4 前夜の出来事

23 飛ぶ鬼

 地面を蹴る低い轟き。だが鬼の走る音ではないようだ。

 

「あれ、馬が駆けてくる音だよ」


 憲がほっとしたような表情で刀をおさめる。そう言われてみると、確かに馬が駆ける音だ。

 鬼が馬に乗るという話は聞いたことがない。だからこちらに向かっているのは、この辺りが行動範囲の人間か亜人だろう。それも一昨日遭ったような野盗の類ではなく。


 凱を見る。彼はじっと音のする方を見、誰に言うともなく呟いた。


人鬼ひとおに……」


 焔が頷く。あたしはほっとしかかった心を締め、構えなおした。

 一昨日の奴らの話を思い出す。そうだ、鬼よりも先に、正体のわからぬ「人鬼」に遭遇することもありうるのだ。


 音が近づく。木々の向こうから馬の姿が現れる。暴れだしそうになる心の臓を押さえつける。目に力を入れ、馬を見据える。

 やがて馬は、あたしたちの目の前で止まった。

 馬の上から声が降る。


「何をしに来たんですか」


 あたしたちを見下ろしているのは、人間の男だった。ぶっきらぼうな口調のわりに丁寧な言葉遣い。そして少し訛りがある。


 男は、馬に乗っていてもはっきりとわかるほど大きい。浅黒い肌をした顔の彫りは深く、縮れた髪は結っていない。焔は男を見て眉根を寄せたが、あたしは以前、こういう人を見たことがある。

 この人、異国びとだ。


「我々は訳あって旅をしております。道なりに歩いていましたところ、こちらにたどり着きました。もしこちらがあなた様の所有される山でしたら、勝手に立ち入りましたご無礼をどうかお許しください」


 異国人の男相手に、凱はいつもの口調でそう言った。それこそ、うっかり隣家の敷地に入ってしまった時のように。

 男はあたしたちを上から下までじろじろと眺めまわした後、ふんと鼻を鳴らした。


「これはわたしの山じゃありません。わたしはここを守っています。あなたたちが歩いていると言いました。仲間が言いました。向こうの山には野盗がたくさんいますから、気をつけなければなりません。あなたたちはれません」


 その言葉に、あたしたちは顔を見合わせた。

 とりあえず刀をおさめる。この男、身なりや雰囲気からして、おそらくただの大柄な異国人だ。どうしてこんな山奥にいるのかは知らないが。

 だが問題は、たとえ彼が善良な人間だとしても、この先に進めない、ということだ。


「なあ、あいつって……」


 焔が囁いてきたので、頷いた。


「あたし前に見たことある。異国の人間だよ」

「わあ、僕、初めて見た」


 凱は憲を一瞥したのち、男に声をかけた。


「我々は向こうの山をいくつか越えた先にある村より参りました。野盗のような者ではございません。どうか通していただけませんか」


 凱がそう言い終わったのとほぼ同時に、どこかから鉄砲の音がした。

 それまであたしたちをじろじろ見ていた男は、それを聞いて馬を降り、背中にくくりつけていた黒い鉄の筒を手に取る。


「ちょっと、待って。来ます」


 あたしたちそっちのけで鉄筒をいじりだす。筒の中になにかの粉と小さな玉を棒で押し込んだりしている。

 憲の耳がぴんと立つ。彼は目を細めて空を見上げた。


「なんだろう、あの音。鳥……」


 つられて空を見上げる。

 微笑むような青い空と、蜂蜜色の太陽。その向こうから、大きな影のような鳥がまっすぐこちらに向かっている。

 鳥の姿がどんどん大きくなる。真っ黒な翼を広げて、飛んでいるというより落ちてきているようだ。


 太陽の光に目が慣れると、ぼんやりと姿が見えてくる。

 何かを抱えている。二本の脚のようなものがだらりと伸びている。人を抱えているのか。鳥と思っていたものも、それと同じくらいの大きさだ。鳥人か。


 いや。違う。

 それはどんどん近づいてくる。異国人があたしの隣で煙の出る鉄筒を肩に構え、それに向ける。あたしは刀を抜いた。脚を踏ん張り、手に力を入れる。息が苦しい。歯を食いしばり、見据える。

 あれは鳥人じゃない。二頭の鬼が、こちらめがけて飛んできているのだ。


 その時、耳が弾き飛ばされるような轟音が響いた。

 それと同時に鬼は空中で大きく傾き、そのまま墜落する。

 轟音を出したのは鉄筒だ。筒の先から煙が立ち上っている。

 鉄筒は鉄砲だったのか、鬼は撃ち落されたのか、と考えている間に鬼どもはゆらりと立ち上がった。

 黒い翼の生えている方の鬼が大きく身震いする。翼は閉じられ、ふっとどこかに消え失せた。

 翼のない鬼が何かを言うと、もう一方の鬼が軽く頷く。

 二頭の目があたしたちを捉える。


 異国人が鉄砲に粉を詰め始めた。だが手が震えて粉をこぼしてしまう。何かを呟き、舌打ちをしている。あたしは刀を構えなおし、彼の前に立った。

 鬼があたしたちに向かって走り出す。


 ダッダッダッダッ、と足音が響く。

 翼のない鬼が大刀を振りかざす。

 そいつと目が合う。

 突風が吹き、頬を叩かれる。

 凱が飛び出す。

 光が走る。


 鬼が蛙を潰したような声を上げて動きを止める。

 鬼の纏った獣の皮が、斜めに大きく裂ける。

 だが動きを止めたのは一瞬だ。大刀を持ち直し、凱めがけて振り下ろす。

 あたしは鬼に向かって斬りかかった。柄をぎゅっと握って腕のあたりを狙う。刀を振る反動で体がねじれる。その勢いに体が持っていかれないように力を込める。

 もう、教わったばかりの刀の使い方とか、普段の素振りなんか全部吹き飛んでいた。


 鬼は凱と斬り結びながらもあたしの気配に気づいたらしく、避けられた。あたしの渾身の一撃は刃先がちょっとかすっただけだ。

 鬼があたしを横目で見る。

 

「ほらどうした鬼! ちったぁ、あたしにもかかってこいや!」

 

 大声を上げるとお腹に力が入り、胸を占める黒いどろどろとしたものが消えていく。


 ほら、こっちを向け。

 凱じゃなく、あたしを見ろ。

 そしてやいばをあたしに向けろ。


 鬼があたしに顔を向ける。

 その一瞬の隙に、凱の刃がひらめき鬼の背から血煙が吹きあがった。




 鬼はぴくりとも動かない。凱がたおしたようだ。自分の足元に鬼の血が流れてきたのを見て、全身が細かく震えだした。

 手から力が抜ける。刀を落としそうになるのをなんとかこらえる。


「こっちは俺らが斃したぜ。刀持っていなかったから楽勝だったな」


 焔は肩で息をしながら腰に手を当て、ふんぞり返った。その言葉に何か返そうと口を開く。


「あ……っ」


 だが口から漏れたのは、情けないほど震えた声だけだった。

 顔が冷たい。口がうまく動かない。視線を落とす。足のすぐそばまで血が流れている。鳩尾みぞおちの辺りから何かがこみあげてくる。

 気持ち悪い。


「小夜さん」


 凱が鬼を乗り越え、あたしの目の前に立った。彼の手が肩をそっと包み込む。


「あの時、どうしてあんなことを言ったのですか」

 

 口調は穏やかだが、目元が少し険しい。肩に置かれた手に力が入る。


「小夜さんが鬼に声をかけたおかげで、鬼に隙ができて斃せました。でも、あんな危険なことは……」


 語尾が微かに震えている。あたしは凱を見上げて微笑んだ。

 冷たくなっていた顔や手に、じわりと血が巡る。


「んなこと言ったって、鬼退治そのものが危険なんじゃないか。あのさあ、あたしのこと、鬼退治の仲間としてちゃんと認めて、活躍させてよ。あんまりあたしを甘やかすんじゃないよ」

「ですが」

「あ、あの」


 いつの間にか、異国人があたしたちのすぐそばに立っていた。鉄砲を手に、困ったような表情をしている。


「鬼を斃してくれて、ありがとうございます。えっと、坊やが今、鬼退治の仲間と言いましたね」


 男の言う「坊や」があたしを指していることに気づくまで、少々時間がかかった。男は自分の手についた黒い粉を着物になすりつけながら首をかしげた。


「野盗でない。向こうの村の人。刀を持っている。剣術の心得がある。鬼退治。一体、あなたたちは何者ですか」




 頭上で鳥が鳴いている。ぴちぴちと朗らかに鳴く鳥たちには、鬼がどう見えているのだろうと思う。

 あたしたちは緩やかな坂道を下りながら、馬上の男に自分たちのことを話した。


「――そのオササマなる人物は、おかしいですね」


 そんなことは百も承知だ。あたしたちが曖昧に頷くと、男は何度か大きく頷いた。


「あなたたちは勇気があります。でもこのままでは鬼退治は無理です。鬼退治をするなら、わたしたちの仲間に会ってください。いいお話ができるだろうと思います。どうぞ、わたしたちの町に来てください」


 なんとなく好意的な雰囲気にほっとする。うまくいけば屋根のある寝床を貸してくれるかもしれない。凱はにこやかに頷き、口を開いた。

 だが男は、凱の言葉を待たず、口角をぎゅっと上げて言葉を続けた。


「わたしたちの町は、野盗や、隣村の人は、『人鬼の里』と呼んでいます」

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