20 正論

 凱が目を見開く。憲はあたしの目の前に立ち、見下ろした。


「小夜姉。鬼退治に来たのは凱さんをたぶらかすためだったの? 凱さんに一体何をしたんだよ。まさか、凱さんの縁談をだめにしたのも」

「あ、あのね憲、それ」

「触るなよ、汚らわしい!」


 あたしの手を叩く音が響く。憲は汚いものに触れた時のように手首を振った。凱と焔が間に入ろうとすると両腕を振り回して拒絶する。


「憲、それは言いすぎだ。別に凱さんと小夜は」

「知らない知らない! 亜人と人間なのに気持ち悪いよ! 小夜姉、そうだ、あの見世物小屋に客が群がっていた理由。あれは本当だったん」

「憲!」


 凱の鋭い声が響く。憲は身を震わせた後、唇を噛んで俯いた。

 憲はそれ以上言葉を重ねることはなかった。だが彼が何を言いたかったのかはわかる。

 頭から血が引き、視界が暗くなる。

 客の下卑た笑いを漏らしながら喋る声が、耳の奥で響く。


 ――鳥人女と人間の男の間に生まれたんだってよ。汚ねえな。

 ――母親似だって言うじゃねえか。おっかねえおっかねえ。

 ――まあ、だろうなあ。ガキのくせに別嬪で。

 ――妙な色気がありやがるもんなあ……。


 あたしは嘴がないから見世物になった。だが男共が群がっていたのは、そのせいだけじゃない。

 小屋の親父が勝手に作った設定の「汚らわしさ」に興味を持ち、怖いもの見たさと、あたしの見た目に惑わされてみたいという……。

 

「小夜さんに『愛おしい』と言ったのは私です。だから罵るのなら私を罵りなさい」

 

 凱の声で我に返る。彼はあたしの前に歩み出た。

 憲は耳を垂れた。だが表情は険しいままだ。聞き取れないくらい小さな声で、何かを呟いている。

 凱が言葉を続ける。


「小夜さんが鬼退治に志願したのは、長様の家のこととは別の理由もあるでしょう。しかし私にだって見栄があります。だからわかりません。何にしても、憲が勘繰るような安っぽい理由で、こんな危険な場所にいるわけではありません」


 言葉としておかしい、奥歯にものが挟まったような言い方をする。

 ああ、やはり、あたしが鬼退治に来た本当の理由を察しているのか。


「小夜さんは非常に、非常に純粋な想いでここまで来てくれたのです。そういったところも含めて、私は小夜さんが愛おしい。純粋で、ひたむきで、誠実で、強く、優しく、あたたかな、彼女が愛おしくてたまらないのです」

 

 鬼退治に来た理由に気づいているらしい、ということに思いを馳せる間もなく、こんな言葉を浴びせられた。凱はいつもの口調で語っていたが、いきなりであまりな言葉に、途中からまともに聞くことができなかった。

 恥ずかしいのを通り越して、頭の中のなにかがぶわっと膨れ上がる。焔は視線を宙に飛ばし、物凄い勢いで頬を掻いている。これはさすがにと思い、凱を軽く睨んだ。


 だが、あたしの照れ隠しの睨みは、彼の表情を前に脆く崩れ落ちた。

 凱はあたしを見て微笑んだ。

 胸を締めつけられるような笑顔。あたしはたまらなくなって俯いた。

 凱の静かな声が響く。


「でも、それだけのことです」


 憲が反論のためか声を出したが、それは言葉にならなかった。

 足元の草に降りた露が、蜂蜜色に輝いている。いつの間にか日の光が満ちはじめていた。


「鬼退治を成し遂げた後は、小夜さんは長様のお屋敷に戻り、今までと同じ日々を送る。そして私は妻を娶らないまま、今までと同じ日々を送る。それは、何も変わりません」


 凱が振り向いた気配がしたので顔を上げ、微笑んで頷く。


 あたしもそうなると思っている。あたしには昨夜の凱の言葉だけで充分過ぎるくらいだ。むしろ本当に嫁を取らなくていいんだろうかと思う。その気持ちに嘘はない。

 それなのに、心の臓が勝手にどろどろと低くとどろく。


「ところで先ほど憲は、今回のことと関係のない、小夜さんの昔の話を持ち出して責めようとしていましたね。あれは鬼退治をする仲間に対して、してはいけないことです」


 憲が曖昧に頷く。彼の表情は納得したように見えなかったが、それでもあたしに向かって小さく頭を下げた。

 あたしは目頭と鼻が熱く痛くなるのをこらえて微笑んだ。


 これでいいのだと思う。「今後は何も変わらない」なら、鬼退治後、皆が口をつぐめば「ないこと」にできる。

 「凱は『愛おしい』と思っているだけ」とも取れる言い回しは、あたしを守るためでもあるだろうし、独立するまで凱に仕え続ける憲や焔の立場のためでもあるだろう。

 それに、彼はあたしの想いを否定することは言っていない。


 あたしたちは荷物をまとめ、出発した。


 前を焔とあたし、後ろを凱と憲が歩く。空に昇る朝露の匂いに満ちた山道を、ひたすら歩く。

 あたしは痛む胸を拳で押さえつけ、脚に力を込めた。


 知らなかった。

 片恋かたこいの切なさよりも、相想あいおもいの痛みの方が、ずっと苦しいんだ。




 やがて緩やかな下り坂になった。

 焔が顔を寄せ、囁いてきた。凱と憲に聞こえないようにだろう。


「あの、ごめんな、小夜」

「え、何が」

「憲に、小夜や凱さんのことを喋っちまった。あくまで俺の勘って言ったし、あいつならわかってくれると思ったんだがな」


 返事のしようがなく、少し首をかしげてみる。


「あいつ、まだ恋を知らねえんだ。しかもああいう性格だってこともわかっていたのに」

「うん。でも、あの話題は終わったじゃない。だからもう、いいよ」


 目元に感情が現れないよう、口角をぐっと上げ、目を細めて笑う。


「凱が言ったでしょ。あたしたちはなんでもないの。これからも、ずっとさ」


 語尾が震えないよう、肩に力を入れる。焔は少し悲しそうな表情をした後、前を向いて声を上げた。


「まあなあ。しかしよ、蓼食う虫にもほどがあるぜ。こんな色気のねえがさつな女なんかをよお」


 腕を組み、わざとらしく首をかしげる。彼のこの態度はいつものことだ。あたしはいつも通り適当に流そうとした。

 だが、その時、気づいてしまった。


 そうだ。なんで今まで気づかなかったんだろう。あたしは外見も雰囲気もみさをさんと正反対だから、彼ならそう思うだろうなくらいにしか考えていなかった。


 焔は、ことあるごとに「色気がない」「がさつだ」と言う。

 そう。ことあるごとに。

 「色気がない」と、


「焔」

「おう」

「あんた、いい男だね。うすら不細工だけどさ」

 

 あたしの言葉に、焔はしばらく沈黙した。

 そしてにやりと笑い、「薄ら不細工たあ、絶妙な表現だな」と言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る