22 銃声

 今朝は晴れている割に寒い。歩いているうちに温まるだろうが、指先が冷えて痺れている。そろそろ野宿じゃなくてどこか屋根のあるところで休みたい。


「凱、昨夜さ、口ぱくぱくってやっていたでしょ。なんて言っていたの? 暗くてわかんなかったんだけど」


 身支度をしている凱に訊いてみる。だが彼は手を止め、そのまま固まってしまった。

 足元を見、腰を曲げた姿勢のまま動かない。


「ねえ、ちょっとどうしたんだよ」

「……わからなかったの、ですね」


 彼の頬が、じわじわと赤くなる。


「それなら、いいです。内緒です」

「なんだよそれえ。じゃあなんで言ったんだよ」


 お前もな、と自分で自分に言ってみる。

 凱が何を言っていたのかは気になるが、そこで逆にあたしが言ったことを質問されたら困る。仕方がないので訊くのをあきらめ、固まった凱の肩を叩いた。

 彼は腰を伸ばし、あたしを見た。


「あの時、小夜さんが言っていた言葉」


 やはりそう来るか。こちらだって内緒だ。声に出して言えるわけがない。しかしここで「内緒だよ」なんて言ったら、余計な言い合いになって憲や焔に変な顔をされるかもしれない。だから聞こえなかったかのように顔を逸らした。


 そこへ凱があたしの耳に顔を寄せる。

 あたたかな吐息のような囁きが耳をくすぐる。


「私も、です」


 顔を離し、微笑む。何事もなかったかのように身支度を続ける。

 今度はあたしが固まった。体中の血がどっくんどっくんと濁流のように頬に押し寄せる。


 わかっていたのか。やだやだどうしよう。やだもう恥ずかしい。どうしようもう。

 私も、です。私も、です。私も……。


 背後から誰かがあたしの耳に顔を寄せてきた。


「さ、よ、ちゃぁぁん」


 凱の囁きに触れて火照った耳に、焔の気色悪い囁きがかぶる。


「どうしたのかなあ。なんだかお顔が赤いけ」


 言い終わらないうちに焔の耳を引っ張ろうと手を伸ばしたが、一瞬早く彼は自分の耳を手で庇った。

 



 歩き進めるにつれ、ある変化に気がついた。それは隣を歩く焔も同じだったらしい。


「この辺、誰かが出入りしているな」


 頷く。今までの獣道同然の道と違い、はっきり「道」としてひらけている。だから、この近くにあるかもしれない。

 集落か、目的地が。


 お腹に力を入れる。細かな変化を感じ取れるように、全身の感覚を意識する。少し離れて後ろを歩いていた凱と憲が駆け寄ってきた。彼らも変化に気づいたのだ。


「道が広くなったよね。近くに人が住んでいるのかなあ」


 憲の明るい声に、焔は険しい顔を向けた。


「気い抜くんじゃねえ。人里とは限らねえだろ」


 焔が刀に手をかけ、ぶるりと全身を震わせる。


「よくも……」


 奥歯を噛みしめる音が聞こえる。険しい表情だが、どこを見ているのかわからない。

 おかしい。焔の様子、警戒しているのとはなにか違う。

 凱は焔の肩にそっと触れた。


「焔、落ち着きなさい。今ある事実は、道が広くなった、ということだけです」


 凱の静かな声に、焔は我に返ったようにふっと肩の力を抜いた。


「すんません、つい」


 気持ちを落ち着かせるためか、上を向いて自分の両頬をぱんぱんと叩いた。

 何かに耐えるように、目を見開き、空を睨んでいる。


 言葉をかけてあげたかったが、彼の胸のうちを思うと何も言えなかった。


 みさをさんは、三月みつき四月よつき前の夜、出水家に向かう道で鬼に攫われた。きっと、仕事の後にどうしても焔に会いたかったのだろう。

 だが、「逢引目的で夜に出歩いた女」に向ける周囲の目は冷たかった。焔への陰口も何度か聞いた。


「なあ憲、変な匂いとか音とかしてねえか」


 焔は首を何度か大きく振って言った。憲は立ち止まり、目を閉じた。

 その姿を見て皆息をのむ。憲の鼻がひくりと動いた。


「なにか、変わった匂いがする」


 眉間に皺をよせ、上を向く。


「山にはない匂い。なんだろう、いい匂いじゃないよ。ものが焼ける匂い、鉄瓶の匂い、あとは」


 匂いの正体がわからず困っているらしい。憲を見守っていると、どこかから何かを叩くような音がした。

 この音には全員が気がついた。辺りを見回す。しばらくすると、また同じ音がした。

 唇をかみしめる。刀に手をかける。

 あの音、知っている。


「あれ、鉄砲の音かもしれない」


 昔の記憶を引きずり出す。


「鉄砲だあ? なんでそんな音を小夜が知っているんだよ」

「昔さ、戦場いくさばの近くに行ったことがあるんだよ。戦は終わっていたんだけど、何か小競り合いでもあったのかな、さっきの音みたいなのが聞こえてさ。客が、あの音は鉄砲を撃つ音だって言っていた」


 凱はあたしの話を聞いて、顎に手を添え首をかしげた。


「そういえば、狩猟で鉄砲を使う国があるというのを、何かで読んだことがあります。そこでは鉄砲が大量に作られているとか」

「でも凱さん、それは異国の話でしょ。鉄砲なんざ、普通に生きてりゃまずお目にかからないですか」

「待って、何か来る!」


 憲の言葉に皆、一斉に構える。しばらくすると、土を蹴る低い音が聞こえてきた。

 その音は、まっすぐこちらに向かっている。

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