25 鬼ヶ島

 この建物は町の人たちが寄合や飲み食いをする場所らしい。いくつかある部屋のうちの一つに通された。


「じゃあ、町長まちおさを呼んでくるわね。しばらくかかると思うから、ゆっくりしていてくださいな」


 女性が部屋を出た後、室内の様子を窺う。


 それなりに使い込まれた部屋だが、長様のお屋敷ほどは時が経っていないだろう。本当に「大部屋」といった感じの、ただひたすら床がべろっと広がっている部屋だ。

 あたしは胡坐あぐらをかいた状態で、土踏まずを拳でぐりぐりと押した。


「小夜お前、随分くつろいでんじゃねえかよ。多少は警戒心持っておけよ」

「だって脚疲れたんだもん。くつろげる時にくつろがないともったいないじゃないか」


 思いきり拳で押しても、疲れすぎて刺激が感じられない。草履の上から押しているみたいだ。

 すると今まですらりと座っていた凱が、憲の荷物を漁りだした。黒くて平べったい石を取り出して微笑む。


「小夜さん、お疲れでしょう。足裏から膝までの滞った気を流して」

「え、や、いいから!」


 咄嗟に叫びながら胡坐を崩して身を引き、脚をかばうようにして縮こまる。

 あの治療石の効果は知っている。あたしは特に効きやすいので、きっと疲れが取れるだろう。だけど絶対に凱の治療は受けたくない。

 だって。


「だってそれ、脚、出さなきゃいけないじゃないか……」


 膝を抱え、俯く。どくどくと血が頬に集まる。


 膝下に溜まった気の滞りを流すには、脚に直接石を当て、膝裏から足裏に向かって石の側面を滑らせる。これがまたよだれが出るほど気持ちいい。

 だがその際、膝から下の肌は治療者に晒すし、触れられる。

 晒すし、触れられるのだ。


 もじもじと脚を動かす。動かすことでさらに脚を意識してしまう。頭の隅から、凱の治療を受ける自分の姿が浮かび上がる。それと同時に掌の感触まで浮かび上がる。

 頭を思いきり横に振る。髪の生え際に脂汗が滲み、心の臓が口からごろりと転がり落ちそうになる。

 わかってはいる。これはあくまで治療だ。変に意識する方がはしたないのだ。


「やれやれ。それでは、しかたがありませんね」


 凱は眉の下がった不思議な笑みを浮かべて石をしまった。

 彼の純粋な好意を変な形で蹴飛ばしてしまった自分を蹴飛ばしてやりたい。でも無理なのだ。


 そんなことをしていたら、部屋の向こうから足音がした。長様に相当する人が来たのかもしれない。慌てて出迎えの姿勢を取る。

 開け放たれたままの入り口から、初老の男性が入ってきた。




 その人が入ってきた途端、部屋の空気が一気に押しつぶされたような気がした。

 大きい。とにかく大きい。レオンもかなり大きかったが、この人は縦だけじゃなく横も大きい。あたしなんか、彼の鼻息一つでもとの村まで吹き飛んでしまいそうだ。

 レオンとはまた違った雰囲気の異国人だ。もさもさの髭に埋もれた口がぐわりと開く。


「やあ、はじめまして。私がここの町長です。話は聞きましたよ。勇敢ですな。だが無謀すぎる」


 僅かに訛りのある大声で、のっけからこう来た。ただ、見た目は威圧感があるが、話し方は気さくで少しほっとする。

 凱は丁寧に挨拶をした後、鬼退治をすることになった経緯から今日までのことを話した。


 凱が話している間中、町長はじっと耳を傾けていた。時折相槌を打ったり、問いを投げかけたりはしたが。

 彼の姿を見ていると、なんだかよくわからない違和感のようなものを覚える。

 しばらくして、それがなぜなのか気づいた。


 町長が凱の話を最後まで聞いている。

 人の話を最後まで聞かない長様に慣れていたから、こういう偉い人が、どこの誰だかわからないような人の話をきちんと聞いていることに違和感を覚えたのだ。


「ひどいですなそれは! 要するに追い詰められて目的地のわからないまま鬼退治をするはめになったわけですな!」


 町長の観察をしながらぼんやり話を聞いていたら、いきなり大声が耳に響いた。思わずびくりと身を震わせてしまう。

 町長はぎょろりとあたしを見た。


「しかもこんなかよわい女性に鬼退治をさせるなんて」


 大迫力の顔にたじろぎながらも、なんとか反論を試みる。町長はあたしが長様に鬼退治を押し付けられたように思えたのだろうか。確かに退路は断たれたが、それではちょっと長様に申し訳ない。


「あ、鬼退治に行くっていうのは、あたしが勝手に行きますって手を上げたんです。それに見た目はこんなですけど、あたし、かよわくないですよ」


 そう言うと町長は曖昧に頷いたが、あたしの言葉に納得したようには見えない。まだ何かを言いたげだったが、微笑みを浮かべて続く言葉を拒んだ。

 町長はあたしの話を続けることをあきらめたのか、凱の方へ軽く身を乗り出し彼の顔を覗き込んだ。


「私が鬼退治を無謀だと言った理由は二つあります」


 町長の言葉に、凱が床に片手をつき、前のめりになる。


「一つは単純に人不足です。あなたたちは鬼の数や強さを甘く見ている。四人でどうこうできるものではないですよ」


 それはわかっている。皆で頷く。そこで町長は声を落とした。


「二つ目。仮にあなたたちが鬼を超える強さを持っていたとしても、鬼ヶ島へ行くことはできません」


 瞬きをする凱をさらに覗き込む。


「私たちは、鉄砲や大砲など様々な武器を持っています。まあ、いくさを企てている者にそれらを売りさばくことで、町が成り立っていますしな。それに猛者も多い。だから何度も鬼ヶ島へ乗り込むことを試みましたよ。でも、無理でした」

「それはなぜでしょう。場所の見当がつかないくらい遠いとか」

「いや、そもそも島にたどり着きようがないのです」


 軽く息をつき、腕を組む。


「退治した鬼が何頭か言っておりましたので、『鬼ヶ島』は、あります。でも誰も行ったことがないのです。あの崖の向こうの海は一見穏やかそうなのですが、船を出してしばらくすると、変なふうに渦を巻いているのですよ。だからどの方向からも先に進めないのです」


 その言葉に、あたしと焔、憲は同時に凱を見る。だが凱は黙って首を横に振った。

 凱でも、その渦がどういうものか知らないらしい。


 あたしは勿論、潮だの波だののことなんかわからない。うっすらと、海で渦を巻くところがある、というのは聞いたことがあるが、それってどうやっても船が先に進めないほど、あっちこっちでぐるぐるしているものなのだろうか。


 凱と町長が、揃って何かを考えるように下を向く。

 沈黙が流れる。


 昼下がりの、薄橙色の光が部屋に満ちている。外からは時折、金物を叩く音や、鍋を火の上にひっくり返した時のような音が聞こえる。

 あたしはこの沈黙をどうしたらいいのかわからず、部屋の中を見回しながら肩を丸めて座っていた。




 長い沈黙の後、町長は一度唇を固く結んだのち口を開いた。


「初対面の方に、こういうお話を持ち掛けるのもどうかと思っていたのですがね。実は今、我々は新しい手を考えているところではあるのです」

「新しい手、ですか」

「そうです。鬼ヶ島へ向かう手段ですな。もとは私の子供が言い出したことです。『舟で渡れないんなら、空を飛べばいいじゃないか』というね」


 町長の言葉に、凱は優しい微笑を向ける。だが町長は真顔のまま言葉を続けた。


「まあ、そういう顔をされるだろうと思いました。いやいや、私は真面目にものを言っております。ああ、別に人間が自力で空を飛ぶわけではありませんよ。ちょうじん」


 そこで町長は言葉を切り、ちらりとあたしを見、俯いた。

 全部言わなくてもわかる。「鳥人じゃあるまいし」みたいなことを言いかけたのだろう。なんだか気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない。あたしのほうから口を開いてみる。


「鳥人とか、さっき見た鬼みたいに、翼を生やして空を飛ぶわけじゃない、ってことですかね。じゃあどうやって飛ぶんでしょう」

「人が乗れる、巨大なききゅうを使うんです」


 町長の言葉に、凱は目を見開いて固まった。町長はそんな凱の瞳を覗き込む。

 あたしは町長の言う「ききゅう」が何かわからないので、愉快な顔をして見つめあっている二人を眺めるしかなかった。

 遠くから金物を叩く音がする。


「き……気球に、人を乗せて、行くのですか。その、鬼ヶ島へ」


 ようやくひねり出したような声で、凱が問う。町長が大きく頷いた。


「そうです。私たちの技術を使って、人が何人も乗れる気球を作りました。ただ、まだ実際に飛んだことはないので、うまくいくかはわかりません」

「そうですよね……いや、そうですか。あの、もしよろしければ、その気球を見せていただけませんか」

「勿論ですとも」


 なにやら「ききゅう」なるものを見ることになったらしい。それって空を飛ぶ手段かなにかなのだろうか。

 もしそうなら、ちょっと怖い気がする。鳥人が飛ぶのが怖いなんて情けないけれど。


「ちょっと凱さん、俺ら置いて、なに話進めてるんですか。なんですかその『ききゅう』ってのは」


 焔の問いに凱が口を開いた時、部屋の入り口から人の声がした。

 かぼそい女性の声。それを聞いて町長が少し驚いたような表情を浮かべた。


「町長様、すみません……。えっと……。町長様の、お客様がいらしていて」

「ああ、そうだった。あの人ですな。ありがとう。すみませんな、具合の悪いところ無理させてしまって。休んでいてください」


 町長に約束の客でも来たのだろうか。入口に目を向けていると女性の姿が見えた。

 華奢な、青白い顔色の人だ。座り込み、背を丸め、手で体を支えている。


 あれ? あの人、なんか見たことある……わけないか。


 あたしの頭の中の疑問が固まる前に、焔の口から耳を突き刺すような甲高い叫び声が聞こえた。


 突然のことに、皆が一斉に焔を見る。彼は立ち上がるのももどかしいように、脚をもつれさせ、転がるように走って入り口に向かった。

 勢いあまって入り口で転ぶ。苦しそうに息を吸う。入り口の女性の肩を掴む。さらに何度か大きく息を吸う。

 女性が顔を上げる。


 焔が、吐き出した息の隙間から叫び声を上げる。


「みさを……!」

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