【眼】
今まで、前書きとしてこのコラムに対する反響への答えを書き連ねていたが、それは今回で最後にしようと思う。
もはや、読者から寄せられる意見や感想などは、反応しても意味がないからである。大半が批判的なものであるし、それらについて釈明しようなどとは、もう考えていない。
それに、このコラムは、もう筆者の一存で中断できないほどに、存在が大きく膨れ上がってしまった。もちろん筆者としても、完遂したいのは山々だが、今となってはその自信がないのである。果たして精神が持ちこたえられるのだろうか、最近はそればかりが頭をよぎる。
弱音を吐くのも見苦しいので、これで前書きは終了しようと思う。今後は文頭から、サイコパスの紹介に入る運びとなる。つまり、一文字でも多くサイコパスの所業を掲載できるということである。
読者諸君にとっては、筆者のうわ言よりもそちらの方が何倍も大事であろう。次回からの掲載を、楽しみにして頂きたい。
無論、次回があれば、の話ではあるが。
6人目のサイコパスは、
彼女は聖グランサム病院監禁殺人事件の容疑者である。名前はともかく、この事件名称には覚えがある者が多いだろう。
事件概要は、当時28歳だった有田ひばりが、勤務していた聖グランサム病院の地下一階、解剖室にて患者を監禁し、拷問の末に4人を殺害したものである。
その文面だけでは、恐らく有田ひばりの異常性が掴みにくいだろう。4人という犠牲者の数に、肩透かしを食らう者もいるかもしれない。
だが、その犠牲者4人が辿った顛末を知れば、この事件が単なる殺人事件の枠に収まらないものであるということが、理解できるだろう。
まずは、有田ひばりの人間性を紐解いていくとしよう。
当時、聖グランサム病院に勤務していた有田ひばりの同僚たちは、彼女の印象をこう語っている(本人たちの希望により匿名)。
「ほら、病院って、女だらけの職場でしょう?だから、人間関係に苦労する人は多いし、それが原因で揉めたりすることも珍しくはないんです。業務も大変ですし、憂さ晴らしにいじめや仕事の押し付けをする人もいます」
「有田さんは、そんなギスギスした人間関係とは一切無縁の人でしたよ。っていうのも、ええと・・、ほら、たまにいるでしょう。空気を読めない人というか、周りを気にしない人って」
「有田さんは、まさにそんな感じの人でした」
「あの人はね、自分が全て!みたいな感じなの。みんなからナルシスト女って呼ばれてたし」
「トラブルメーカーって言ったら、あの人の事よ。なんで私の思い通りにならないのっ!って、しょっちゅうキーキー喚くの。みんなそれに辟易してて・・・」
「自己肯定感が高いだけならまだいいんですけど、それを他人にも強要する人って言ったらいいのかな。私は凄い。だからみんなも私のことを見て褒めなさい。私を認めなさい。そんなことを平気な顔で言う、そんな人でした」
この言い分だけを見るのならば、有田ひばりは少々我の強い人間という印象で片付けられるだろう。
その一方で、このような証言をした者もいた。これは、かつて聖グランサム病院に短期間通院していた患者の証言である(本人の希望により匿名)。
「わたしの病気は軽度のものでしたが、二週間ほど入院することになったんです。その時の担当が彼女でした。第一印象で、気の強そうな人だなあと思ったことを覚えています。でも、丁寧に身の回りの世話をしてくれたり、嫌な顔せずに食事やトイレを介助してくれたりして、とても感謝していたのですが」
「退院間近になって、急に耳元でこう囁かれました」
「お前なんか、たいした病気でもないのに入院するなんて、ふざけてるな」
このような病名をご存じだろうか。”ミュンヒハウゼン症候群”。
虚偽性障害に分類される精神疾患の一種である。具体的な症例としては周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自傷行為をする、といった行動が見られる。
この病気を患った者は、架空の病気を創作したり、重い病気に罹患したふりをして重症であると誇張し、通院や入院を繰り返す。その虚偽の病気が治ったり(実際は治ったふり)、虚偽を見破られたりすると、また新たな病気にかかったふりをして、周囲の関心や同情を引こうとする。虚言癖を伴う事例も多い。
有田ひばりは逮捕後の精神鑑定で、重度のミュンヒハウゼン症候群だと診断されている。
有田ひばりがミュンヒハウゼン症候群の兆候を見せだしたのは、幼少期からのことであった。
仮病で学校を休んだり、わざと怪我をして大袈裟に泣き喚いたり、周囲に自分は大病を患っていると嘘をつくことがしょっちゅうであり、とにかく他者からの関心を得ようと躍起になっていた。
これは、有田ひばりの小学生時のクラスメートによる証言である(本人の希望により匿名)。
「いわゆる、かまってちゃんでしたね、あの子は。なんでも大袈裟なんですよ。絆創膏で治るような擦り傷で、やれ入院だ、もうすぐ死んじゃう、なんて騒いだり。周りはみんなそういう子だって分かってたんで、相手にしてませんでした」
「それだけならいいんですけど、一度だけ寒気がしたことがあって。私たちが小学生の頃って、ハムスターを飼うのが流行っていたんですよ。みんなが一匹ずつ飼ってるような感じで」
「ある時、一人の子が学校で、ハムスターが病気になっちゃった、って泣き出したことがあったんです。帰りにみんなでその子の家に行くと、ハムスターの毛が抜けてて、湿疹みたいになっていました」
「みんなで、可哀そうだね、大丈夫だよ、きっと治るよって、その子を励ましたんです。そしたら次の日、今度はあの子が、家のハムちゃんが病気になっちゃった、って泣き出したんです」
「仮病はしてたけど、さすがにハムスターなら本当の事だろうって思って、またみんなでお見舞いに行ったんです。そしたら、確かにあの子のハムスター、怪我してたんですよ。でも、なんか変だったんです」
「あの子のハムスター、肌が赤黒く変色してたんですよ。毛も、抜けたんじゃなくて、まるでライターか何かで炙ったみたいに焦げてて」
「ハムちゃんが死んじゃうよおって、あの子は泣いてましたけど、みんなは薄々分かってたんじゃないかと思います」
これは、”代理ミュンヒハウゼン症候群”というものであり、障害対象が他者へと変わったミュンヒハウゼン症候群の一形態である。他者を重病に仕立て上げることによって、自身が周囲の関心を引き、精神的満足感を得ようとするものである。
幼少期から、既に他者から注目されたいという欲求が度を過ぎていたことが伺えるエピソードである。
その度が過ぎた承認欲求は、成長するにつれ、肥大化していく。
中学生になった有田ひばりは、やはり仮病や虚言癖で周囲から関心を引こうとしていた。無傷にも関わらず、包帯を巻いて登校したり、自分は難病なんだと吹聴しながらただの頭痛薬を辛そうに飲むなど、言動は徐々にエスカレートしていった。
この頃より、有田ひばりは自傷行為にも手を染めだす。そのほとんどはリストカットだったが、時にはわざと顔や腕に痣を作ったりもした。そのあまりの様相に、新任教師が虐待を疑って家庭訪問時に両親を詰問した騒ぎも起きた。
この時、有田ひばりの両親である
この時、既に有田ひばりに関する相談は七度も行われており、児相は三度目の相談までは対応していたものの、それ以降は一切の問題がないとして取り合わなかったという。実際に診断に当たった児相の医師は、身体的な怪我よりも、精神病院への通院やカウンセリングを進めている。有田家に虐待の事実はなく、むしろ両親は我が子の虚言癖や自傷行為に頭を悩ませていたのである。
その後、夫妻は我が子に対してカウンセリングを施そうとしたが、有田ひばりがカウンセラーに対して暴言を吐き、掴みかかるなどして暴れた為、治療を諦めた。この時も、有田ひばりはカウンセラーが自分に対して暴力を振るってきたと、虚偽の供述をしたという。本来ならば、有田ひばりを蝕む精神疾患は、精神科への通院が必要なレベルに達していたのかもしれないが、夫妻はたった一人の我が子可愛さに通院を諦め、放っておくようになった。
そして、月日は過ぎ、有田ひばりは高校生となった。私立高校の看護学科へと進学した有田ひばりは、看護師になることを夢見ていた。
なぜ、看護師を志したのか、有田ひばりの口から語られることは、逮捕後から今に至るまでない。高校在学時は、教師や両親に対して、”私のような病気の人を救いたい”と語っていたらしいが、真相は分からない。
この頃より、有田ひばりの言動は一旦鳴りを潜める。とは言っても、気の強さは相変わらずであり、仮病や虚言癖が控えめになった程度であった為、周囲の人間は依然として腫物を扱うように有田ひばりと接していた。当時を知る人物たちはこう語る(本人の希望により匿名)。
「目立ちたがり屋っていうか、注目されるのが好きなんだろうなあって印象でした。周りから色々と過去の話を聞いていたので、それに比べれば大人しくなったのかなあって思ってましたけど」
「空気の読めない子っていったらいいのかな。何をしても、自分が一番目立ちたいって感じでしたね。男の子に対しても、自分がモテモテのヒロインだって勘違いしてるみたいでした。一部の女子からは、酷く嫌われていましたね」
「一度、彼女がトイレで辛そうにしてたんで声をかけたら、”妊娠したかも。○○君としちゃったから”なんて、笑ってたことがあったんです。○○君っていうのは、クラスで一番人気の男子で、親しそうにはしてなかったから、まさかと思って本人に聞きに行ったんですよ」
「そしたら、○○君は”一回も話した事ないよ”って、怪訝な顔をしてました」
級友たちからの評判はいまいちだったが、それとは反対に教師からの評価は高く、有田ひばりはいつも熱心に勉学に励んでいた。トップとまでは行かないまでも、テストではいつも好成績を記録しており、訪問実習授業として訪れた家庭からはその優良ぶりに感謝の手紙が送られるなど、勉学に励むその姿はまさに優等生であった。
無論、看護学科にて学ぶ総合人間学や心豊かな人間性、倫理観、他業種との連携、協働するスキルは、身につくことがなかったようであるが。
なぜ、有田ひばりが以前のような言動を抑え、熱心に勉学に励み、看護師を目指そうとしたのか。その理由は、念願の看護師になってから明かされる事となる。
看護学科を卒業後、有田ひばりは両親の元を離れ、とある街の診療所へ就職した。その診療所は規模としては小さなものであったが、特定疾患、いわゆる難病の患者を幾人か収容しており、専門の医師が長期の治療に当たっていた。
有田ひばりはそこで見習い看護師として働くことになるが、僅か二年ほどで退職した。
退職理由は医師からセクハラを受け、心的外傷を負ったというものであったが、当の医師を含めた診療所の関係者が取材に応じようとしない為、真相は分からない。
だが、当時その診療所に入院していた患者の家族は、このような証言を残している。
「私の子供はその・・、意思疎通が難しい難病を患っていて、言葉でのコミュニケーションは出来ないのですが、反芻して言葉を発することは出来るんです」
「あの診療所に入院していた時の事です。いつものように子供に会いに行ったら、ベッドの上で子供が、あまり聞き慣れない言葉を繰り返していたんです。普段は口にしないような言葉を。たまに看護師さんの会話やテレビの音声を真似て口にすることはあったんですが・・・」
「ないよかち、かちない。あーたにあんたに。いーきる、いーきるう。って繰り返していたんです。病室のテレビは子供向けの教育番組しかチャンネルがないし、どこで聞いたんだだろうって不思議に思っていたんですが」
「今にして思えば・・・。こんなこと思いたくはないし、口にしたくもないのですが・・・、私の子供はあの女から、”あんたに生きる価値ない”って言われたんじゃないかと思うんです」
ちなみに名称は伏すが、この診療所は今も営業しており、医師は人当たりの良い名医だとして評判だという。
診療所の関係者全員が有田ひばりに関して口を噤んでいるというのは、世間に知られたくない事実を隠匿しているからではないのだろうか?それは、恐らく疚しいものではなく、患者やその家族の心的ストレスを考慮してのものなのではないだろうか?
なにがあったのかは、推測で語るしかないが、どうにも有田ひばりが心的外傷を負ったとは考えにくい。
その後、周囲に重度の心的外傷を負ったと触れ回っておきながら、半年の間を置かずに有田ひばりは聖グランサム病院へと再就職した。
聖グランサム病院は一通りの主だった診療科を揃えながらも、細分化された専門外来を備えており、指定難病の患者も多く通う地域一帯の中核的な医療機関であった。有田ひばりが派遣されたのは脳神経外科病棟であり、以前勤めていた診療所での特定疾患患者の看護ケアをしていたという経歴を買われてのものだった。
聖グランサム病院での有田ひばりの評判は前述した通りであるが、仕事ぶりは評価が高く、新人ながらも優秀な看護師として活躍していたのは事実である。
だが、その高慢な態度の裏に、常軌を逸した狂気が秘められていたとは、誰も思いもしなかった。
聖グランサム病院にて、有田ひばりは小さな人間関係のトラブルを起こしながらも、着実に場数と経験を積み重ねていき、中堅看護師としての立場を築いていった。やがて、科の急性期一般病棟の担当を一任された有田ひばりは、とある一病室の四人の患者の看護ケアをすることとなった。
この四人こそが、有田ひばりの犠牲者となった
四人とも平均年齢が12にも満たないほどの少年少女であり、若くして難病を発症し、長期入院で治療を行っていた子供たちであった。
先ほど、この四人の看護ケアの担当を一任と述べたが、実際は有田ひばりが担当を猛烈に希望したという証言が当時の事件資料に残されている。この証言に関しては、当時の関係者からの確認を得られなかった為、真偽は定かではない。
だが、当時聖グランサム病院に勤務していた有田ひばりの同僚たちからは、普段から四人に対しては誠実な態度で看護ケアをしていたという証言もあるうえ、それぞれの患者家族からの評判も良いものであったことから、四人の患者に対して、真摯に看護ケアや治療に取り組んでいたことは事実である。それは、傍から見れば個性の強い看護師が勤勉に業務に取り組んでいるという、ただそれだけの事であった。
全ては、何事もない日常という様相を呈しながら、進んでいった。有田ひばりが業務に取り組みながら、少しずつ備品の薬品や医療器具を盗み出し、保管していたことも、地下一階の使用されていなかった解剖室の鍵を複製していたことも、清掃業者が週に一度大きなコンテナ台車で使用済みベッドシーツを回収しに巡回しているのを確認していたことも、夜勤の際にどの病室のナースコールを押せばエレベーター付近が目撃されにくくなるのかを把握することも、全てが凡庸な日常の裏で行われていった。
そして、聖グランサム病院に勤務して八年の月日が経った夜、有田ひばりは凶行に及んだ。脳神経外科病棟が夜の静寂に包まれる中、四人の病室へと赴いた有田ひばりは、盗み出していた麻酔薬で全員を眠らせると、巡回を装ってとある病室のナースコールを押した。
夜勤に励んでいたもう一人の看護師が異常を察知して駆けつけると、病室にいるはずの患者の姿がなかった。看護師は慌てて有田ひばりにその旨を伝え、逃げ出した可能性があるとしてあちこちを探し回った。
看護師が別の病棟へ捜索に行った隙をつき、有田ひばりは空室となっていた病室から、清掃業者が使用していたコンテナ台車を引っ張り出した。四人の患者はその中へと詰め込まれ、上からベッドシーツを掛けてカモフラージュされた。麻酔薬により、全員が乱雑に押し込まれても目覚めることはなかった。
患者の捜索に躍起になっている看護師が戻らないのを見計らい、コンテナ台車は堂々とナースステーションの前を通ってエレベーターへと搬入された。そのままどの階にも停まることなく一直線に降りたエレベーターは誘拐犯を地下一階へと降ろした。
聖グランサム病院の地下一階に設けられていた解剖室は前年の施設改修工事に伴い、無用の長物と化していた。中には長い間使用されていなかった解剖台と、いくつかの薬品棚が空のまま残されているのみであり、付近を通る者は清掃業者や機材搬入業者しかいなかった。
四方をコンクリートに隔てられ、多少の物音ならば響きもしない解剖室は、自力で動くこともままならない患者たちを監禁するのにはうってつけの場所だった。
あらかじめ用意していた複製鍵で解剖室へと入った有田ひばりは、四人の患者を解剖台へと寝かせるとコンテナ台車をそのまま放置し、何事もなかったかのように脳神経外科病棟へと戻った。
看護師は戻っておらず、脳神経外科病棟はもぬけの殻だった。失踪したと見せかけて、微量の麻酔薬で眠らせていた患者をベッドの下から取り出すと、捜索に出ていた看護師を呼び戻して、トイレの個室に隠れていたと嘘をついた。入院していた幼い患者は夢遊病の症状があり、看護師はいともたやすくその嘘を信じ込んだ。
看護師と有田ひばりが夜勤を終え、朝になると同時にナースステーションでは人員交替が行われた。日勤担当の看護師が異変に気が付いたのは、交替が行われてから僅か30分後の事だった。病院はすぐさま夜勤を担当した二人と連絡を取ろうと試みたが、有田ひばりは夜勤明けに旅行へ行くと周囲に明言しており、当分連絡はつかないだろうと思われた。
当の有田ひばりは病院を出ることすらなく、夜勤を終えた後にすぐさま地下一階へと戻っていた。四人の麻酔薬が切れる前に、有田ひばりは狂喜に満ちた儀式を執り行おうと、粛々と準備を進めていた。
四人の失踪から二日ほど経ち、連絡が一向に付かない有田ひばりに疑いの目が向けられ、事態は警察の手に委ねられることになった。だが、警察はまさか病院の地下に四人が監禁されているとは思わず、有田ひばりの自宅やその付近の聞き込みを行うばかりで、事態は進展を見せなかった。
ところが、警察によってではなく、思わぬ者の手によって、有田ひばりの凶行現場は所在を掴まれてしまう。
失踪から三日目の事であった。聖グランサム病院に勤めていたとある医師が、当時不倫していた同じく聖グランサム病院に勤める看護師と逢引きしようと、人気のない地下一階へと赴いたのである。
二人が地下一階へ訪れるのは初めての事ではなく、それゆえに解剖室のドアの隙間から漏れる光に違和感を感じたのは、思いもよらぬ偶然であった。鍵がかかっているのにもかかわらず、中の照明が点いていることを怪しんだ医師が警備員を呼んだのは、逢引きが終わった後のことだった。
警備員が解剖室の鍵を開け、中の光景を目撃した瞬間に、有田ひばりは大声で支離滅裂な言葉を叫びながら突進してきたという。警備員はそのあまりの勢いに怯んだが、咄嗟に閉めた鉄製のドアに有田ひばりが激突し、昏倒したところを取り押さえた。そのまま助けを呼び、敢え無く有田ひばりは逮捕されたが、踏み込んだ警察は凶行現場である解剖室に入るなり、その凄惨な光景に吐き気を催した。
広く寒々しい部屋の中には、ひとつの椅子を軸にするように解剖台が四つ、扇状に並べられていた。その上には、失踪した四人の患者が、裸で上半身だけを起こしたような姿勢で座っていた。
いや、正確には吊るされていた、と言った方が正しい。下半身は解剖台に荷締めベルトでギチギチに拘束されていたが、腕や肩、胴体には細いワイヤーが巻きつけられ、その先端が天井の照明や金具に括り付けられていた。ワイヤーの先端には大きな釣り針が取り付けられ、重力に逆らえず力なく倒れようとする患者の身体に食い込んでいた。その様は、さながら自由を奪われた操り人形だった。
腕には点滴が繋がれていたが、その付近には夥しい注射痕があった。拘束されていた下半身には、使用されたであろう夥しい数の注射器が、荷締めベルトの合間を縫うように突き刺さっていた。
身体中には切り傷や刺し傷があり、皮膚の一部が無くなっている者もいた。口から血を流している者は、歯が全て抜かれて舌が切り刻まれていた。
四人の患者の拷問による身体的外傷には差異があったが、ひとつだけどの患者も共通している外傷があった。
四人とも、瞼が切り取られていたのである。
寺内亜美、下出勇人、暮田栄久の三人は既に死亡していたが、別木降数だけがまだ息をしていた。すぐさま聖グランサム病院にて治療が行われたが、二日後に死亡した。
警察による有田ひばりの事情聴取は難航を極めた。有田ひばりは自身がまるで被害者であるかのように泣きはらすばかりで、まともな会話が通用しなかったのである。
代わりに、悍ましい解剖室の現場検証は着々と進んでいた。四人に点滴されていたのは病室でも施されていた治療用の薬品であり、各々が解剖室でも生き延びられるように用意されたと思われた。
夥しい数の注射器は大半が麻酔薬を投与するために使われたものだったが、中には生理用食塩水やインシュリン、患者たちの血液が入っていたと思われるものも見受けられた。
四人全員の遺体は司法解剖が行われ、死因が特定された。寺内亜美はインシュリンを過剰投与されたことによる心肺停止。下出隼人は外傷から出血したことによる失血死。暮田栄久は麻酔の過剰投与による呼吸不全だった。二日生き永らえた別木降数は外傷性ショックによって意識障害を引き起こしており、二日間生死を彷徨ったが、意識が戻らないまま死亡した。
解剖室の状況と患者たちの死因から、有田ひばりが四人を誘拐した後に、身体的外傷による拷問を行って死亡させたことは明らかだった。
察するに、有田ひばりは四人に悍ましい身体的拷問を、麻酔をジワジワと投与しながら繰り返し、楽しんでいたのだろう。痛みと麻酔の狭間で恐怖する四人の幼い患者を椅子に座って眺めながら。
警察は進展を見せない取り調べに見切りをつけ、この施設に有田ひばりの身柄を譲渡して精神治療を施しながら自供を引き出そうとした。だが、この施設をもってしても、有田ひばりの精神治療は難航し、自供を引き出すのには長い年月を有した。
その中から、一部を抜粋する。
「あの子たちは私の理想だったの。あの子たちばっかり難病にかかって、お見舞いじゃチヤホヤされて、ずるいじゃないの。何万人に一人の難病だなんて知らないけど、私はそれよりもっと辛かったのに。私はあんな風に難病になっても、誰も見向きもしなかったのに」
「誰も私を見なかったの。私はみんなに見て欲しかったの。私がどれだけ他の人間とは比べ物にならないほどの素晴らしい人間でも、みんなはそれを認めたくなくて私のことを見なかった」
「当然の事でしょ?私より劣っている人間なのに、私より注目されるなんてダメでしょ。だからあの子たちにはそれを分からせようとしたの。分からせてる途中で死んじゃったけど!アハハ!」
「なんで瞼を切り取ったかって?そんなの、わたしを見て欲しかったからに決まってるじゃない」
自供を始めてからも、有田ひばりが反省の念を述べることはなかったという。
ここまで、取材時の有田ひばりの様相が記されていないことにお気づきの読者はいただろうか。
結論を述べると、有田ひばりは今もまともに会話できる状態ではなかった。面会設備越しに、有田ひばりは支離滅裂な言葉を繰り返していただけであり、取材にはならなかったのである。
拘束衣を着せられているにも関わらず、有田ひばりは目を剥いてアクリル板に顔を擦り付けていた。今も、他者から自身を見て欲しい、注目されたい、という願望は尽きないのだろうか。
支離滅裂な言葉、と先ほど書き記したが、有田ひばりはこう繰り返していた。
「みろみろみろみろみてみてみてみてろみろみろみろみてみてみろみろ」
「眼をみろ眼をみろきるぞ眼をみろ眼をみてまばたきするなまばたきしないでわたしをみろまぶたきるぞわたしをみろ」
現在も有田ひばりの裁判は続いており、それ故に今も生き永らえている。心神喪失を理由にしぶとく生き延びたいと企んでいるのだろうか。それは分からない。
だがどちらにせよ、この卑劣なサイコパスが今この瞬間も生き永らえているという事実は嘆かわしいことである。この国の法とは、あまりにも犯罪者に対して甘いものなのではないだろうか。
筆者はこれまで、あまりそういった思想を述べてはこなかったが、サイコパスに対する嫌悪感を露わにでもしないと、精神が保てそうにない。はっきり述べて、彼らサイコパスに生きる価値など無いのだ。
自身が注目されたい、他者の眼から見られたいという願望。そんな一人のサイコパスのくだらない自尊心のせいで、四人もの命が失われた。
取材の最後に、筆者は我慢が出来ず、こう吐き捨てた。
「あなたのような者が、今も存命していることが信じられない」
それでも支離滅裂な言葉を繰り返していた有田ひばりだったが、取材時間の終了を告げるブザーが鳴った瞬間、突然何事かを口走った。
良く聴こえなかった為、はっきりとは分からなかったが、唇の動きから察するに、有田ひばりは筆者に向かってこう吐き捨てたのだろう。
「ありがと!」
いまだにその歓喜の表情が脳裏に焼き付いている。久しく他者からの視線を受けていなかったのだろう。取材とはいえ、自身に注目したことに感謝しているとでもいうのだろうか。
一刻も早く、有田ひばりという存在を忘れ去りたい。それが、有田ひばりに対する筆者からの復讐である。それを世間にも願う。どうか一刻も早く、有田ひばりというサイコパスの存在を、忘れ去ってもらいたい。
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