第34話 丘の中

 日没前の強い光を放つ太陽は、あたしたちが目指す丘を黄金色に浮かび上がらせている。そしてそれは同時に、鬼ヶ島のど真ん中を歩くあたしたちの姿も浮かび上がらせている、ということだ。


 あたしは夕方の影が好きだ。地面に映る背高のっぽで脚長な自分の影を見ては、こんな風に大きくなりたいと思っていた。

 だが今は、この長い影が恨めしい。

 周りに鬼がいないことを確認して、岩から藁作りの小屋まで腰をかがめて移動する。岩から出ると同時に、腰をかがめた細長い影が二つ、地面にへばりついてあたしたちの居場所を指し示す。


 少ないとはいえ出歩いている鬼はいるし、小屋の中にもいる。飛んでいる鬼はかなり高い所にいるので簡単には見つからないと思うが、目の見え方がヒトと同じとは限らない。

 額に汗が滲む。さっきまでの冷気が嘘のようだ。

 円盤の針は無邪気に時を刻んでいる。丘までもう少しという所に来て、身を隠す場所が減って全然前に進めない。


「神のいのちがはいり込んだそうだ」


 突然、頭上から声が降ってきた。心の臓が口から飛び出しそうになる。上を向くと、声は小屋の窓から漏れていた。

 焼けついたような荒れた声は鬼のものだ。小屋の中に何頭かいるらしい。


「神に肉がついたのか」

「ヒトの肉だ。ヒトも入り込んだ」

「神のいのちが欲しい。もう、わしの分のいのちは残り少ないのだ」

「神のいのちは女神の供物に」


 よく聞き取れないので詳しい内容はわからないが、あたしたちのことを話題にしているのは確実だ。あたしたちがこの島にいるという話が、どういうふうにどの程度広まっているのかわからないが、なんにせよ見つかったらおしまいだ。

 丘を見る。もういっそ、一気にあそこまで走ってしまったらどうだろう。


「臭い」


 鋭い声が頭上から降ってくる。小屋の中からざわつく気配がした。


「何がだ」

「わからぬ。神の気かもしれぬ」


 傍らの凱がぴくりと動いた。あたしに目配せをする。あたしたちは腰を落とした姿勢で窓から離れ、藁の壁を回り込んだ。

 窓の様子を窺う。窓から鬼の顔が出てきたので慌てて首を引っ込める。置いてあった荷車に身を隠そうとかがんだ直後に鬼が近くを通る。もう、心の臓が暴れすぎて吐き気がしてきた。

 大きく息を吸う。すると空気と一緒に邪気が入り込んできた。背中の傷痕からじゅくじゅくと何かが滲みだしてきて、着物が濡れているのがわかる。


 凱が地面に何かを書いた。あたしの肩を軽くつついて地面を見るよう促す。

 書かれているのは文字だ。あたしに気遣ったのか、彼が普段読み書きしている大陸文字ではなく女手(仮名)で書いてくれてはいるが、あたしは女手も読めない。

 「ごめんね。読めないわ」とかわいく眉尻を下げようと思ったが、いつもの癖で眉間に皺を寄せてしまった。


 彼は周囲を見渡した後、あたしの耳に唇を寄せた。手で耳を覆い、囁く。あたたかい空気が耳元に循環する。


「次は、あの岩まで、走ります。裏に、回って、あの間を、走って、丘まで、一気に、行ってしまいましょう」


 あたしから顔が離れる。蜂蜜色の瞳が夕陽を受けて深い色に輝いている。

 首を伸ばして彼の言う方向を窺う。岩のそばにガラクタの山があり、そこまではすぐの距離だが、そこから先は遮るものが殆どない。走っているのが見つかったら一発だ。

 それでもあたしは頷いた。円盤を見る。あともう少しで針が一番下に来る。今急がないと、丘の中の様子を探ることができずに終わってしまうし、大幅に遅れて帰ったら心配されてしまう。

 頭上では鬼が飛んでいる。奴らには見えていないと信じることにして、鬼の姿が見えなくなった隙に岩まで走る。凱のすぐ後ろを貼りつくようにくっついて、岩とガラクタの間に回り込む。


 岩とガラクタの間にある狭い隙間を歩く。ガラクタは木材や藁などだから、小屋を建てるための資材をここに集めているのかもしれない。

 これらは島で調達できるものではない。ということは、と考えかけていた時、前方がふっと暗くなった。


 凱の肩越しに鬼の姿が現れる。

 心の臓が跳ねるよりも早く、鬼と目が合う。

 奴は木材をここに置きに来たらしく、木材を肩に担いだままあたしたちを見て固まった。そして次の瞬間、木材を放り投げて口を開く。


 だが、その口は開いたまま何も発することはなかった。

 凱の背中から吹き上がる突風に思わず目を閉じ、再び開けた時には既に、凱は刀を収め、鬼は首から上を失っていた。


「風、吹いちゃったよ」


 心の中がぐらぐらと揺れそうになるのを踏ん張り、囁いた。

 「凱、今、神の力で風を吹かせちゃったみたいだよ。鬼に気取られるかも」と言いたかったのだが、言葉足らずになった。しかし凱は理解してくれたらしく、前を向いたまま頷いて走り出す。

 胴から離れて転がっている鬼の首の横を通る。目をつぶって通り過ぎたが、睨むような視線が瞼をすり抜け頭の中で広がった。


 遮るもののない中を走る。細長い影があたしたちの居場所を指し示しながら揺れる。橙色の太陽の光、あたしの大好きな太陽の光が、今は暑くて憎らしい。

 丘の横腹に穴が穿たれているのが見える。あたしたちは迷いなく穴の中に足を踏み入れた。




 運が良かったのか、ここまでで鬼に見つかったのは、さっきの一回だけだ。意外と簡単だったな、などと思いながら円盤を見ると、針が一番下に来ていた。

 いけない。舐めてかかるところだった。肝心なことはこれからなのに。


 穴は上り坂の通路になっていて、明らかに天然のものではない。

 中はひんやりとしている。遠くからこの丘を見た時は、結構小さく見えたのに、思いのほか奥行きがある。通路の中はすぐに暗闇になったので、手で壁を伝いながら、凱の息遣いを聞きながら、ゆっくりと歩く。


「ん?」


 前を歩いていた凱が立ち止まった。もそもそ動いている気配がする。とんとん、と何かを叩いている音もする。


「ここは、木ですね」


 言いながらとんとんという音をさせる。確かに木の板を叩くような音だ。

 しばらく凱が動く気配がしていたかと思うと、やがて木の軋むような音と共に、暗闇に橙色の光が滲みだした。

 光の中に、彼の腕が、頭が浮かび上がる。彼の手の先から光が漏れる。あたしは光の先を覗き込んだ。

 それと同時に心の臓が鈍器で殴られたような痛みに襲われる。



 そこには空間があった。それなりの広さはあるが、攫われた人たちが押し込められていた洞穴に比べたらずっと狭い。ただ洞穴とは明らかに違う、丁寧なつくりだ。

 床は平らにならされ、壁はちょうど球を半分に切ったような形をしている。

 天井の真ん中は、ヒトが何人か通れそうな大きさの丸い穴が開いており、そこから太陽の光が降り注いでいる。そして天井の穴の真下には、滑らかに磨かれた黒くて大きな四角い石が置かれていた。


 石は鬼の背丈くらいの高さで、賽子さいころのような形をしている。空間には石以外のものは何もない。


「が……」


 凱、あれ何だろうね、と言おうと口を開いた途端に、口からお腹に手を突っ込まれたような衝撃が走る。

 喉を押さえる。「気を張って」、息を少しずつ吐きだす。少し落ち着いたので凱を見ると、彼は唇を固く結んで額に汗を浮かべていた。


 声をかけようとして、やめる。再び石に目を向ける。石は橙色の光を受けてつやつやと輝いているが、じっと見つめていると、てっぺんのあたりから黒い靄が湧き出しているのが見えた。

 靄は空に向かって昇っている。ここに来る前に見た黒い靄の正体はこれか。脚を前に動かすと、全身が小さな針に刺されたような痛みが走る。

 凱も石に向かって歩いた。彼の口から低い呻き声が漏れる。前に進むことを嫌がる脚を叱咤しながら歩き進め、石の前に立つ。


 間近で見ても、ただの磨かれた石だ。触れてみると指先から鈍い痺れが伝わってくる。だがそれ以上のことはわからない。

 凱は石の上を見て目を細めた。何かを呟き、腕を上げて軽く跳びあがる。石の上部に手を掛け、一度あたしを見てから小さな掛け声とともに石の上へよじ登った。


「小夜さん、この石、中はくうど――」


 彼はそこで言葉を止め、石を覗き込むような姿勢のまま立ち尽くした。


「どう、したの。この石、中、空洞なの」


 衝撃を食らわないよう、注意しながら声をかけてみる。凱が無言でかがみ、あたしに手を差し出してきた。この石、凱は簡単そうに登っていたが、つるつるしているので足の引っかけようがなくてじたばたする。結局彼の腕の力ひとつで石の上に登った。

 石の中は空洞になっていた。天井の穴と同じように、きれいな丸にくり抜かれている。中を覗きこもうとすると、中から湧きあがる黒い靄に「気圧されて」、目が痛くなった。

 ごしごしと目をこすってかがみ、気合を入れて再び覗き込む。黒い靄の向こうに、ちらちらと瞬くものが見える。

 目を凝らす。


 中には液体のようなものが入っていた。

 覗き込んで見た感じだと、石の底に僅かに溜まっているだけのようだ。ただの水のように太陽の光だけで光っているのではなく、液体そのものも淡い黄金色に輝いている。

 ちらり、ちらりと黄金色が瞬く。そのたびに、心の臓が苦しくなり、頭が締めつけられるように痛む。

 瞬きの向こうから、時折声のようなものが聞こえる。


「ねえ、なにか、聞こえない?」


 あたしの問いに、凱はすぐには答えなかった。かがんで石の中を覗き込み、唇を震わせている。

 蜂蜜色の瞳が潤む。瞳が滲み、涙が揺れる。

 耳を穴の方に向け、何かを聞くようなしぐさをした後、ゆっくりと頷く。


「……そうですか。それは、さぞかし……」


 彼の瞳から一粒、涙が零れる。涙は穴の中に吸い込まれていく。


 すると涙の落ちたあたりの液体が、ほのかに白く発光した。光は線香の煙のように細く昇っていく。

 光があたしの前を通り過ぎる時、小さな子供の笑い声のようなものが聞こえた。


 光はそのまま空へと消えていった。

 微かに桃の香りが漂う。


「この声は、魂を失った人々の、最期の声です。苦しいと、痛いと、こわいと……」


 凱の震える声が液体の中に落ちていく。あたしはさっきの白い光を想い、天井に目を向けた。


 息が止まり、危うく穴の中に落ちそうになる。


「小夜さん、どう」


 凱も振り向き、天井に目を向ける。

 彼の体から殺気が吹き出す。


「お前たちの狙いは、わしらのいのちか。それともこの、いのちか」


 天井から射し込んでいた橙色の光が、真っ黒な翼で覆われる。


「ここは、神の来る場所ではない」


 天井の穴を塞ぐように、一頭の鬼が飛びながらあたしたちを見下ろしていた。

 鬼は両の口角を裂けんばかりに吊り上げると、手に持っていた小さな筒を口に当てた。


 あれは、呼子だ。


 

 

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