第18話 鬼の棲む島

 この建物は町の人たちが寄合や飲み食いをする場所らしい。いくつかある部屋のうち、あたしたちは結構な広さの部屋に通された。

 凱もあたしたちも一緒くたに上座に座るよう促される。「比較的一番下座」に座るために三人で軽く揉め、あたしがその席を勝ち取った。


「じゃあ、町長まちおさを呼んでくるわね。しばらくかかると思うから、ゆっくりしていてくださいな」


 女性が部屋を出た後、室内の様子を窺う。


 それなりに使い込まれた部屋だが、長様のお屋敷ほどは時が経っていないだろう。「人鬼」と呼ばれる理由になりそうな恐ろしげなものも置いていなくて、べろっと床が広がっているだけ。本当にただの「大部屋」といった感じだ。

 あたしは胡坐あぐらをかいた状態で、土踏まずを拳でぐりぐりと押した。


「小夜お前、随分くつろいでんじゃねえかよ。多少は警戒心持っておけよ」

「だって脚疲れたんだもん。くつろげる時にくつろがないともったいないじゃないか」


 思いきり拳で押しても、疲れすぎて刺激が感じられない。草履の上から押しているみたいだ。

 すると今まですらりと座っていた凱が、憲の荷物を漁りだした。黒くて平べったい石を取り出して微笑む。


「小夜さん、お疲れでしょう。足裏から膝までの滞った気を流して」

「や、いいから! やんないからそれ!」


 凱の言葉を叩き潰して叫んだ。胡坐を崩して身を引き、脚をかばうようにして縮こまる。

 治療石の効果は知っている。あたしは特に効きやすいので、きっと疲れが取れるだろう。だけど絶対に凱の治療は受けたくない。

 だって。


「だってそれ、脚、出さなきゃいけないじゃないか……」


 膝を抱え、俯く。どくどくと血が頬に集まる。


 膝下に溜まった気の滞りを流すには、脚に直接石を当て、膝裏から足裏に向かって石の側面を滑らせる。これがまたよだれが出るほど気持ちいい。

 だがその際、膝から下の肌は治療者に晒すし、触れられる。

 晒すし、触れられるのだ。


 もじもじと脚を動かす。動かすことでさらに脚を意識してしまう。頭の隅から、凱の治療を受ける自分の姿が浮かび上がる。それと同時に掌の感触まで浮かび上がる。

 あたしの脚に触れる手。大きくて、ごつごつしていて、だけどきっとあたたか……。


 頭を思いきり横に振る。

 髪の生え際に脂汗が滲み、心の臓が口からごろりと転がり落ちそうになる。

 わかってはいる。これはあくまで治療だ。変に意識する方がはしたないのだ。


「やれやれ。それでは、しかたがありませんね」


 凱は困ったように眉を下げた、不思議な笑みを浮かべて石をしまった。

 彼の純粋な好意を、変な形で蹴飛ばしてしまった自分を蹴飛ばしてやりたい。でも無理なのだ。


 そんなことをしていたら、部屋の向こうから足音がした。長様に相当する人が来たのかもしれない。慌てて出迎えの姿勢を取る。


 開け放たれたままの入り口から、さっきの女性と一緒に大柄な男性が入ってきた。




 その人が入ってきた途端、部屋の空気が一気に押しつぶされたような気がした。


 大きい。とにかく大きい。レオンもかなり大きかったが、この人は縦だけじゃなく横も大きい。あたしなんか、彼の鼻息一つでもとの村まで吹き飛んでしまいそうだ。

 レオンとはまた違った雰囲気の異国人だ。もさもさの髭に埋もれた口がぐわりと開く。


「やあ、はじめまして。私がここの町長です。話は先ほどのレオンやこちらのれいから聞きましたよ。勇敢ですな。だが無謀すぎる」


 少し訛りのある大声で、のっけからこう来られた。ただ、見た目は威圧感があるが、話し方は気さくで少しほっとする。

 凱は丁寧に挨拶をした後、鬼退治をすることになった経緯から今日までのことを話した。


 凱が話している間中、町長と麗さんは並んでじっと耳を傾けていた。時折相槌を打ったり、問いを投げかけたりはしたが。

 彼らの姿を見ていると、なんだかよくわからない違和感のようなものを覚える。

 しばらくして、それがなぜなのか気づいた。


 町長が凱の話を最後まで聞いている。

 人の話を最後まで聞かない長様に慣れていたから、こういう偉い人が、どこの誰だかわからないような人の話をきちんと聞いていることに、違和感を覚えたのだ。

 そして麗さんも変わっている。人間なのに使用人の格好で、そのくせ町長の隣に座り、同じような態度で話を聞いている。

 凱と焔や憲もかなり主従の関係が曖昧だが、それ以上だ。


「ひどいですなそれは! 要するに追い詰められて目的地のわからないまま鬼退治をするはめになったわけですな!」


 町長たちの観察をしながらぼんやり話を聞いていたら、いきなり町長の大声が耳に響いた。思わずびくりと身を震わせてしまう。


「そうよそうよ。鬼ヶ島のことも知らない状態でこんなことさせるなんて、悪意しか感じられないわ! それに」


 麗さんはあたしの方へにじり寄り、顔を近づけてきた。


「こんなかよわい女の子に鬼退治させるなんて」


 間近に迫る顔にたじろぎながらも、なんとか反論を試みる。麗さんはあたしが長様に鬼退治を押し付けられたように思えたのだろうか。確かに退路は断たれたが、それではちょっと長様に申し訳ない。


「あ、あの、鬼退治に行くっていうのは、あたしが勝手に行きますって手を上げたんです。それに見た目はこんなですけど、あたし、かよわくないですよ」


 そう言うと麗さんは町長の隣に戻ったが、あたしの言葉に納得したようには見えない。麗さんが顔を上げたとき目が合ったので、微笑んでみる。

 町長は軽く身を乗り出し、凱を覗き込むように見た。


「私が鬼退治を無謀だと言った理由は二つあります」


 町長の言葉に、凱が床に片手をつき、前のめりになる。


「一つは単純に人不足です。あなたたちは鬼の数や強さを甘く見ている。四人でどうこうできるものではないですよ」


 それはわかっている。皆で頷く。そこで町長は声を落とした。


「二つ目。仮にあなたたちが鬼を超える強さを持っていたとしても、鬼ヶ島へ行くことはできません」


 ぱちぱちと瞬きをする凱をさらに覗き込む。


「私たちは、鉄砲や大砲など様々な武器を持っています。まあ、いくさを企てている人たちにそれらを売りさばくことで、町が成り立っていますしな。それに猛者も多い。だから何度も鬼ヶ島へ乗り込むことを試みましたよ。でも、無理でした」

「それはなぜでしょう。場所の見当がつかないくらい遠いとか」

「いや、そもそも島にたどり着きようがないのです」


 麗さんに顔を向ける。彼女が話を引き取った。


「さっきもちょっとお話しましたけれども、『鬼ヶ島』は、あるのよ。退治した鬼が何頭か言っていたしね。でも誰も行ったことがないの。あの崖の向こうの海、穏やかそうなんだけれど、船を出してしばらくすると、変なふうに渦を巻いているの。だからどの方向からも先に進めないのよ」


 その言葉に、あたしと焔、憲は同時に凱を見る。だが凱は黙って首を横に振った。

 凱でも、その渦がどういうものか知らないらしい。


 あたしは勿論、潮だの波だののことなんかわからない。うっすらと、海で渦を巻くところがある、というのは聞いたことがあるが、それってどうやっても船が先に進めないほど、あっちこっちでぐるぐるしているものなのだろうか。


 凱と町長が、揃って何かを考えるように下を向く。

 沈黙が流れる。


 昼下がりの、薄橙色の光が部屋に満ちている。外からは時折、金物を叩く音や、鍋を火の上にひっくり返した時のような音が聞こえる。

 あたしはこの沈黙をどうしたらいいのかわからず、部屋の中を見回しながら肩を丸めて座っていた。




「初対面の方に、こういうお話を持ち掛けるのもどうかと思っていたのですがね。実は今、我々は新しい手を考えているところではあるのです」


 長い沈黙の後、町長はそう言って一度息をのんだ。


「新しい手、ですか」

「そうです。鬼ヶ島へ向かう手段ですな。もとは私の子供が言い出したことです。『舟で渡れないんなら、空を飛べばいいじゃないか』というね」


 町長の言葉に、凱は優しい微笑を向ける。だが町長は真顔のまま言葉を続けた。


「まあ、そういう顔をされるだろうと思いました。いやいや、私は真面目にものを言っております。なあ麗」

「そうですね。って、ああ、あのね、今の話、別に人間が自力で空を飛ぶわけじゃないのよ。ちょうじん」


 そこで麗さんは言葉を切り、ちらりとあたしを見、俯いた。

 全部言わなくてもわかる。「鳥人じゃあるまいし」みたいなことを言いかけたのだろう。なんだか気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない。あたしのほうから口を開いてみる。


「鳥人とか、さっき見た鬼みたいに、翼を生やして空を飛ぶわけじゃない、ってことですかね。じゃあどうやって飛ぶんでしょう」

「人が乗れる、巨大なききゅうを使うんです」


 町長がそう言うと、凱は見開き、固まったように町長の顔を見た。町長はそんな凱の瞳を覗き込む。

 あたしは町長の言う「ききゅう」が何かわからず、愉快な顔をして見つめあっている二人を眺めるしかなかった。


 遠くから金物を叩く音がする。


「き……気球に、人を乗せて、行くのですか。その、鬼ヶ島へ」


 ようやくひねり出したような声で、凱が問う。町長が腕を組んで頷いた。


「そうです。私たちの技術を使って、人が何人も乗れる気球を作りました。ただ、まだ実際に飛んだことはないので、うまくいくかはわかりません」

「そうですよね……いや、そうですか。あの、もしよろしければ、その気球を見せていただけませんか」

「勿論ですとも」


 なにやら「ききゅう」なるものを見ることになったらしい。それって空を飛ぶ手段かなにかなのだろうか。

 もしそうなら、ちょっと怖い気がする。鳥人が飛ぶのが怖いなんて情けないけれど、まともに空を飛んだことがないんだからしょうがない。


「ちょっと凱さん、俺ら置いて、なに話進めてるんですか。なんですかその『ききゅう』ってのは」


 焔の問いに凱が口を開いた時、部屋の入り口から人の声がした。

 かぼそい女性の声。それを聞いて、麗さんが早足で入り口に向かった。


「ちょっと、どうしたの。こちらは大丈夫だから。ゆっくり休まなきゃだめよ」

「すみません……。えっと……。町長様の、お客様がいらしていて」

「ああ、そうだったわ。あの人ね。ありがとう。ごめんなさいね無理させちゃって」


 町長に約束の客でも来たのだろうか。入口に目を向けていると、麗さんの体の向こうから、女性の姿が見えた。

 よく見えないが、華奢な、青白い顔色の人だ。座り込み、背を丸め、手で体を支えている。


 あれ? あの人、なんか見たことある……わけないよな。


 あたしの頭の中の疑問が固まる前に、焔の口から耳を突き刺すような甲高い叫び声が聞こえた。


 突然のことに、皆が一斉に焔を見る。彼は立ち上がるのももどかしいように、脚をもつれさせ、転がるように走って入り口に向かった。

 勢いあまって入り口で転ぶ。苦しそうに息を吸う。這いながら麗さんを押しのけ、入り口の女性の肩を掴む。

 何度か大きく息を吸う。

 女性が顔を上げる。


 焔が、吐き出した息の隙間から叫び声を上げる。


「みさを……!」

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