45 強き声は君が為

 鉄砲に驚いたのか、あたしたちが本当に鬼退治をする気なのがわかってもらえたのか、今度は目立った反論の声が上がらなかった。誘導するなら今のうちだ。


「出水さん。おそらく鬼は、私たちがここにいると知っているだろうと思います」

「そうですね。あの鬼がここへ来たのは、呼子のせいだけではないでしょう」


 そういえば、さっき翼の生えた鬼――あれは鬼の使いだったみたいだ――は、まっすぐあたしたちのところへ飛んできた。

 ここは鬼ヶ島で、神は入れない場所だ。もしかしたら、鬼どもは凱やあたしの出す気かなにかを察知しているのかもしれない。


 だとしたらなおのこと、もたもたしていられない。ざわつく人々に声をかけようと視線を動かすと、憲と静流の姿が目に入った。

 耳を押さえてうずくまる憲に向かって、静流が小さな声で何かを言っている。


「どうしましょう。ごめんなさい。痛いですか。ありがとう存じます。ごめんなさい。大丈夫ですか……」


 人々の間を縫って彼らの所へ移動する。憲はうずくまって呻き声を上げていた。


「憲、どうしたの」


 静流があたしを見上げた。大きな目をゆらゆらと潤ませている。


「私の、せいなのです。こちらの、えっと」

「ああ、憲っていうの」

「憲様が、私の、えっと、あの、先ほど耳を塞ぐよう言われましたので、私、若様のお耳を塞いだのです。そうしましたら、憲様が、私の耳を塞いで下さったのです。物凄い音でした。憲様は、あの音をそのまま聞いてしまって」


 子どもを抱きかかえながら、片手で自分の耳にそっと触れる。

 犬人の耳は敏感だ。小さな音を捉えられるかわりに、大きな音には弱い。憲は耳を押さえたまま顔を上げ、苦しそうに笑ってみせた。


「いてて、きーんってする……。やー、ここまで凄い音とは思わなかったよ。大丈夫だった? し、しず、静流……さん」


 たどたどしく名前を呼び、咳込む。目を泳がせ、おずおずとした様子で手を伸ばす。手は静流の耳の前で止まり、下ろされた。


「ごめんね。思いきり触っちゃった、耳」


 憲の言葉に、静流は子供を抱きしめてふるふると首を横に振った。


「じゃあ行こうか。子供抱っこして歩ける?」


 立ち上がり、微笑む。

 その時、憲の体がふっと大きくなったような気がした。彼はもともと大柄だが、そういう問題ではなく。

 昨日、焔も大きくなったように感じたことがあった。あれは確か、彼が鬼退治の理由を、私怨ではなく、みさをさんと子供が安心して暮らせるようにするためと決めた時だ。


 静流が立ち上がったのを合図に、皆が次々と立ち上がった。男たちの何人かは手枷を嵌められていたので、自警団の人たちが外して回る。

 どの手枷も作りがばらばらで鍵もないのだけど、どういう技術なのか小さな金物を隙間に差し込んで次々と外していく。


「出水さん。鬼退治は早く終わらせなければなりません。ここにいる皆を誘導したら、すぐに岸を離れましょう」


 ロンの言葉に凱が頷いたとき、人間の男が割って入ってきて声を荒らげた。


「おいちょっと待てや。俺らを置いてけぼりにする気かよ。俺らが鬼に襲われたらどうする。ここにいるあんちゃんの何人かをこっちに回してくれるんだろうな」


 男の言葉に、ロンは明らかに不愉快そうな表情をした。それを見て凱がいつもの調子で穏やかな笑みを見せる。


「これから向かっていただく岸は、島の隅で鬼の出入りがなさそうな所です。鬼にとって私たちは敵ですが、皆さんのことは魂目的でここに集めていたのでしょう。おそらく、じっと隠れていれば無駄な殺生は」

「じゃあ、やられたらお前のせいってことでいいんだな! てめえ、若造の分際で、さっきから上から目線のばか丁寧な話っぷりが腹立つんだよ!」


 凱の丁寧さに腹を立てる人は、確かに一定数いる。長様とか。だけど上から目線ってなんだ。

 男が冷静でないのはわかっている。鬼がこわいだろうし、動転しているだろうし、たぶん普段はこんな人ではないのだろう。でもだからってこの八つ当たりはちょっとひどい。きょとんとしている凱に代わって怒鳴ってやろうと口を開ける。

 その時。


「こちらにいらっしゃる方々は、鬼退治をしてくださるのです! 私たちを助けようとしてくださっているのです! 私たちのために鬼退治をする人を減らすわけにはまいりません!」


 裏返った女の大声が耳元に響く。その威勢のよさに押されたのか、男は口をつぐんだ。そうだそうだと合いの手を入れようと、声のするほうに顔を向ける。

 静流が子供を抱きかかえて男を睨んでいる。

 声の主は静流だった。


「な、この……」

「これ以上もたもたしていては、鬼退治をしてくださる方々のご迷惑になります! さあ、早く場所を移りま……しょ……」


 威勢のいい声が急速にしぼんでいく。唇も子供を抱く腕もがたがたと震え、瞳が揺れる。それでも両足を踏ん張り、男から視線を外さない。


「ふざけんなこの小娘が! なんでえ、さっきまでびくびくして縮こまっていただけなのに。俺らを助けねえで何が鬼退治だよ」


 男の剣幕に、静流はひゃっと小さな声を上げた。唇を噛み、その場から動かない。それでもはたから見て、彼女が限界なのがわかる。

 レオンがロンに話しかけた。ロンは渋い顔をして首を横に振ったが、レオンがさらに言葉を重ねる。やがてロンは大きな仕草で肩をすくめ、声を上げた。


「この人、レオンと言います。彼が皆さんを守ります」


 ロンの言葉を受けて、レオンはぴょこんとお辞儀をした。

 確かに戦える人が一人もいない状態で、この人たちを待たせるのは難しいかもしれない。でもあたしの本音としては、彼一人が抜けるだけでも相当な痛手だ。

 レオンは静流に向かって微笑みかけた。


「ありがとう。お嬢さんは、強いですね」


 静流が俯いて首を大きく横に振る。さっきまで声を上げていた男は、まだ何か言いたそうだったが、黙って歩き出した。

 あたしたちが先頭になり、洞穴を後にする。




 岸までの道は足元が悪く、なかなか前に進めない。あたしたちはともかく、洞穴の中に押し込められていた人たちにとって、岩の間を縫って歩くのはなかなか大変そうだ。


 あたしと並んで先頭を歩いていた凱が、立ち止まり目を細めて空を見上げた。


「どうしたの」

「鬼の、使いが」


 彼が指さす方向に、数頭の使いらしきものが空を飛んでいるのが見えた。

 あたしも目を細めてみる。だがかなり上空を飛んでいるらしく、「使いっぽい」ということ以外はわからないくらい小さな姿だ。あの距離ではさすがの鉄砲も届かないだろう。

 奴らはあたしたちの上をしばらくふらふらと飛んでいたが、やがて坂の向こうの方へ飛んで行った。


「ありゃ、消えちまった。奴ら、びびって……いるわけねえよな」


 焔は鼻に皺を寄せて打剣をしまった。


「凱さん。さっき犬人たちが、坂の上から臭いがしたと言っていました」

「はい」

「坂の上に、鬼がたくさんいるんだろうと思います。どうですか」

「おそらくそうですね。だから使いも向こうに飛んで行ったのでしょう」


 彼らの話を聞いて、背筋にぞくりと震えが走る。

 使いどもには、あたしたちの姿が見えていただろう。それなのに襲ってこず、坂の上に飛んで行った。

 あたしたちに怖気づいたから、なんて呑気なことは、さすがに思わない。

 奴らは、「鬼の使い」の役目を果たしたのだろう。


 刀に手をかける。

 背中の傷痕が、鈍く疼く。




 岸に皆を集め、あたしたちは坂の上に向かうことにした。


「レオンさん。一人で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」


 凱の言葉に、レオンは複雑な表情を見せた。


「そうですね。ここまで来て、わたしは、鬼退治のお役には」


 言葉を最後まで言わず、俯く。

 なんとなく、気持ちはわかる。でも口を挟めない。もやもやしたものが胸に溜まる。


「れ、れお、ん様」


 静流が駆け寄ってきてレオンに頭を下げた。


「本当にありがとう存じます。えっと、申し訳ないことでございます」


 小さな声でそう言って縮こまる。レオンはふわっと微笑むと、少しかがんで静流に目線を合わせた。


「お嬢さんの言葉は、難しくてよくわかりません。でも、気持ちはわかります。ありがとう」


 彼にそう言われ、静流は困ったような表情をして子供をぎゅうっと抱きしめた。

 子供が不機嫌そうな声を上げる。彼女の不安定な抱っこを見ていると、つい本業の血が騒いでしまう。


「静流さん。僕、ばしーっと鬼を退治してくるから。ここでのんびり待っていてよ」


 憲は鼻を膨らませ、腕をまくって自慢の筋肉を見せつけた。

 何やっているんだこいつ。案の定、むき出しの腕を見た静流は恥ずかしそうに俯いた。


「あの、その、えっと、憲様」


 憲が袖を降ろしたのを確認して、静流はゆっくりと顔を上げた。


「私、ここでお待ちしております。皆様が無事にお戻りになりますことを。憲様が、お戻りになりますことを。ですから、どうぞ、憲様」


 真っすぐに憲を見つめる。

 大きな瞳に強い光が宿る。


「ご武運を」


 子供を抱きなおし、右手をそっと差し出す。

 頬を染め、憲を見つめる。

 その手を憲は強く握り返した。


 凱が声を上げる。


「皆さん、行きましょう」


 皆で頷き、人々に背を向ける。

 坂を歩き出す。憲は右の掌を見つめた後、何度か咳込んで刀に手をかけた。


「鬼ど、ど」


 しわがれ声を出す。喉に手を当て、また咳をする。

 顔を上げ、坂の上を見据える。

 刀を抜く。燃え盛る日の光が冷たい刀身を滑る。


 大きく口を開け、叫ぶ。

 声変わりし始めの中途半端な声ではなく。

 低く、張りのある、大人の男の声で。


「覚悟しろ鬼ども! 僕がまとめて退治して、みんなを守ってみせる!」

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