3 鬼の記憶
なんとか裏門にたどり着き、お屋敷の中に入る。本当は今すぐ横になりたいのだが、そうはいかない。髪を簡単に直し、お子様たちのいる部屋に向かう。
廊下には、さっき外に飛び出していった坊ちゃんたち三人が立っていた。あたしの姿を認めると、大きい二人は自分の着物をぎゅっと掴んで俯く。
「
二人の間から小さな坊ちゃんがよちよち歩いてきた。
小さな坊ちゃんのむっちりした体を抱きかかえる。大きな坊ちゃんたちは顔を上げ、泣き出しそうな表情をして口を開いた。
「小夜、ごめ――」
「お前、さっき門を開けろと言ったそうだな。どういうつもりだ。鬼が屋敷に入ってきて儂が襲われてもいいのか。冗談じゃない」
いきなり襖が大きく開いたかと思うと、長様が出てきて坊ちゃんの言葉を叩き切った。
ああ、さっき正門を開けてくれと言ったとき、なんの返事もなかったが、門の向こうに人がいたんだ。
長様の言うとおりだ。あたしがお屋敷の中の人たちを危険にさらすわけにはいかない。廊下に膝をついて詫びる。一番大きな坊ちゃんが、わずかに震える声を張り上げた。
「小夜はおれらを助けてくれたんじゃんかよ。なのに」
「うるさい」
長様の甲高い声が頭に突き刺さる。
「お前も悪い。日が落ちたら外に出るなと言っているだろう。門を開けっぱなしにして遊んで、鬼が入ってきたらどうするんだ。儂が襲われたらお前のせいだぞ」
長様は、こういう時にこういう言い方をする。はじめは彼の態度に疑問を抱いていたのだが、最近分かるようになった。
おそらく、愛情を持っているのは自分だけなのだろう。
長様は襖を閉め、自室に戻った。あたしは俯いて突っ立っている坊ちゃんたちに笑顔を向けた。
「坊ちゃんたちがご無事でよかったです。さ、もうすぐお食事ですよ」
あたしの言葉を聞いて、坊ちゃんの一人が呟いた。
「小夜は、おれらが無事で、よかったのか。自分は鬼に遭ったのに」
一瞬、何が言いたいのかわからなかったが、なんとなく汲んだ。二人の肩を順に強く叩き、わざと大きな明るい声を張り上げる。
「あったり前じゃないか。凄く嬉しいよ。もしまた鬼が出たら、あたしがうおーって追い返してやるからさ。でももう、日が落ちたら外に出るなよ」
あたしみたいな下っ端の使用人でよければ、あなた達には、あなた達を守りたいと思い、無事を心から喜ぶ人がいるんだよ、という思いを込める。
坊っちゃんたちの背中を見ながら、あたしは生まれてはじめて自分を思ってくれる人に出会った日のことを思い出した。
五年前。
見世物小屋の親父は、あたしを道端に捨てて他の土地に移動してしまった。あたしは翼を失ったことによって、「嘴のない鳥人娘」という見世物の価値を失ったからだ。
日の落ちた、雨の日。人なんか誰もいない。もし今、目の前にいる鬼が存在しなかったとしても、あたしは朝日を拝むことができなかっただろう。
鬼に髪を掴まれる。不思議なほど恐怖を感じなかった。
ただ、どうせ食うならひとおもいにやってくれ、とだけ思った。
「これは、人間ではないな」
あたしを掴んだ鬼が、錆びついたような声で言った。
「そうかもしれん。人間のほうがいいのか」
もう一頭の鬼があたしをのぞき込む。
「どちらでもいい」
「ふむ。メガミに食わそか、わしらで食おか」
「メガミが食うにはいのちが足りぬ」
「なら」
鬼はあたしをのぞき込みながら、口角をゆっくりと上げた。
顔を濡らす雨と共に、ねばついた
「わしらで食おか」
鬼の顔が迫る。
口の中から黄色い乱杭歯が覗く。
生臭い息がかかる。
冷たい雨が降っている。
あたしの記憶は、そこで一旦途切れている。
気がつくと、あたしはあたたかな部屋でうつぶせになって寝かされていた。
ふわふわの布団が体を支えている。上半身の着物は脱がされ、背中の傷口あたりに、硬くて少し熱いものが何個か置かれていた。
上半身を起こす。背中に置かれたものが落ちた。つやつやと輝く、赤く平べったい石だった。
ええと、何がどうなったのかな。
確か、鬼に食われるところだったはずだ。それなのに何故か、ふわふわの布団の上で、背中に石を乗せて寝ていたらしい。
あたりを見回す。朝か昼かは分からないが、見世物小屋全体くらいの広さの部屋には、光が満ちている。
見たこともない分厚い布団、磨きこまれた床、火鉢、盆に乗った湯飲み。さっきまで着ていた、男客の気を引くための薄手で派手な着物のかわりに、清潔な浴衣を身に着けている。袖を通してみると、人間用だった。
ああ、そうか。もしかしたら鬼に食われて生まれ変わったのかもしれない。ここはきっと異世界なんだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、部屋の向こうから小さなしわぶきが聞こえ、障子が滑るように開いた。
「ああ、気がついてよかった。気分はどう? 体の火と水の気は戻ったかしら」
部屋に入ってきたのは、小柄で人の好さそうな年配の女性だった。
地味な着物を着、特別目立つものは身に着けていないが、あたしなんかでも大きな家の奥様だとわかる。奥様は布団に散らばった石を拾い、あたしの顔を見て微笑んだ。
「うん。いい顔色。温めた紅玉が役に立ったのかしら。もうちょっとゆっくりして、体の水の気が戻ったら、お仕えしている家に戻るといいわ。あなた、この村の子じゃないでしょう。家はここから遠いの?」
背中の石は体を温めるためのものだったのか。にしてもこの人はどうしてあたしにこんなことをしてくれたのだろう。
それはともかく、あたしには仕えている家なんてない。物心つくころから人間の家に仕え、大人になったら独立して家を構える、なんて「普通の」亜人の生き方なんか、この外見では無理だ。
「仕えている家、ない。だって、あたし――」
自分がどんな奴なのか説明してみる。まともに人と話すことなんかめったにないから、うまく話せない。それでも奥様は、あたしの下手くそな話をじっと聞いてくれた。
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