14 こわい

 胸の血が、どろりと蠢く。

 あたしは反射的に体をこわばらせた。


「野郎ばかりだろうが」

「ばかめ。あの髪が長いの、なかなかいい女だよう」


 首をかしげ、ぎらぎらと脂ぎった目玉で、舐めるようにあたしを見る。

 

 ああ、まただ。この目。


 あたしの頭の奥から昔の記憶が這い出す。


 ――サアサアそこの兄さん見てらっしゃい、嘴のない半鳥人娘だヨゥ。


 記憶を振りほどこうと目の前の男を睨む。

 今はそれどころじゃない。あたしたちには鬼退治という大仕事がある。こんなしょうもない奴らに構っている場合ではないのだ。それはわかっている。

 だが目の前の男の先に、見世物小屋の客が重なる。


 ――ここにいるのは人間と鳥人の汚れた交わりによって生まれた子。妻子ある人間の男を狂わせた鳥人女の美貌を受け継ぐ娘の姿に、あなたは惑わされずに小屋を出られるかッ。


 「亜人と人間の交わり」という禁忌の果てに生まれた子、という「設定」に乗せられ、あたしに群がる男ども。

 みんな、こんなぎらぎらと脂ぎった目をしていた。穢い言葉や、安っぽい同情の言葉をかけながら、なんとかあたしを触ろうと柵の隙間から手を伸ばしてくる。


 どうして、いつもいつもこんな目をされるのだろう。

 どうして、みんなこんな目であたしを見るのだろう。


 どうして。

 どうして。


 ……こわい。


 ふっと視界が狭くなる。

 凱の背中がぎらぎらした目を遮る。


 彼はあたしを庇うようにさりげなく動いた。刀を構えず、かといって腰が引けているわけでもない。発した声も、いつもと変わらぬ穏やかな口調だ。


「ここに女性はおりませんし、私たちの刀は古物屋で求めた安物です。多少の金でしたらありますので、もしご入用でしたら差し上げます。それでお引き取り願えませんか」


 懐から金の入っているらしい小さな袋を取り出す。男どもはそれを見て互いの顔を見合わせ、薄く笑った。

 一人が一歩前に出る。


「それっぽっちの小遣いなんかいらねえよう。女を寄越せ。そしたらお引き取りってやらあ」


 刀を持つ手と反対側の手をあたしの方に差し出し、もう一歩前に出る。他の男どもが刀を構える。


 自分の手が刀の柄を握っているのはわかる。それなのに、腕が動かない。

 頭の中が白くなる。


 あたしが捕まれば、他の皆は逃げられるんじゃないか。


 思考がすこしずつ痺れ、濁っていく。


 こんな奴らに、凱たちがやられるわけにいかないよね。

 あたし、鬼退治に行っても邪魔なんじゃないの。

 だったらここで捕まったほうが。


 どうせあたしなんか。

 役立たずの。


「今すぐ立ち去れ。これ以上近寄れば斬る」


 濁った脳天を殴るような鋭い声が響く。

 それが凱の口から出たということに気づくまでに、少しの時間を要した。


 あたしに向かって手を伸ばしていた男は、凱の剣幕に一瞬ひるんだ様子を見せた。だがすぐにもとの表情に戻り、両手で刀を構える。


「うるせえ小僧、気取りやがって」


 刀を振り上げる。

 空気を切る風がよぎる。

 次の瞬間、引き裂くような悲鳴とともに、男の手首が宙を舞った。


 手首は鮮血の弧を描き、力なく地面に落ちる。

 何が起きたのか、いつ男の手首が斬り落とされたのか、あたしの目は捉えることができなかった。

 ただ、気がついたときには、凱が静かに刀を鞘に収めていた。


「近寄れば斬ると言った。立ち去るか、私の刀の錆になるか」


 憲と焔が刀を抜く。凱の背中から殺気が陽炎のように立ち上る。

 男どもの空気が変わる。斬られた手首を抱えた男は、わめきながら這いずって後退した。

 冷たい風が頬を刺す。


「こ……の野郎」


 二人の男が同時に凱に向かってくる。あぶない、助けなきゃ、と思い、刀を抜く。

 だがあたしが刀を構えた時には、凱の刀が正面の男の胴を大きく裂いていた。

 絶叫が風に乗って吹き飛ぶ。もう一人の男の刀を凱が弾き飛ばし、その勢いで男は後ろに倒れ込んだ。

 凱は倒れた男の上に馬乗りになり、血に濡れた刀を男の首筋に当てた。


「立ち去れ。さもなくばお前が失うのは、この首だ」


 男の垢じみた首を、僅かに刃が滑ったらしい。男は甲高い叫び声を上げた後、鼻息のような声にならない返事を何度も繰り返した。

 凱が立ち上がる。男どもは胴を斬られた奴を支えながら、茂みの中に消えていった。


 あとには、草に吸い込んだ血だけが残っていた。




 男どもが出てきてから今まで、さほど時は経っていないと思う。

 だが、あたしはそのわずかな時に起きた出来事を、なかなか理解できないでいた。

 抜けかけた魂を体に戻し、頭の中を必死に動かそうとする。

 手に持ったままの刀を鞘に戻す。その姿を見、ようやく頭が動きだした。


 凱が、男どもを斬り、あたしを助けてくれた。

 凱が。

 手首を斬り落とし、胴を斬り、刀を弾き飛ばし。

 血に濡れた刀で。

 凱が。


 優しく、人当たりが柔らかで、女子供にも丁寧に接し、書を好み、争いを避け。

 お天道様のような。


「小夜、さん」

 

 刀を収めた凱は、あたしの腕にそっと触れた。陽炎のような殺気はどこかに消え、語尾が僅かにかすれている。


「お怪我は、ありませんか」


 あたしに触れた手が震えている。蜂蜜色の瞳があたしを映している。

 何度も頷く。情けなさが目頭を痺れさせる。


「全然、なんでもない。ごめん、ごめんなさい凱。あたし、あたしってば、なんの役にも」

「ああ……」


 大きな息を吐き、彼はあたしを柔らかく抱きしめた。

 反射的に心の臓が飛び跳ねる。だがあたしを抱きしめる凱の腕は震え、血の臭いを含んでいた。


「こわかった……」


 腕に力が入る。

 吐息が首筋を撫でる。


「小夜さんが、奴らの手に掛かったら。小夜さんが、ここからいなくなったら。小夜さんを、守ることができなかったら。そう思うと、こわくて……こわくて」


 震える腕と胸のぬくもりが、体の奥にゆっくりとしみこんでいく。

 そのぬくもりは、こわばったあたしを溶かした。それなのに、お腹の中には黒い悲しみがしくしくと降り積もっていった。


 空の橙色が、静かにあたしたちを見ていた。

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