4 初めての優しさ

 赤ん坊のころ川に捨てられていたのを、見世物小屋の親父に拾われたこと。

 「人間と鳥人の汚れた交わりによって生まれた子。妻子ある人間の男を狂わせた鳥人女の美貌を受け継ぐ娘の姿に、あなたは惑わされずに小屋を出られるか」みたいな適当な売り文句とともに、様々な土地を転々とし、行く先々で好奇の目に晒されてきたこと。

 ある時から翼が腐り始め、ついにはなくなってしまったこと。

 そして人間と同じ外見になってしまったあたしは捨てられ、鬼に食われるところだったこと。


 奥様があまりにじっと聞いているものだから、あたしは話しながらだんだん不安になってきた。


 こんな話、聞いても面白くないだろう。なにも赤ん坊の頃から遡って話すこともなかったか。面倒くさい娘を助けてしまったと思っただろう。どうしよう、ひととおり話したらすぐに家を出よう。でもお礼しないといけないなあ。どうしよう……。


 いろいろ考えながらも、べらべらと話す。後になって思うのだが、おそらくあたしは、「人に話を聞いてもらう」ことに飢えていたのだろう。


 ひととおり話し終わり、奥様を見る。

 奥様はあたしを見つめている。

 その瞳は、潤んでいる。

 そしてひとつ大きく頷いた。


「分かった。ではしばらくこの家でゆっくりするといいわ。元気になったらあなたの仕え先を探しましょう。申し訳ないけれどこの家は人が足りているから、そうね、長様のところなら、受け入れてくださるかもしれない」


 見世物小屋でたまに掛けられた、安っぽい同情の言葉はなかった。そのかわり、あたしが「普通の」亜人として生きるための話をしてくれる。

 奥様は襖のほうに顔を向け、声を上げた。


「凱さん、そこにいるんでしょう。盗み聞きなんかしていないで入っていらっしゃい」


 襖の向こうから「うおっ」という低い声が聞こえた。

 襖が開く。


「失礼いたします」


 襖の向こうから、陽の光が射したかと思った。


 襖の向こうで優雅な座礼をしていたのは、あたしと同じくらいの歳の男の子だった。

 奥様と同様、地味なのに育ちの良さがにじみ出ている姿。顔を上げ、あたしを見てほっと息をつき、微笑んだ。


 だがその時、あたしは彼の髪と瞳に目が行っていて、言葉を発することができなかった。

 彼の髪と瞳は、深い金色に輝いていた。


「出水 凱と申します。この家の長子です。しばらくこちらにいらっしゃるのですね。それなら、どうぞ凱と呼び捨てて、友達として気軽に声を掛けてください」


 今まで掛けられたことのないような丁寧な口調で、さらりと無理を突きつけてくる。


「あ……。あの、できない。あの、あたし、お世話になれない。申し訳ない。お礼できない。呼び捨てできない。えと、あの、おそれおおい」

「いやあねえ。そんなこと気にしないの」

「そうですよ。それに畏れ多いなんて。私はあなたと同じなんです。ね」


 奥様と坊っちゃんは同時に笑った。


「実はね、この子も川に流されていたのよ。ちいさな舟に乗せられて」


 奥様がいとおしそうに坊っちゃんを見る。


「舟の中を見たら箱があってね。開けてびっくり。ふわあーって辺り一面に桃の香りが広がって、中には真っ白な産着にくるまったこの子がいたの。ねえ凱さん、あの香りはなんだったの」

「そんな。わかりませんよ」


 穏やかに笑いあう。

 幸福とはこういうものだ、と突きつけられた気がする。

 全然、同じなんかじゃない。

 たまらなく惨めになって、唇を噛む。


 その唇に、奥様はそっと触れた。


「ここは田舎だから、いろいろ閉鎖的なの。だからあなたにとって少し厳しいところがあるかもしれないけれど、気にすることはないわ。この子の髪も瞳も、あなたの唇も、とっても素敵よ」


 あたしの目を見て、頷く。坊っちゃん……凱は身を乗り出した。


「せっかく助かったのですから、これからはこの村で楽しく暮らしませんか。大丈夫。なにかありましたら、また私が守りますから」


 どん、と胸を叩く凱を見て、奥様はぷっと吹き出した。


「まあ凱さんってば、この子が可愛いからって見栄はっちゃって。さっきはほとんどえんやお父様たちが」

「そっそんなことはないですっ! わ私だって、えっと、ちょっとは」


 凱はしばらく何かをもごもご呟いていたが、やがてぷいっと部屋を出ていった。

 凱の足音が聞こえなくなると、奥様は顔を寄せて囁いた。


「さっきね、急にあの子が立ち上がって、『誰かが鬼に襲われている』って言って木刀片手に外に飛び出したの。。だけどあの子、剣術がどうしようもなく下手でね。結局、ほとんど役にたたないまま、うちの他のものたちが追い払ったってわけ」


 奥様はそう言って笑ったが、あたしは申し訳なさで心がいっぱいになっていた。


 あたしなんかのために、何人もの人が鬼を追い払ってくれたのか。

 そして凱は、あたしを助けるために鬼に向かってくれたのか。

 剣術が苦手だというのに。

 

 

 

 あの日以来、あたしは体を鍛え続けている。

 自分の身を守るために。

 自分より弱い人を守るために。

 そして、あたしのせいで大切な人を傷つけないために。


 その後、暮らしは安定したが、こんな見た目と立場なので、まあ、色々とある。

 だからすり寄る奴には噛みつくし、拳を振るうことだってある。

 出水家の人たちは特別なのだ。

 凱は、特別なのだ。


 だからあたしは、こうやって生きていく。

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