて、それで見聞を広げ知識を深めさせておりました。ということは、ゲームの類はもちろん、この家には「お人形」と言ったものも存在せず、すなわち、今のわたしにお似合いであろうドールハウスというものがないのです。


 すべてのものが身の丈に合わないのですから、この家では生活ができません。

 ですから今のわたしは、身の丈に合った生活を送るために、このドールハウスを探さなければならないのです。しかも、ドールハウスと言っても、小さすぎるものはいけません。ちょうど、リカちゃん人形のおうちのような、15㎝がぴったりと収まるものを、です。


 わたしは小さくなった脳みそをフル回転させて考えます。マタタビが遊ぼうと手を振ってくるのをまさしく必死の思いで避けながら。

 

 ドールハウスを持っているということは、九割九分女の子です。

 しかし女の子と言うのは、恐ろしいものです。それも、ちょうどそれらで遊んでいるような女の子たちは、きっと好奇心旺盛で、獣のごとく、怪物染みています。いや、成長すると、もっと、なのですが。わたしは残念で可哀想なことに、女の子として生まれてしまったがゆえに女の子の本性を知っているのです。

 ということは、まさしくその年代の女の子! とズバリと当てを決めてしまうのはよろしくありません。かといって、大人すぎるとドールハウスなど持っていませんし。


 ——そうですね、ちょうど小学生中学年くらいの妹を持った、なおかつ、わたしの知り合いの男の子であると、素晴らしいのですが。


 知らない男性ですと、わたしの存在それ自体を疑うか、あるいはよからぬ趣味趣向によって本当の意味で「ドール」にされてしまうかの未来が見えますから、知り合いと言うのは非常に大きな重要性を持っています。知り合いであれば無下にはしないし、知り合いであればむやみに触ったりしない——とも言い切れませんが、少なからず負い目くらいは感じてくれるはず。


 しかしいかんせん、わたしは男の子の知り合いが多くありません。

 本当にないような頭を絞って考え、思いついたのが、——なんということでしょう。

 加々見くんではありませんか。


 加々見くんはきっとわたしをいやらしい目的では使いません。

 だって彼には、早瀬さんと言う素晴らしい彼女がいますし、——いやらしい目的に使うくらいであれば、いっそ大きいときにしていたと——してくれてほしかったと思うところでもありますから、それは現実的にも、わたしの精神衛生的にも、起こってはいけない事態なのです。


「仕方ない、仕方ないのであります」

 わたしはマタタビを見上げながら、重くてずり下がるハンドタオルを何とか巻き巻き、肩をすくめてため息など漏らしながら、ニヒルな声音で言いました。


 加々見くんの家は、ここからほど近いところにあります。と言っても、それは152㎝の歩幅で、ですが。

 そうです。わたしと彼はいわゆる幼馴染というやつで、だからこそ恋愛関係に発展しなかったのだと、よく自分を慰める言い訳に使っておりました。神様はいじわるですから、そう言う関係性の人間を結ばないようにしているのです。


 マタタビにまたがり窓に近づき、クライマーよろしくえっほえっほと上っていき、何とか鍵を開けると、彼を解き放ち加々見くんの家を目指します。

 首輪を必死につかみながら、ハンドタオルに身を隠しますが、——どうしてわたしはこんなときに限ってキキララの柄を選んでしまったのでしょう——周囲の視線は避けられません。


 長期休みですから、加々見くんが家にいない可能性は十分にありました。それこそ、早瀬さんとお出かけしていておかしくありません。ですが、一縷の望みをかけて加々見くんの家にたどり着いたとき、——ちょうど彼はどこかから帰宅したところでした。

 お寝坊さんだったこともあり、もう、すっかりと夕暮れです。


「あれ、マタタビ? かわいいな、お前キキララ好きなの?」

 すっと大きな影に覆われるのがわかります。彼の声がいつもよりずっとうるさく感じられます。鼓動の音は——いつも通りですね。


「脱走しちゃだめだぞ。未来、怒ると怖いだろ?」

 言いながら彼はマタタビの頭を撫でているようでした。ようでした——などと他人事のように言いましたが、ゆっさゆっさと揺れるので、撫でているのははっきりわかります。

 そして、徐々にハンドタオルが落ちていくのも。


 わたしを発見した加々見くんは、「にゃっ」と叫んでしりもちをつきました。わたしは裸の正面を見られてはなるまいとマタタビの首元にしがみつきながら、「やあ」と声を出しましたが、全く聞こえている様子はありません。

「え、ええー……」


 周囲を見回したあと、加々見くんはそう呟いて、マタタビごと、大切なものを扱うようにして抱き上げると、そそくさと部屋の中へわたしを連れて行きました。

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