21 月下の炎

 結局、今日はなんの進展もないまま日が落ちてしまった。


 歩けども歩けども山。今日はわりと見晴らしのいい場所が多かったが、四方が山に囲まれているのを確認できただけだった。


「このまま山歩きだけして、食うもんなくなって帰る、とかねえよなあ」


 焔は草の上に寝転んで大あくびをした。


「道、間違えていないかなあ。ずっと一本道だと思っていたんだけど。誰にも会わないから、僕ちょっと寂しいよ」


 憲が耳を垂れ、治療石を浸した水を飲む。水が体にしみわたったのか、水筒から口を離して「くぅーっ」とおいしそうに叫んでいた。

 今日は紅い治療石に太陽の気を取り込めた。これを浸した水には疲労を和らげる効果があるらしい。あたしも石を借りて飲んでみた。

 水を口に含んだとたん、びりびりとした痺れが体の中に広がっていく。疲れてしおれてしまった体を励ますような不思議な刺激だ。


「凱、この石にさ、ガンガン太陽を浴びさせて、どっさり水に入れたら無敵になったりするの?」

「石はその人本来の力を引き出すことしかできないんです。だからどっさり石を用意しても、憲が重い思いをするだけですよ」


 凱の言葉を受けて、憲が肩をぐるぐる回しながら苦笑した。あたしはおどけたしぐさで頭を下げ、煮炊きの支度を始める。


 表面上は、皆、何事もなかったかのように仲良く歩いてきた。だが、その仲良さは、脆い均衡の上に成り立っているものだ。

 憲は常に凱とあたしに視線を向けている。

 焔は常に皆の表情をうかがって笑いを取っている。

 そして凱もあたしも、薄い壁を通して親し気に話している。


 治療石では癒しきれない鈍い疲労が、心の底におりのように溜まる。


 今朝、どうして凱を拒絶してしまったのだろう、と思う。

 抱き寄せ、頭を撫でてくれた。愛おしくてたまらないと言ってくれた。それは禁忌のほとりでぐらぐらと揺れながらも踏みとどまる、凱なりに精いっぱいの表現だったのではないか。

 それなのに。


 だって、こわくて、恥ずかしくて、その時は考えつかなかったんだ。

 想いを傾けられるのは、今だけだということに。

 鬼退治が始まれば、鬼の手にかかり、二度と彼に会うことのできない世界に墜ちるかもしれないということに。


「小夜姉」


 胸が痛い。この胸の痛みは許されるものなのだろうか。この痛みすらも「汚らわしい」ものなのだろうか。


「小夜姉」


 どうして羽なんかあったのだろう。どうせ腐り落ちてしまうのだったら、最初からなければよかったのに。見世物小屋にいた時は自分の唇が嫌だったが、今では背中の羽の跡が恨めしい。


「ねえ小夜姉ってば! 焦げ臭いよ! 何してんだよ!」


 憲の大声で気がついた。目の前を見ると、釜から「香ばしい」をとうに越えた臭いが漂っている。慌てて火を消し中を覗くと、底の部分の米が黒くなっていた。

 

「ごめん……ごめんなさい」


 釜を覗いている憲に向かって謝る。


「せっかく奥様が下さった、貴重なお米なのに。せっかく憲が担いできてくれたのに」


 あたしは本当に役立たずだ。すぐに疲れ、戦うこともできず、煮炊きすら失敗する。

 あたしさえいなければ、もっと早く歩き進められただろうし、米も無駄にしなかっただろうし、この場の空気を乱さなかっただろう。

 あたしさえいなければ。


「ごめんなさい……」


 憲はあたしの顔を見ていた。彼の瞳は澄んでいて、きらきらと清潔そうな輝きを放っている。その輝きを真っすぐに捉えることができなくて、あたしは目を伏せ、唇を強く結んだ。


「ううん。僕の方こそごめん。あんなに強く言うつもりはなかったんだ」


 憲が目線を合わせてきた。あたしが目を向けると、彼は少し顔を逸らし、何かを考えるようなそぶりを見せた後、再びあたしを見た。


「僕、自分でもだめなのはわかっているんだ。うっかり間違いでも、どうしようもなかったことでも、許したり認めたりできなくて、ついきつくあたっちゃう。それが人を追い詰めちゃうのも、わかっているんだけど」


 そう言いながら、自分の着物を掴んでいる。しばらく黙り、口を開き、声を出したが、言葉にならずに消える。

 あたしは視線を釜に落とし、口元だけなんとか微笑みの形にした。


「憲が謝ることないよ。憲は正しい。悪いのは、あたしだ」




 夜の冷え込みは昨日ほどではないけれども、やはりぐっと寒くなる。

 あたしたちは地面の平らな所を探して眠ることにした。凱たち三人が固まり、あたしだけ少し距離を置いて横になる。

 地面から冷気がじわじわと這い上がり、骨に沁みる。ぬくもりを奪われないよう、体を小さく丸めてみるが、寒くてなかなか寝つけない。


 空を見上げる。白くて大きな月が、静かに見下ろしている。あたしは眠るのを諦め、立ち上がって月に向かって手を伸ばした。

 凱は、月の光で石が清められると言っていた。こうして手を伸ばし、全身で光を浴びると、心の中に淀んでいた弱く後ろ向きな想いが、少しずつ洗い流されていく気がする。


 月の光が体の中に満ちていくにつれ、湿った想いが消えていく。

 心の中に白い炎がゆらりと灯る。


 そうだ。自分を役立たずと責めるのは逃げだ。そんなことを考えている場合ではない。

 うぬぼれを捨て、卑下を捨て、前を向け。

 自分がなぜここにいるのか。それを見失い、心乱すんじゃない。


 鬼退治へ行くと決めたときの想い。その時わずかに残っていた柔らかさをやいばに変え、胸に突き刺す。

 冷たく輝く月を見据える。


 強くなれ、あたし。いとしい人を守るために。

 

 髪を縛っている紐をほどく。突っ張っていた頭がふっと軽くなり、力が外へ広がっていく。髪を大きくかき上げると、月の光が髪の毛一本一本に降り立って流れていった。


 風が吹く。あたたかく、花のような甘い匂いのする風が、白い炎が噴き上げる体をそっと包み込む。

 風が月の光を含んだ髪をふわりと撫でる。


 背後で何かが動く気配がしたので振り向くと、凱が起き上がろうとしていた。

 凱の両脇では、焔と憲がぴったりと寄り添うように眠っている。彼らに気遣うようにそろそろと半身を起こす。立ち上がりたかったみたいだが、二人に挟まれ無理のようだ。半身を起こした状態のまま、あたしを見る。

 微笑みあう。


 凱がぱくぱくと口を動かした。声を出さないように、あたしに何かを言っているらしい。だが暗くてよくわからない。

 そこで「わからないわ」と、かわいく首をかしげようと思ったが、反射的に眉間に皺を寄せて首をかしげてしまった。やだもうあたし。


 でも、ぱくぱくと口を動かして話すのは、いい手かもしれない。これならば、どんなことでも口に出せる。

 凱に聞かれたら恥ずかしいことも。

 あたしは凱を見つめ、口を開いた。声に出さず、ぱくぱくと口を動かす。

 口を閉じ、微笑む。


 やはり凱はわからなかったみたいだ。表情を変えず、じっとあたしを見ている。もしかしたらもう一度あたしが言うのを待っているのかもしれない。でもそんなことはできないので、あたしはそのまますとんと丸まって寝たふりをした。


 さっきは寒くて眠れなかったのに、今度は頬が熱くて眠れない。冷たい地面が、あたしを鼻で笑っている気がする。

 あたしは単純だ。月に向かっていろいろ心に決めたすぐ後に、あんなことを言ってどきどきしているんだから。

 笑みがこぼれる。声に出さなかった言葉を心の中で繰り返し、目を閉じる。

 そうだよな。そうなんだよ。だからこそあたしは強くなるんだ。


 ――がい。あいしている。

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