2 鬼退治の旅へ

5 桃の簪

「小夜ちゃん、まだあ?」


 背後から使用人仲間に声をかけられて手を止める。やだあたし、一体どのくらいの時間鏡を占領していたのだろう。

 後ろを見ると、鏡が空くのを待つ仲間たちがずらりと揃っている。あたしはべこべこと頭を下げながら這うように鏡の前を立ち去った。


 去り際にもう一度、鏡の端に映る自分を見る。

 縛っただけの髪に古着を鳥人用に仕立て直した着物。ほかの人たちみたいに髪を結ったり新品の着物を買おうなんて思わない。

 無駄に男受けする外見のせいで、物心ついたころから嫌な思いしかしてこなかった。だからなるべく「美しさ」から遠ざかるようにしているのだ。


 髪に手をやる。

 うん。丁寧にいた髪は、つやつやと黒く輝いている。

 微笑んでみる。

 うん。悪くないんじゃないか。


 首を横に振る。何が悪くないというのだ。あたしは長様の使用人として恥ずかしくない程度に、身なりを整えていればそれでいいのだ。

 胸の痛みを握りつぶし、お子様たちのもとへ向かう。


 今日は、出水の旦那様と一緒に、凱がお屋敷に来る。


 


 外に出ると、空はどこまでも青く澄みわたっていた。

 陽の光は地上のすべてのものを穏やかな蜂蜜色で包み込んでいる。歩いていると、頭のてっぺんがほかほかと温まってくる。

 こんなにいい天気なのだから、お屋敷から出て思いきり息を吸いたい。あたしはお稽古のない、小さなお子様たちを連れて、お屋敷のそばにあるちょっとした広場へ行った。


「小夜、おれらといくさごっこしようぜえ」


 「しようぜ」と言った時にはすでに戦は始まっている。あたしは坊ちゃんの小枝の刀に盛大に斬られたふりをした後、空気の刀を握って反撃に向かった。


「ふっふっふ、甘いな若造。わしがこれしきのことでたおれるとでも思ったか。食らえ! 儂の必殺技を!」


 心のどこかで「誰だよお前」という声がするが気にしない。お子様たちと遊ぶときは、正気に戻ったら負けだ。周辺に怪我をしそうなものがないか、お子様同士がぶつかったりしないかを気にしつつ、同じ目線で一生懸命遊ぶ。


「やあねえ、小夜はがさつで。脚出ちゃっているじゃないの。そんなんじゃおよめにいけないわよ」


 鼓草たんぽぽを摘んでいたお嬢ちゃんの一人が、そう言って腰に手をやり、ため息をついた。


 必殺技を坊っちゃんに破られながら、心の中で唇を噛む。

 嫁になんか、行けるわけがない。


 この村には若い鳥人の男がいない。仮にいたとしても、嘴も翼もないあたしなんか、もらってくれる人はいないだろう。

 いや。それ以前に、あたしは「鳥人だから」という理由で選んだ男の所へなんか嫁ぎたくない。

 

 凱への想いは動かせない。

 それがどんなに無意味なものだとしても。


 そんな思いが頭をよぎり、気がそれた。その隙に坊ちゃんはあたしに「とどめ」を刺さんと全力で体当たりをしてきた。


「うおっとおっ!」


 咄嗟に坊ちゃんを抱きかかえて尻餅をつく。勢いあまって後ろへひっくり返る。鼓草を摘んでいるお嬢ちゃんにぶつかりそうになり、無理やり体をねじる。着物の裾がめくれあがり、膝から下が丸出しになる。

 地べたに転がったあたしの顔のすぐそばで、鼓草が愉快そうに揺れていた。


 ふわりとあたたかな風が吹き、春の草が匂いたつ。


「おお、小夜じゃないか。元気そうにしているね」


 道路のほうから声が聞こえ、あたしは飛び起きて顔を上げた。

 そこには出水の旦那様と、包みを手にした凱が立っていた。 


 旦那様の声に我に返る。

 うわ、酷いなあたし。坊っちゃんを抱きかかえて、土だらけになって地べたに座っている。坊ちゃんから手を離して視線を下に移すと、膝がぺろんと顔をのぞかせている。頬から火を噴いて着物を直していると、凱が駆け寄ってきて手を伸ばした。


「怪我はありませんか」


 手首を掴まれ、引き上げられる。

 体がすっと持ち上がり、その力の強さに戸惑う。手首から伝わる凱の掌の温度を意識する。


「小夜さん、土が」


 あたしの着物についた土を払おうとしてきたので、とっさにその手を払いのけた。


「や、あの、平気、だから。そんな、凱の手が汚れる」

「何言っているんですか。私、普段は山仕事しているんですよ。土ぐらい」


 そんなの知っている。凱は何かの稽古だなんだと言ってしょっちゅうふらふらしているし、箸より重いものを持ったことがないような顔をしているが、本業は所有している山の管理だ。でもそういう問題じゃない。

 あたしは、あたしのせいで、凱の手を汚したくないんだ。


「いずみさん。だめよあなた、小夜はよめいりまえのおんななんだから、さわっちゃだめ」


 お嬢ちゃんが、鼓草を掴んだ手を前に突き出し、凱に向かって声を張り上げた。


「ああ、これはとんだ失礼をいたしました」


 凱は微笑みながらお嬢ちゃんに向かって頭を下げた。


「あの……。お屋敷まで案内します」


 俯いて凱から視線を逸らし、旦那様に向かってぼそぼそと呟く。

 お子様たちを引き連れ、旦那様と凱の前を歩く。


「なあ、小夜にさわっちゃだめなのかよ」

「そうよ。おとこはよめいりまえのおんなにさわっちゃだめなのよ」

「でもおれ、さっき、小夜にぎゅうされたぞ」

「こどもはいいのよ」


 どこでどう仕入れた知識なのか、お嬢ちゃんがそんなことを得意げに話しているのを聞いて、旦那様が背後でぷっと吹きだしていた。


 旦那様も、凱も、あたしたちには余裕のあるそぶりを見せているが、知っている。

 これから二人は、長様と一戦を交えるのだ。


 


 お屋敷の使用人たちは、出水家の人が来ると距離を取ろうとする。彼らの目的が分かっているから、長様の下で働いている立場としては、なるべく関わりたくないのだろう。

 台所を覗くと、茶を誰が持っていくかでぐちぐちやっている。あたしが持っていくと言うと、皆明らかにほっとしたような表情を見せた。


 客間に向かって歩いていると、話し声が聞こえた。旦那様と凱の声だが、普段と様子が違う。

 旦那様は穏やかな性格で、普段は大きな声を出すことがない。長様と揉めているときも、怒鳴り散らしているのは長様だけで、旦那様は始終冷静だ。

 それなのに今日の旦那様は、随分と険しい口調だ。早くも長様と口論を始めているのかと思ったが、そうではなさそうだ。

 声を荒らげている相手は、凱だ。


「その話は聞きたくない。だめなものはだめだ」

「それは重々承知しております。それでも私は絶対に受け入れません」

「凱、自分の言っていることがどういうことか分かっているのか。私はお前が幸せになるのであれば、何がどうなってもいい。だがそういう問題ではないだろう」

「ですが」

「失礼しまあす。お茶をお持ちしましたあ」


 今、ここで登場するのはまずいとは思ったが、こうするしかない。何を揉めているのか知らないが、ここは長様のお屋敷だ。場の空気を読まないあたしの声に、二人は口論をぴたりと止めた。


「はいどうぞお」


 二人の目を見てお茶を出す。私の意図を汲んだのか、旦那様は「すまないね」と呟いた。


「そうだ」


 いつもの口調に戻った凱が立ち上がった。


「小夜さん、うちの桃の木が好きでしたよね」

「え、あ、うん」


 いきなりな話題に、思わず変な返事をしてしまった。


 そう、あたしはあの木が好きだった。愛らしい薄紅色の花がこぼれんばかりに咲いて、それが幸せの到来を告げているように思えたのだ。

 もっともあの木が花をつけるのを見たのは一回きりだ。凱の家には、もう何年も行っていないから。

 それなのに、あたしがあの木が好きだったのを覚えていてくれたんだ。


 凱はあたしの前に座り、懐に手を入れた。


「今年は花をつけるのが遅かったんです」


 懐から手を出す。その指先には、ふっくらと笑うように花をつけた、ちいさな桃の枝があった。


「かわいい。……もしかして、これ、あたしに?」

「はい。とても綺麗に咲いたので、小夜さんにお見せしたかったのですが、大きな枝を持ってきたらご迷惑でしょう。だから」


 凱の指先で花が揺れている。あたしが手に取るのをためらってもじもじしていたら、凱は枝を持った手をあたしの頭の後ろに回した。


 髪を結んだ部分に、何かを差し込まれる感触を覚える。

 凱が顔を寄せて囁いた。


「綺麗です。小夜さんの黒い髪によく似合う」


 蜂蜜色の瞳があたしを映す。


「この桃の木、もしよろしければ、今日一日、こうして小夜さんのそばに寄り添わせてもらえますか」


 呆けたようなあたしを映した目が微笑む。


 凱、やめて。

 あなたはどうしていつもこうなんだ。

 嬉しくなればなるほど、悲しくなるというのに。


 そのあたしの心を吹き飛ばすような大きな足音が響いてきた。凱と旦那様が足音の方に目を向ける。


「またお前らか! しつこい奴らだな!」


 頬の火照りが急激に冷めていく。

 客間の入り口で、長様が甲高い声を張り上げた。


 


 あたしがいるのにも構わず、どすどすと客間に入って上座に胡座をかく。旦那様と凱が揃って礼をすると、長様は面倒くさそうに手をひらひらと振った。


「何度来てもだめだ。飢饉でもないのに貢物は減らせんよ」

「飢饉のときほどに、とは申しません。せめて鬼の被害が大きな家の分だけでも、情けをかけていただけ」

「だからそういう貢物を渋る家の分を補填して、儂のところへまとめて納めるのがお前の家の役目だろう」

「彼らは貢物を渋っているわけではないのです。それに私どもの家が肩代わりするのも、もう限界で」

「じゃあ山を売ればよかろう。あれさえ売れば、当分問題ないだろうに」


 うっかり退室の時機を失してしまったので、彼らのやりとりをすぐそばで聞くはめになってしまった。

 俯く。怒鳴りそうになるのを必死におさえる。奥歯を強く噛む。


 山を売る、なんてできるはずがない。もしそんなことをしたら、出水家はどうやって生活していけばいいんだ。


 凱が口を開いた。


「あの山は我が家がこのような役目を負うかわりにと、先々代の長様から頂いた、大切なものです。そ」

「お前になんかやっとらんぞ、『ソトの者』が」


 長様は凱の言葉を遮って睨みつけた。


「……ではこの件に関しましては私からは申しません。ところで先日お話いたしました鬼払いのための」

「鬼を追い払うのに何故儂が人や金を負担せねばならんのだ。酷い奴らだな。寄ってたかって儂にばかり無理を強いて」


 長様は大袈裟に天を仰いでため息をつき、凱の顔を覗きこんだ。

 しばらくそのまま見つめ続ける。

 やがて片頬を歪めて薄く笑った。


「何故、自分たちが何かしようとは思わないのだ」

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