やまびこ
年老いたやまびこは、自分の息子に仕事をゆずる事にした。
もう声が枯れてきて、子供の声や女の人の声をうまく出せなくなってしまったからだ。
何日も何日も練習をして、やまびことその息子は山の向かいにやってきた。
「父さん、ぼく、うまくできるかな」
息子は、初めての仕事に緊張しているようだった。
「心配することはない。練習した通りにやれば大丈夫だから」
やまびこは気弱な息子を励ましたが、息子はそわそわと落ち着かない。
そこでやまびこは、さらにこういった。
「安心しなさい。だいたい人間というものは、山の上でなんて叫ぶか決まっているものなんだ」
「ほんとう?」
「ああ、ほんとうだとも」
その言葉に、息子は少し落ち着きを取り戻したようだった。
そして、
「じゃあそれを教えてよ。人間がなんて叫ぶのかわかっていたら、失敗しないですむかもしれない」
といった。
「よし。いいか、よく、聞いておくんだぞ」
やまびこは胸いっぱいに息を吸い込むと、
「ヤッホー」
大きな声で叫んだ。
もちろん、やまびこがここにいるので、叫んだ声は返ってこない。
やまびこのヤッホーは、向かいの山に吸い込まれるように消えていった。
「わかったか?」
振り向いて、息子にたずねる。
「うん、わかった。人間は、ヤッホーって叫ぶんだね」
息子は完全に落ち着きを取り戻したようだった。
あとは、本番を待つだけだ。
それから何時間か経った頃。
やまびこは、向かいの山に人間の気配を感じた。
長年の経験のなせるわざだ。
やまびこは息子の肩を掴むと、
「いいか、きっと、これから向かいの山から声が聞こえてくる。練習した通りにやるんだぞ」
揺さぶりながら励ました。
「うん、わかった」
「いいか、ためらったらダメだぞ。自分を信じて、思い切り大きな声で叫ぶんだぞ」
「わかってる。大丈夫だよ、父さん」
息子は笑顔でそういうと、いつ声が聞こえてきてもいいように、山の方を向いて叫び返す準備をした。
やまびこと息子は、声が聞こえてくるのをいまか、いまかと待ち構えた。
すると、
「イヨッホホホー」
山から声が聞こえてきた。
しかしそれは、少しおかしな声だった。
しまった、すいす人間だ!
長年働いてきたやまびこにはすぐに分かった。
すいす人間は『よーでる』という、にほん人間とはちがう独特の声で叫ぶ。
とても難しいので、なれないうちはやまびこも苦労したものだった。
やまびこは、すぐに息子と変わろうとした。
さすがに、初めてでよーでるは荷が重い。
しかし、
「イヨッホホホー」
息子は、見事に叫び返した。
ためらいなく、思い切りよく、声も節回しも完璧だった。
「イヨッホホホー」
山からは、またすぐに気持ちよさそうな声が聞こえてきた。
「イヨッホホホー」
また、息子が叫び返す。
「イヨッホホホー」
「イヨッホホホー」
息子とすいす人間は、あきることなく何度も何度も叫びあった。
懸命に叫び返す息子の背中を見て、やまびこは誇らしい気持ちとともに、少しばかりの寂しさをおぼえた。
もう、息子とは呼べない。
今日からは、彼がやまびこなのだ。
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