24 人鬼の里
人鬼、の言葉を聞いて憲が刀に手をかけようとする。凱はその手を抑えて異国人を見上げた。
「私たちは一昨日、野盗に襲われたのですが、その時彼らから『人鬼』という言葉を聞きました。そうしますとあなた様、ええと」
「レオンと呼んでください」
「失礼いたしました。レオンさんは、人鬼の住む町で暮らしていらっしゃるのですか」
「いいえ。わたしたちが人鬼だそうです」
自らが人鬼であると言うその様子は、からかっているようには見えない。彼の意図を図りかねて首をかしげる。
道がさらに広くなる。ざわざわと風が木々を揺らす。レオンは前を向き、眉間に皺を寄せた。
「わたしはこの辺りに住む人たちが、あまり好きじゃありません」
棘を含んだ声が木々のざわめきに吸い込まれる。
「わたしたちから買い物をするにもかかわらず、悪口を言います。あそこは人鬼の里だ、あいつらは人鬼だと言います。わざとわたしたちに聞こえるように言っているんだろうと思います。なぜ聞こえるように言うのか、わかりません。わたしたちは、ヒトなのに」
吐き捨てるような「ヒトなのに」の声が、胸の中に重く落ちる。
擦り傷のような沈黙が流れる。
それを断ち切ったのは焔だった。
「それなあ。あんたらの町の近くに住んでいる奴らだけじゃねえよ。いるんだよ、面と向かって言う勇気はないくせに、安全な場所に隠れてわざと大声で吠えやがる奴。悪口の対象が傷つくのは見たいが、そいつに殴られるのは嫌だ、ってことなんだろうな。俺もやられたことがある」
片頬を上げ、歪んだ笑みを浮かべる。
「俺はな、別にいいんだよ。悪口なんざ憲の屁みたいなもんだ。ああ臭え、でおしまいだよ。でもよ」
歪んだ笑みを浮かべたまま。拳を握る。
「鬼に攫われた人に向かって、『攫われるようなことをした方が悪い』って言う奴は許せねえ。絶対に、絶対に、許せねえ」
片頬が吊り上がり、拳が震える。あたしは彼の腕を握り、そっと揺すった。
無学なあたしには、こういう時にかける気の利いた言葉はない。だけど彼の心の中はわかる。なんの足しにもならないだろうけど、せめて今のあたしの気持ちだけでも受け取って、と思いを込める。
焔は俯いて、長い長い息を吐いた。
この場の空気を戻したのは、憲の冷静な声だった。
「おそれいります。あの、レオンさん。あなたのこと、まあ僕より大きいとか、異国人、というのはちょっとびっくりしましたけど、別に『鬼』という言葉がつくような方には思えないんですが」
レオンは憲に向かって微笑んだ。
「坊やは正直ですね。わたしは鬼じゃありません。みんな鬼じゃありません。でも、怖がられます。怖い理由は、町に来ればわかります」
馬の歩が少し早まる。「怖い理由」のある町に向かっている、というのは、少し怖い。
ただ、脚はさくさくと迷いなく歩き続けている。これから向かう先に、危険なものがないかのように。
それからさほど時は経っていないと思う。憲はあっと叫んで立ち止まった。
「また、あの匂いだ。ものが焼ける匂いと鉄瓶の匂い」
「だからよお、ものが焼けるはともかく、鉄瓶ってなんだよ」
「わかんないよ。熱した鉄でお湯を沸かす匂いだよ」
憲と焔のやりとりを聞いて、レオンは野太い声で吹き出した。
「それはわたしの町の匂いです。ものが焼ける匂いと、鉄瓶の匂いと、それと」
視界が開ける。緩やかな角を曲がると、それは徐々に姿を現した。
「潮の匂いがするでしょう」
レオンの指さす先を見て、あたしたちは思わず足を止め、前のめりになった。
坂をだいぶ下った所に、建物がぎっしりと立ち並ぶ町があった。
町、と呼ぶには少々狭い土地に、黒くて同じような形の屋根が、魚の鱗のようにひしめいている。それが民家なのはわかるが、あたしの知っている家の雰囲気とはどこか違う。
鱗みたいな家の群れから少し外れた場所には、大きな屋根の建物がいくつかある。そのどれもが、この距離で見てもあきらかにおかしいくらい大きい。長様のお屋敷より大きいんじゃないか。
建物には煙突がいくつも突き出しており、煙が勢いよく吐き出されていた。
町のすぐ先は崖になっているらしい。崖の向こうには、空よりも青い海が穏やかに揺れながら広がっていた。
町に近づくにつれて、憲の言っていた意味が理解できた。確かにものが焼ける匂いと、鉄の匂い、湿った匂いがする。
民家の間を通る。右を向いても左を向いても同じような形の黒い家で、くらくらする。しかしこの町で目を引くのは、建物よりも人間だ。
通りを歩いている人間は、着物こそ普通に見かけるものを着ているが、髪色も肌の色も、瞳の色も様々だ。凱みたいな金色の髪の人もいる。
皆、異国人なのだろうか。もしそうなら、簡単に「異国人」ってくくっちゃいけないんだな、と思う。
それにしても、どうしてこんな
彼らはあたしたちを見て何か話しているのだが、異国の言葉なのか、何を言っているのか全然わからない。
たまに「こんにちは」とか「かわいい」とか知っている言葉が聞こえると、なんだか耳がほっとする。
憲は完全に腰が引けていて、焔の着物をつかみながら大きな体を縮こまらせている。焔はきょろきょろとあたりを見回し、人々に遠慮のない目を向けている。
で、あたしはというと、憲の着物をつかみながら小さな体を縮こまらせていた。
そんな中、凱はいつもと同じ穏やかな顔で、近所を散歩しているときと同じ態度で歩いている。
人々の視線を思いきり集めながら、不思議な匂いのする路地を歩く。
やがてレオンは、民家の群れの奥にある大きな建物の前で止まった。
立派な建物のわりに貧相な門をくぐる。彼が戸を叩いて大声で何かを言うと、奥から「はぁい」という女性の声がした。
「はじめまして。旅の方なのね。どうぞどうぞおあがりくださいな」
建物から出てきたのは、使用人の着物を着た、あたしくらいの年恰好をした人間の女性だった。外見はあたしたちの国の人のように見える。
彼女の人懐っこい笑顔は感じがいいが、いきなり来た得体の知れない旅人をあっさり迎える警戒心のなさと、人間なのに使用人の格好をしていることに違和感を覚える。
焔や憲は露骨に警戒するようなそぶりを見せている。だが凱は少しためらいがちに頭を下げた。
「おそれいります。私どものような者にお心遣いいただき、ありがとうございます。ですが……」
「あ、いいのいいの気にしないで。ここはもともとソトの者とか、そういう考えのない人たちの集まりだから。なにせ人鬼だからねっ」
けらけらっと笑う女性の態度に、かえって腰が引ける。女性とレオンと凱を順に何度も見て、どうしたものかと考えを空回りさせる。
できれば建物の中に入りたい。足も洗いたいし、床に座りたいし、ごろっとできれば最高だ。でもそれではさすがに図々しすぎ、警戒心なさすぎだろうか。
そんなことを考えていると、どこかから微かに鉄砲の音のようなものが聞こえた。
振り返る。音はその後二回鳴り、止んだ。
「ああ、また出たのね」
女性が戸の向こうを見るように首を伸ばす。レオンはちらりと振り向き、肩をすくめた。二人ともさほど気に留めていないようだ。
「あのう……」
憲が眉根を寄せ、上目遣いでレオンに声をかけた。
「あれ、鉄砲の音ですよね。僕たち、ついさっき鬼に襲われたんですけど、今のも鬼を撃っていたんでしょうか」
「そうだろうと思います」
レオンの言葉を受け、憲は声を落とした。
「こんな昼間に、そんなに立て続けに鬼が出るものなんですか」
そうだ。確かにおかしい。鬼が出るのは日が落ちてからだ。もし昼間に何度も出たら、たまったものじゃない。
だが憲の言葉に、女性がけろりと答えた。
「そうよ。しょっちゅう。しょうがないわよ。この海の向こうに鬼ヶ島があるんですもの」
え、「鬼ヶ島」?
聞いたことのない言葉に頭が戸惑う。ただ、言葉の雰囲気からして、いかにも鬼がたくさん住んでいそうだ。
もしそうなら、あたしたちの目的の場所である可能性もある。
凱もそう思ったのだろう。咳き込むような勢いで前のめりになった。
「鬼ヶ島、ですか。そこはどういった島なのですか。鬼が棲んでいるのですか。どこにあるのですか」
すると女性は困ったように首を横に振った。
「さあ……。海の向こう、って言っても、どのくらい離れたところにあるのかもわからないし、どういった場所なのかもわからないの。誰も行ったことがないし。ただ、海の向こうのどこかに、鬼の棲む島がある、っていうのは確実なのだけどね」
皆で顔を見合わせる。
「海の向こう」では曖昧過ぎる。これでは「どこにあるのかわからない」とほぼ同じ意味だ。しかも誰も行ったことがないのなら、その話自体があやしい。
だが、ここみたいな昼間でも頻繁に鬼が出る町なんて、聞いたことがない。
レオンは鉄砲を手にし、凱に向かって口を開いた。
「ここは鬼がたくさん出ますから、自分たちで作った鉄砲で退治します。野盗も退治します。そうやってたくさんの人を助けています。皆、とても強いんです」
レオンが体を反らせて鼻をふくらませる。
そうか。
なにかが見えてきた、気がする。
鬼ヶ島の話は曖昧だし、彼らが人鬼と呼ばれる理由もはっきりとはしていない。けれども一つだけ、今やらねばならないことがはっきりとしている。
凱を見る。目が合い、互いに頷く。
凱は女性に向かって頭を下げた。
「入り口で長居してしまい、申し訳ないことでございます。改めてご挨拶申し上げます。私どもは、あの山をいくつか超えた先にある村より参りました。旅の目的は鬼退治です。ですが、私どもは鬼の居場所等、何も知りません。つきましては、急なことでご迷惑かと存じますが、鬼ヶ島のことなどにつきまして、お教え願えませんか」
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