第35話 いのち

 鬼は呼子を吹いた後、せせら笑うような顔をしてあたしたちを見下ろしていた。今まで見た翼のある鬼ども同様、武器の類は持っていないが、あたしたちの手が届かない穴の外を飛んでいるのでどうにもならない。


「ここにあるものが『いのち』なのか。人々から尊い魂を奪い、この中に閉じ込めているというわけか」


 呼子を吹かれてしまったのに、凱は落ち着いた口調で尋ねる。鬼はどこかを窺うように視線を外した後、再びあたしたちを見下ろした。


「尊いかどうかなど知らぬ。作るのに手間がかかるから、外に逃げぬよう石に閉じ込めているだけのこと。食らえばお前でも活力が漲るだろう。一口食うてみるか?」


 鬼の話し方はいつもこうだ。ぶつ切りで、中身がぐらぐらとぶれる。だがこれではっきりした。

 この液体は、鬼どもが「いのち」と呼んでいる、人々の魂だ。奪われた魂は石の器の中に閉じ込められ、最期の声を上げながら鬼の糧と姿を変えられたのだ。

 鬼が大きく羽ばたく。一度ふわりと上昇したのち、再び降りてきた。あたしたちの手の届かない距離を保ちながら浮かんでいる。


「お前たちはここから逃げられない。仮に逃げても助からない。ヒトの肉を纏っていても、この島で神のいのちは長く保たない。神のいのちは金剛石(ダイヤモンド)と同じ。いくら硬くて光っていても、叩けば簡単に壊れるのだ」


 ふん、と鼻を鳴らすようなしぐさをして言葉を切る。その態度が妙にしゃくに障ったので、あたしはわざと口を歪めてわらってみせた。


「なんだお前。うまい喩えが言えたと思ってんだろ!でもなあ、金剛石舐めんなよ。

たとえ割れて壊れたって、その切っ先でお前らのグズグズに腐った魂なんか、簡単にぶっ潰せるんだよ!」


 「こんごうせき」が何かはわからない。たぶん硬くて綺麗な石の類いなのだろうと当たりをつけ、適当なことを言ってみる。

 黒い靄が口や鼻から入り込み、息が詰まる。

 鬼は真っ黒な翼を大きくはためかせ、「ぐふ」と笑った。


「お前は面白い。弱りゆくいのちと怯え震える心を、雲母のように薄っぺらな強がりで覆っている」


 また視線を逸らす。どこか遠くを見て口角を吊り上げる。

 黒く尖った爪であたしを指さす。


「翼のない使いは役に立たぬ。役に立たぬ使いしかいない神もまた役に立たぬ。今、大勢のものがすぐそこまで来ておる。お前らのいのち、女神に食わそか、わしらで食おか。それともいっそ、この場で絶とか」


 妙な節をつけてそんなことを言う。

 こいつに言われるまでもなく、わかっている。呼子を吹かれた時点であたしたちは逃げようがなくなった。こいつが丸腰でべらべら喋っているのは、仲間の鬼が来るまでの時間つぶしのためなのだろう。

 足の力が抜ける。背中の傷痕が痒くなる。

 足の親指とお腹に力を入れて、息を大きく吸う。


「うるせえや。そんな小汚ない翼があるからって威張るんじゃねえよ! 要はお前は飛ぶ以外に能がないんだろ。あたしはお前とは違うんだよ!」

「そうだ!」


 急に隣からよく通る声が響き、少し驚いてしまう。凱が話に入ってきた。


「そもそも魂の片割れを役に立つ立たないで語るなど寂しいことだ。私と彼女は、利害を越えた深い想いで結ばれている。私にとって彼女は、存在そのものが尊く美しく愛おしいのだ!」


 鬼相手に真顔でそんなことを言う凱を、あたしは目玉が転がり落ちるほど思いきり見た。


 嘘でしょ。この状況でこういうことを言うんだこの人。


 いくらなんでも呑気が過ぎる。一言言ってやろうとした時、視界の端に小さく動く彼の腕を捉えた。

 視線だけ下に下げる。凱は鬼に見えないように黒い粉を足元に撒いていた。

 顔を鬼に向けながら、じりじりと横に歩く。

 粉が何かはわからない。だが凱に寄り添うふりをしてさらに彼の手元が隠れるようにし、一緒に移動する。


 洞穴の時と同じだ。たぶん今、凱は鬼の気を逸らそうとしている。


「それはあたしも同じだよ! いや、同じじゃないな。あたしのほうが、ずっとずうっと大好きだもんね!」

「そんなことはありません! 私の恋慕の情がどれだけ深く激しいのか、語り出したら千年はかかるでしょう!」


 鬼の様子を伺う。腕を組み、完全に呆れた表情だ。まあそれはそうだろう。そしてあの様子だと、凱の手元や粉には気がついていない。


 黒い粉を撒き終わったらしい凱は、背中側の帯に挟んでいた筒をそっと抜き出した。小刀くらいの長さの細長い筒は、何かの時に役立つかもと自警団から借りたものだ。

 筒の片方に、小さく丸めた何かの屑を詰める。その様子と黒い粉を見て、凱が何をしようとしているのかに気づく。


 え、いいのかそんなことして。それにきっと無理だよ。


「さあ行きましょう。ここにあるものが『いのち』で、この石の器が『いのち』を閉じ込めているとわかった以上、もうこの鬼に用はありません。ここを降りて、外に出ましょう」


 全く動じる様子もなく実に堂々とそう言い放ち、すぱっと出口を指さした。

 今、ここから見える出口は、入ってきた時と同じ様子だ。だがおそらく通路を抜けた先には、鬼の群れが待機しているのだろう。

 勿論、そんなことは凱もわかっているはずだ。それでもそういう態度に出るのだから、ここは彼を信じて乗っておく。


「そうだね。よいしょっと」


 石に手をかけ降りる。頭上を見ると、鬼は呼子をくるくる弄びながら、にやにやとあたしを見下ろしている。


「あれえ。逃げちゃうよお。追いかけないのかなあ」


 あの鬼は十中八九襲ってこない。いくら体が大きかろうと、丸腰でこの空間に入り込んできたら、あいつに勝ち目はない。だから調子に乗ったふりをして、鼻のわきで手をひらひらさせて煽ってみる。今あたしがすべきことは、ほんのいっとき鬼の視線を凱から完全に外させることだ。


 鬼が顔をしかめてあたしを見る。

 凱から視線が外れる。凱はかがんで筒の屑を詰めた方を下にして、足元の石に押し付けた。

 筒に取り付けてあった棒を何度か上下させる。今、筒の中では、急激に圧縮された空気が激しい熱に変化し、屑に火を点けているらしい。

 屑を粉の上に投げ、石から飛び降りる。


 ボン、と低い音を立てて石の上で爆発が起きる。煙が上がり、少し遅れて何度か爆発音が響く。

 立ち込める煙と独特の臭いに思わず目を閉じ、ゆっくりと目を開く。

 大きく頑丈な黒い石の表面に、縦方向の亀裂が走る。

 亀裂はどんどん広がり、耳障りな音を立てる。

 煙が少しずつおさまる。人の声のようなものが室内に満ちる。

 やがて石の一部は、がらがらと床に崩れ落ちた。


 頭上で鬼が大きな声を上げている。鬼のいるあたりから何かが落ちてきた。床に落ちたそれを凱が拾い、口に当てる。

 なんの音もしないが、おそらく呼子を吹いているのだろう。


「凱、ちょ……」


 ちょっと何してんの、という言葉が喉の奥に詰まる。

 崩れた石の中から、黒い靄が広がった。靄はやがて灰色になり、白色になり、煙とともに空へと昇っていく。

 靄は時折、朝方の水面のような輝きを見せる。

 囁き声のような、笑い声のようなものが一緒に空へ消えていく。


 あとには、大きな裂け目を晒した無残な姿の石が、ただのっそりと立ちすくんでいた。


「お前ら……」


 鬼の震える声に向かって凱は叫んだ。


「この私に石の話をしてくれて感謝する。おかげで思い出せた。この『いのち』を閉じ込めた石は、硬いが衝撃には脆いのだ!」


 あたしの手を取り、出口へと向かう。




 暗い通路の向こうから怒号が聞こえる。どれだけの数の鬼が待ち伏せしているのだろう。凱はあたしの手を取りながら、ゆっくりと歩いていた。


「外、鬼がめちゃめちゃいるよ」

「うん」


 曖昧な相槌の後、耳元で囁き声が響いた。


「それは怒っているでしょう。この先にいる鬼どもも、石の器が壊されたことに感づいているかもしれません。この島の性質上、あの大きさの石が産出されることはないでしょうから、当分の間作り直せませんよ。鬼にとっては大問題です」


 そう言われて気づく。そうか。確かに鬼にとっては大問題だ。


「やったね……だけど、そうも言ってらんないよ、今」

「ううん……」


 凱の足が止まる。


「あ、来て下さった、か」


 凱が何かを言いかけていた時、外の方から轟音が鳴り響いた。鬼どもの怒号の響きが変わる。


「小夜さん。様子を見て外に出ましょう。よかった。自警団の方が来て下さったようです」

「自警団?」

「はい」


 あたしの手を強く握る。


「ほら、あの呼子、私たちには音が聞こえませんが、猫人の方には聞こえるじゃないですか」

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