第38話 道

 ああ、鬼が何か持って飛び込んだ。


 頭の隅に、そんな言葉が浮かんで消える。

 光が二つ、あたしたちに向かって飛んできた。逃げることも構えることも思いつかずに光を目で追っていると、それはあたしと凱の体を包み込んだ。


 視界から凱が消え、全て白くなる。

 ふんわりと柔らかな感触に包まれ、体がゆっくりと持ち上がる。


 この感触。五年前、鬼に攫われそうになったのを凱に助けられたとき、彼の家で敷いてもらった布団に似ている。あれは、あたたかな優しさに満ちた柔らかさだった。

 痛みや苦しみの波が遥か彼方へと引いていく。


「……さないかみのつ……」


 光の中から声が聞こえる。男とも女とも、子供とも老人ともつかぬ声は、柔らかな感触をわずかに震わせている。

 目を凝らす。光に包まれた視界の中に、時折ヒトの顔のようなものや翼が見え隠れする。声は、顔の口元から発せられているようだ。


「だれ、なの。あなた、たち……」


 体を縛りあげていた糸が解かれたように、体がほぐれる。ほぐれすぎて力を失い、舌もうまく動かせないくらいだ。

 光の中に顔のようなものが浮かび上がり、ふふふと笑い声のような声が響く。


「幼い風の神の使いよ」


 今度ははっきりと声が聞こえた。だが続く言葉が聞き取れない。普段なら眉間に皺を寄せていただろうが、眉間がほぐれて皺が寄らない。


 目が慣れてくると、光の向こうがうっすらと見えてきた。

 あたしは宙に浮かんでいるようだ。鬼どもが次々と光に飲み込まれ、光の柱に吸い込まれていく。あたしも上昇しながら光の柱の方に向かっていた。


「全ての神が感謝しています。幼い風の神と、風の神の使いが島の邪気を払ったので、天と島を繋ぐ道ができ、島に降り立つことができました。これで私たち使いは、島にいる鬼を捕らえることができます」


 柔らかさと光の中から響く声、その話の内容をゆっくりと咀嚼する。

 体の真ん中から安堵と疲労がじわじわと滲みだし、広がっていく。


 ああ、神が来てくれた。

 あたしたちは役目を果たしたんだ。

 もう、戦わなくていいんだ。


 海の神たちとの会話を思い出す。いつのあたりからか、あたしたちだけで鬼退治をしないといけないような気がしていたが、神はちゃんと来てくれた。

 このまま鬼どもを根こそぎ捕まえて裁いてくれれば、一件落着だ。あとは神に任せて、あたしたちは舟にでも乗って帰ればいい。

 鬼は小屋を作る資材を人から奪っていたみたいだから、きっとそれなりの大きさの舟を持っていることだろう。

 あれ? だとしたら。


「ね……え。あたし、なんで今、飛んでいるの……」


 眩しさと柔らかさに気を取られて気がつくのが遅くなった。しかしその問いを言い終わらないうちに、あたしは光の柱の中に入ってしまった。

 その瞬間、今まで見え隠れしていた使いの姿が現れる。


 ヒトよりも二回りくらい大きく、男とも女とも、子供とも老人ともつかない。ゆったりとした白い衣は海の神のものと同じだが、長くうねる髪と瞳は、炎のように紅い。あたしは、使いの両腕の中にすっぽりと包まれていた。

 使いが紅い瞳をあたしに向ける。


「幼い風の神と風の神の使いを、女神に会わせます。女神が、会いたいと言っています」


 女神、あたしなんかに一体なんの用だろう。今は神産みで大変だっていうから、お邪魔になってしまうんじゃないか。あたしとしては鬼退治が終わればそれでもういいんだけど。


 そう思ったのだが、女神が会いたいと言っているのに断るのも失礼になるだろうと、黙って従うことにした。

 周りを見回す。すぐそばで、凱が彼を抱きかかえている紅い髪の使いと何か話している。目が合ったので微笑んだら、微笑みを返してくれた。だが彼も力が抜けているのだろう。へらりとしたどこか間が抜けた微笑だった。


「しっかりと掴まっていてください。この先、道が二手に分かれます。このまままっすぐ進んでしまうと、裁きの道に入ってしまいます」

 

 使いが上を見上げる。

 辺りには使いに捕らえられた鬼がまっすぐ上に向かって飛んでいる。ほとんどの鬼が使いにがっしりと押さえつけられ、もがきながら上昇しているが、中には観念したのか、魂を抜かれたように身動きせず、流れに身を任せているのもいる。

 上を見てみるが、先が見えない。鬼どもは見えない先のどこかで、裁きを受けるのだろう。


 こんなことになるなら、鬼なんかにならずにおとなしく裁きを受けていればよかったのに。というか、そもそも悪事なんか働かなきゃよかったのに。

 なんてぼんやりと思っていた時、斜め上を飛んでいる一頭の鬼が目についた。


 そいつは使いに捕まっていなかった。背を丸め、両足をだらりとさせてはいるが、両腕を胸の前に置き、何かを抱えているようなしぐさをしている。

 一見、他の鬼のように流れに身を任せているように見える。だが上昇する速度が明らかに遅い。そのうちあたしたちが追いついた。


 目が合う。

 あたしを見て、鬼は僅かに口角を吊り上げた。

 追い越す。下を見ると、そいつはあたしたちの下を、一定の距離を保ちながらつけているように見える。

 また目が合ったが、逸らされる。両腕を更に引き寄せ、背を丸めている。その腕の隙間から、何か黒いものが見えた。


「あ……あいつ」


 頭と腕が邪魔でよく見えないが、そいつは黒いものを抱えていた。そういえば、さっき見た鬼は、黒いものを抱えて自ら光の柱の中に飛び込んでいった。

 行きつく先は裁きの場だというのに。


「小夜さん」


 凱と彼を抱えている使いが、あたしたちのところに近寄ってきた。

 凱の表情は、先ほどとは打って変わって険しい。あたしが使いの腕の中から少し動いて耳を寄せると、彼が耳元で囁いた。


「あの鬼、私たちの下をつけているように思うのですが」


 そう言って目線を下に向ける。あたしは頷いて声を潜めた。


「やっぱりそう思うよね。でさ、こうやって何か抱えているんだよね。なんだろうあれ。箱か、壺か、ええと」

「幼い風の神の使いよ、そんなに動いたら落ちますよ」


 あたしを抱えた使いが首をかしげる。凱は自分を抱えている使いに向かって声をかけた。


「そういえば、鬼は新月の日にヒトの魂を奪っていました。新月には魂を奪って箱に収められるような、特別な作用があるのですか」


 いきなりの質問に面食らったのか、使いはゆっくりと揺するように首をかしげた。


「地上が一番光を失う新月の夜は、天と地の境目が曖昧になりやすい上に、鬼の力が強くなります。そのような状況から、鬼はなんらかの方法を編み出して魂を奪っていたのでしょう。ですが、私は魂の奪い方はわかりません」


 そこは別にわからなくてもいい。問題は魂の奪い方そのものではなく、奪った後のことだ。

 使いの言葉を聞いて思い出す。鬼は新月に魂を奪っていたが、それは自らの活力の素とするだけではなく……。


「そうですか。では鬼は、強くなった力を使って魂を奪っていたのでしょうね。ですが、天と地が曖昧になるといっても、天と島に道ができるほどではないのですよね」

「そうです。だから幼い風の神の力が必要だったのです」

「ということは、たとえ鬼が女神様への『供物』として魂を供えても、届けることはできなかった。でも天への道が通った今なら、届けることができる」

「ええと、まあ、できなくは、ないかもしれませんが」


 困ったように首を揺らす。


「魂を供物として届けられても、女神は鬼を赦しませんよ。第一、もしヒトの魂を女神が取り込んでしまったら、どのようなことになるか」

「おお、考えるだけでおそろしい」


 あたしを抱えていた使いが、ふるりふるりと震えた。


「女神も私たちも、糧などいりません。なぜ鬼は、供物に魂を、などと言うのかわかりません。恐れや怒りの塊である魂を、神産みの時期の女神が取り入れてしまったら、女神や産まれてくる幼い神に、どんなさわりが」

「ちょ、これってまずいよ凱!」


 使いの話の途中で声を上げるのは失礼なのだろうが、礼がどうのなんて言っていられない。

 大量に失われたはずの血が一気に沸騰する。


「あいつ! もしあいつの持っているのが『いのち』だっ」


 そう言っている間に、使いは大きく体を反らせて横に飛んだ。急なことに思わず野太い声で叫んでしまった。

 紅い髪があたしの頬を打つ。

 はっきり形として見えているわけではないが、どうやら脇道に入ったらしい。今まで沢山飛んでいた鬼や使いの姿が突如として消え失せた。


「あっ!」


 すぐ後ろから凱を抱えた使いの声がする。


 視界の端に影がよぎる。

 凱とあたしが同時に声を上げる。

 あたしを抱える使いの手に力が入る。


 あたしたちの下を飛んでいた何かを抱えている鬼が、物凄い勢いであたしたちを追い越し、飛んで行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る