第36話 決戦(1)

 煙と火薬の臭いが通路の中に入り込んでくる。出口近くまで来ると、音と臭いだけでも外の様子が窺えた。


 怒号、悲鳴、そして轟音。壁に張り付くようにして外に顔を出すと、いきなり一頭の鬼と目が合った。

 叫び声を上げることもできぬまま刀に手をかける。右足を踏み込む。すると爆発音と共に砂粒が顔を襲った。目をつぶって顔を逸らす。砂粒に紛れて飛んできた、生暖かく柔らかいものが、べたりと頬に張りついた。

 呻き声が聞こえる。目を開けると煙の向こうに自警団員が二人、鉄砲を構えて立っていた。


「呼子を吹いたのは、あなたたちだろうと思いました! ここは危険です。鬼が集まっています!」


 猫人の叫びは強い訛りのせいでよく聞き取れない。彼が鉄砲に弾を押し込む。その背後から鬼が襲い掛かってくる。あたしは咄嗟に刀を抜いたが、勢い余って彼の肩をかすりそうになってしまった。

 鬼があたしを見て刀を持ち替える。その隙に猫人が振り向きざまに鉄砲で殴りかかった。鬼がよろけたところに斬りかかる。


 ぶつっ、と刀が体の中に入っていく感触。刃から逃れようと肉が動く感触。生き物の臭い。苦痛の中で命が消えていく者の叫び声。


「小夜さん!」


 凱の言葉に振り向いた視界を鬼の胸が塞ぐ。慌てて避けると、鬼は頸から鮮血を噴き出して倒れた。

 煙と砂埃の向こうで、凱が刀を構えなおす。


「凱、これ、きりがないよ!」


 言っても意味がない、と心の端が叫んだ。視線を遠くに向ける。そして自分の言葉が現実であることを嫌でも認識する。


 おびただしい数の鬼が、こちらめがけて来ているのがわかる。

 ついさっきまで、すり鉢にこびりついた胡麻の滓くらいしかいなかった鬼が、次から次へと湧いて出てくる。


 頭上には何頭もの飛ぶ鬼。時機を窺っているのか、顔が見えそうなくらいの高度を飛んでいる。

 どれも背中に鬼を乗せている。翼を羽ばたかせた背中の上で、立って刀を構えている鬼もいる。不安定な体勢のはずなのに、まるで背中から鬼を生やしているかのようだ。


 ――翼のない使いは役に立たぬ。役に立たぬ使いしかいない神もまた役に立たぬ。


 鬼が言っていた言葉を思い出す。一頭が自在に空を飛び、その背の上でもう一頭が刀を振るう。奴らの戦い方は、あたしたちにはできない。

 背中の傷痕が鈍く痛む。

 奥歯を噛みしめ、刀を持つ手に力を入れる。

 

 あたしは凱を守る。鬼を退治する。翼がなくても、刀がある。

 だから振るえ。鬼をたおせ。力を込めて、鬼の肉と命を断て。


 もしも翼があったなら。この背に凱を乗せられたら。きっとこの細い腕で振るう刀よりも、ずっとずっと力になれたのに。


 心の隙間に弱音が入り込んできた途端、猛烈な吐き気がこみ上げてくる。はらに力を込め、刀を構えて叫び声を上げる。


「うおおおっ!」


 声がかすれ、思ったような声は出なかった。それでも目の前に突進してきた鬼めがけて刀を振り下ろす。

 この鬼は使いなのだろう。翼はしまい込んでいるようだが、武器の類を持っていない。

 奴と目が合う。命の終わりを悟った顔を見てつい目を逸らす。その隙に斜め前から別の鬼が襲ってくる。滅茶苦茶に刀を振り回したが、結局鬼を斃したのは、自警団員の鉄砲だった。


「小夜さん、手を!」


 蜂蜜色の髪を紅く染め上げた凱が手を差し出してくる。あたしは刀を振り回しながら凱の手を取った。

 掌から腕を伝って痺れが全身を駆け巡る。今までに感じたことのないような強い力が湧きあがる。

 凱と目が合う。不思議と彼が何をしようとしているのかわかり、頷く。周囲の鬼どもを見回し、湧きあがる力を一気に放出する。


 目の前に白い光が弾けた。足元の岩が揺れ、突風が鬼どもを吹き飛ばし、まるで石を落とした水面のようになぎ倒していく。自警団員たちも巻き添えを食わせてしまった。

 あたしたちの気がここまでの力を持っているなど思っていなかったので、驚いて凱と手を離し、自分の掌を見る。

 自警団員たちはそれほど打撃を受けていなかったようで、すぐに起き上がったが、鬼どもは起き上がっても足元がふらついており、刀を持つ手はあきらかに力が入っていない。地面に伏したまま起き上がらない鬼もいる。

 そこに自警団員の鉄砲と刀が襲う。

 新たに合流してくれた自警団員の一人が、拳くらいの丸い塊を投げた。倒れた鬼のど真ん中に落ちたそれは、しばらくすると鉄砲を上回る音をとどろかせて鬼や地面を吹き飛ばした。


 別の場所を偵察していた自警団員たちが、ぽつぽつとこちらに来てくれているのが見える。だが彼らをはるかに上回る数の鬼が次々とやって来る。凱の手を握り再び力を放出するが、最初のものほどの効果がない。


 ああ、神様。早く来て。


 自分の頭から這い出してきた言葉を断ち切るように、首を大きく横に振る。

 甘えている場合ではない。海の神に会う前は、自分たち、もっと言えば自分の力でどうにかしようとしていたのだから。

 神の言葉を信じるのと、神に頼るのとは違う。


 空を見上げる。一組の鬼があたしめがけて急降下してきた。墜ちるような速度で飛ぶ鬼と、その背に伏せ、大刀を構えている鬼。あまりの速度に頭がついていかず、その場で立ちすくむ。

 凱が手を握ってきた。痺れが駆け巡り、気が噴き出す。突風が鬼の翼を襲う。鬼は体勢を崩して大きく傾く。


 すると鬼の翼から、ぼろぼろと羽根が抜け落ちた。黒く大きな翼は、みるみるうちに形が崩れていく。金赤色に輝く空に黒い羽根をまき散らしながら、二頭は地面に激突した。

 大刀を持った鬼がゆっくりと起き上がる。翼のある鬼は翼の残骸を背中にしまい込んでこちらを睨んだが、それ以上動くことはなかった。

 大刀を振り上げた鬼が雄叫びを上げる。その頭に小さな刃物が突き刺さった。


「凱さん! 小夜! 何がどうしてこうなったんだ!」


 叫び声と共に焔と憲が姿を現した。焔は手に獣の爪のような鋭い手甲鉤てっこうかぎを嵌め、新たな打剣を取り出している。憲の顔は血と埃で赤黒く染まり、手にした刀は血を吸い込んでぬらぬらと光っていた。


「あたしらのことを見つけた鬼が仲間を呼びつけやがったんだよ! だけどこんなことになる前に、『いのち』の置き場所を見つけて、それを入れておくための石の塊をぶっ壊してやった!」


 あたしの言葉は、焔たちの耳には半分も入っていないだろう。焔は襲いかかる鬼をひらりと跳んでかわし、滑るように後ろに回って手甲鉤で頸を掻き切った。


「小夜姉、危ない!」

 

 叫び声よりも早く、憲はあたしの背後にいた鬼に斬りかかった。頬のすぐそばで憲と鬼が切り結ぶ。金物の嫌な音の後、鬼は後ろへ倒れこんだ。

 この騒ぎの中でも聞こえるほどの荒い息遣いをした憲は、自分の刀を見てかすれた叫び声を上げた。そのまま力が抜けたように座り込む。

 傷でも負わされたのかと目を向ける。その隙に鬼が襲いかかる。咄嗟に刀の先で突く。ひるんだ鬼に自警団員が飛びかかる。


「憲、どうし」


 どうしたの、と問うまでもなかった。

 憲の刀の一部が大きく刃こぼれをおこしている。彼は刀を見つめ、顔を歪ませていた。


 まずい。憲、「気が抜けて」いる。


 焔が駆け寄った。憲の肩を掴んで揺する。


「おい憲! 呑気に座り込んでるんじゃねえ!」

「え、あ、あ……」


 震える声を出して刀を見つめる憲の頭上に、焔はいきなり手甲鉤の嵌った手の甲側で拳骨げんこつを食らわせた。


「痛いっ! 何するん」

「うるせえ!」


 その手で遠くを指さす。


「そんなでかい図体と野太い声でガキみたいにべそかいても、可愛くねえんだよ! お前、向こうで静流が待っているのを忘れてねえだろうな」


 憲の肩が震える。焔は更に声を張り上げた。


「お前も大人の男なら、惚れた女を命懸けで守り抜く気概ぐらい持てや!」


 焔の言葉に、憲は一瞬目を見開いた後、俯いた。

 ぎゅっと目を閉じる。目を開き、立ち上がる。

 双眸に、真夏の太陽のような光がぎらりと揺らめく。


 あたしは軽く頷くと、凱の方へ走り寄った。あたしと凱はばらばらで鬼退治をするより、近くにいたほうが強くなれる。

 あたしに気づいたのか、凱が振り向いた。彼に向かって手を伸ばす。自分の手と凱の顔の向こうから、何かが飛んでくるのが見える。


 声にならない叫び声を上げて、あたしは凱を突き飛ばした。そのまま彼を抱き抱えるようにして地面の上に押し倒す。岩の上に思いきり打ちつけた右手首が悲鳴を上げる。あたしたちのすぐそばを矢がかすめる。


 手首が激しく痛む。昔、足首を捻挫したことがあるが、この痛みはあれに似ている。でも痛みの度合いが違う。もしかしたら骨をやられたかもしれない。

 刀を拾う。だが力が入らない。


 どうしよう。左手でしか刀が持てない。


 目の前が真っ暗になる。なんとか保っていた気の糸が切れ、この場に充満する邪気や殺気が一気に体に入ってくる。

 臓腑という臓腑が押しつぶされ、音が消え、匂いが消え、苦痛だけが体の中を暴れまわる。

 それはまるで、体の中に毒蛇をぎっしりと詰め込まれたような。


 凱が体を動かした。あたしの腕を掴んで何かを言っている。その声と彼の体温が、邪気がうごめく体の中にぽつぽつと光を落とす。

 真っ暗な苦しみに捕らわれそうになったあたしの心を、光の方へと導いてくれる。


 そうだ。負けるな、あたし。

 負ける時は、「刀が握れなくなった」と絶望し、全てを諦めた時だ。

 あたしたちは二人なら強くなれる。あたしにできること。あたしならではの。刀の使い方はうまくない。力もない。それでもきっと、できることがある。


 今こそ強くなれ、あたし。

 そうだ。あたしは凱と魂を分けた。大切な人と魂を分けた、あたしは。

 神の、使いだ。


 体の奥に強い光がともる。

 光は徐々に強くなり、黒い邪気を押し出す。

 凱の体温を感じ、自分の中の光を感じ、燃えたぎる熱を感じる。

 眩しい。熱い。果てしなく熱い。熱は邪気を浄化し、新たな力をみなぎらせる。


 背中が熱くなる。痛いほどに。痺れるほどに。

 やがて激しい疼きと共に、傷痕から気がほとばしった。


 周囲がどよめく。

 凱が目を大きくしてあたしを見ている。


 引っ張られるような感覚と共に、忘れていた重さが背中によみがえる。背中の筋肉を動かすと、空気はあたしに抗い、押し戻そうとした。


 自分の後ろを見る。

 あたしの背中には、とうに腐り落ちてなくなってしまったはずの、真っ白に輝く翼が誇らしげに広がっていた。

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