38 千年の命など

 あたしの言葉は瑠璃色の中を揺らし、広がっていく。


「はい」


 当たり前の問いに答えるような神の声が、あたしの耳から頭に響く。


 背後から、「っしゃあっ!」みたいな叫び声が聞こえた。あれはたぶん、焔の声だ。その叫び声を包むように、ざわめきが瑠璃色の中に満ちる。

 凱を見る。彼は目を見開き、唇をわななかせていた。


「だからなんだというのです。些細な問題でしょう」


 使いが手をひらひらと振った。


「二つの魂は、ヒトの肉に入れて川に流す。私たちの世では、ヒトはヒトです。それをヒトが勝手に、人間だの、亜人だの、男だの、女だのと分けているだけです」

「ほら。私たちに、そんな区別はないでしょう?」


 それは確かにそうだ。神と使いは、そういう区別がわからない。だが、それはそれ、だ。

 だって、だとすると、あたしの今までの悩みは、苦しみは、なんだったのだ。


「ええと、話を元に戻しましょう」


 あたしたちの心は放ったまま、神はゆらりと頭を振った。


「神々があの島に入れないのは、邪気が強いためです。だから風の神たちには、邪気が弱まるまで鬼を退治してほしいのです。すべての鬼を退治せずとも、邪気が弱まれば天界と島の間に道が通り、天の神が降りてこられる」


 ですが、と小さな声が聞こえたようにも思えたが、神の話を使いが強い口調で継いだ。


「鬼は、重い罪を犯した神です。罪は様々ですが、裁きの前に逃げ出し、あの島に棲みつきました。凝縮した邪気は神を鬼に変え、肉を纏い、人々を害するようになった。だから、改めて裁かれなければならぬのです」


 神と使いが一気に話したので、頭の中を整理する。

 あたしたちは今、大変な役目を神から請けようとしているのだ。自分が亜人か人間かで混乱している暇はない。


 鬼ヶ島には、悪い神が罰せられる前に逃げ出して居座っている。だけど鬼になると同時に肉がついた。つまり、生き物となった、のかな。たぶん。

 神はどうだかわからないが、生き物なら食べ物が必要だ。だからあの岩の塊で棲み続けるために、奪う。

 それはわかった。神の世から見ても、鬼は退治されるべき、ということでいいんだろう。だけど。


 凱はあたしたちを見回した後口を開いた。


「おそれいります。鬼の邪気が弱まるまで退治すれば、道ができる。ということは、その後は天の神様が退治か裁きをして下さるのですよね」

「私が天界まで飛んで、天の神に伝えましょう。もっとも天の神は、常に島に入る時機を窺っていますから、この会話も聞いているかもしれません」


 そこで神は使いを遮るように手を伸ばした。瑠璃色の中が、急に湿り気を帯びる。水の中で湿り気というのもおかしな話だが、頬も額も、しっとりと湿る。


「私の使いよ。確かに鬼を裁くには、風の神と風の神の使いの力を借りなければできないでしょう。魂がひとつになれば、強大な力を持つかもしれない。ですが」


 瑠璃色が急に水の姿を取り戻したかのように滲む。


「風の神たちの魂を包んでいるのは、ヒトの肉なのです」


 滲んだ瑠璃色が揺れる。たゆりたゆりと。

 この、泣き出しそうな瑠璃色は、海の神の心なのだな、と思う。


「あたしは」


 ここは凱に話をしてもらったほうがよかっただろうか、とも思ったが、口を出した。


「自分の雇い主のために、鬼退治に来ました。まあそういうことでお願いします。でも、これはそんな小さな問題じゃなかったんですね。あたしたちが鬼退治をすれば、裁かれるべき鬼が天の神に裁いてもらえるってことなんですね。で、鬼退治って、ある意味神でもできないこと、ってことですよね」

「そうなのです。それを弱い人間の肉を持った」

「その『肉』ってなんかこわいんですけど。まあいいです。えっと、あたしたちは弱いです。千年も生きられないし、体だって小さいし、こんなきれいな場所ではなく、地べたを這いつくばって生きている、弱い人間です。だけど、だからこそできることがある、それがヒトだけじゃなく神の役にも立つって言われて、逃げるほど弱くはないです」


 微笑みを作り、凱を見る。

 瑠璃色の中、互いに近寄る。触れ合った手を握る。

 あたしは凱の「格好つけ」のために口を閉じた。


「私たちは、鬼退治をします。もとよりそのつもりでした」


 凱の言葉に、神の体は少し揺れ、使いは両腕を上に伸ばした。


「ちょっと待て。私たちヒトも鬼退治はする。だがあなた方が神であるならば、一つ問いに答えてもらいたい」


 ロンが声を上げると、ぴりぴりとした波が起きた。これはたぶん、使いの心だ。


「我々は何度か鬼を捕らえたことがある。奴らは、ヒトを攫う目的は魂を奪うためだと言った。奴らは魂を食うと。そして同時に奴らは、女神への供物にするとも言った」


 ぴりぴりは強さを増し、体が痛いほどになる。ロンは神を指さした。


「我々の鬼退治は、魂を食う者たちの片棒を担ぐことになるのか」


 びりっ、と全身が痺れ、あまりの痛さに体をこわばらせる。

 使いは両腕を広げ、前のめりになった。それを神がゆっくりと制す。


「鬼は魂を食べます。しかし、神も、女神も、食べません。どういうわけか鬼がそう言っている、ということは知っていますが、食べません。当然です」


 まあそうだろう、という答えが返ってきた。

 神と鬼、どちらが嘘をついているのか、と考えた場合、普通、鬼が嘘をついていると考える。それはロンも同じだったようだ。彼はまたもや険しい表情のしまいどころを忘れたように口を閉じた。


 この話はこれで終わったはずだが、なんとなく胸の中にもやもやが残る。

 どうして鬼は、つかなくてもいいような嘘をついたのだろう。


「幼い風の神と、風の神の使い、そしてヒトよ」


 神はあたしたちをまっすぐに見つめた。


「どうか、頼みます」


 瑠璃色がさわさわと揺れる。あたしたちは大きく頷いた。


すげえ! 俺ら、神様に頼まれて神様の下で鬼退治するのか。んで俺と憲は神様の使用人か! 自慢するぞ自慢するぞ、みさをと子供に、嫌われる一歩手前までしつこく自慢するぞ」


 焔が明るい声で騒いでいる。その言葉に、きっと凱は救われているんだろうな、と思う。


「お待ちなさい、そこのヒトよ。風の神はヒトの肉があるので、魂だけが神」

「海の神よ、余計なことを言わないでよいのです」


 神たちの掛け合いに、つい笑ってしまった。優しくおっとりした神と、神を尻に敷くしっかり者の使い。お似合いだなと思う。


「では、私が海まで連れていきます」


 使いが翼を大きく広げ、一度はためかせた。瑠璃色が大きく揺れ、後ろで動きを封じられていた皆が一斉にゆらゆらと動き出した。


「幼い風の神よ」


 神は滑るようにして凱に近づいた。


「風の神の魂は強い。きっと鬼に勝てるでしょう。その強さは、千年の時を刻む神にふさわしかったのに……」


 神の青い瞳から、ぽろりと涙が零れて浮かぶ。

 その言葉に凱は少し首をかしげた。


「海の神様。神様と使いの方は、夫婦めおとでありましょうか」


 いきなり神の話と全然違うことを言い出す。さすがの神も面食らったらしく、瑠璃色がぶるぶると震えた。


「ええと……。我々にそういうつながりや、愛情の傾け方はありませんが、それが何か」

「では私は、小さく弱い人間のほうがふさわしいでしょう」


 凱はあたしを見た。瑠璃色の中で、彼の蜂蜜色の澄んだ瞳があたしを映す。


「私は何よりも大切なもう一つの魂を、恋慕の情という形で愛する喜びを知りました。そして想いが通じあう幸せを知りました。私は彼女を使いとしてではなく、一人の女性として、数十年の生涯をかけて愛し抜きたい。だから千年の命など、いらないのです」


 あたしに向かって、ふわりと微笑む。

 頭の中が果てしなく膨張して真っ白になる。


 それはあたしだって同じだ。

 あたしだって人間として凱を愛したい。それができなくなるんなら、神様として千年生きたいなんて思わない。

 そして凱にそこまで愛してもらえるなんて、凄く幸せだ。

 当然だ。だけど。だけどさ。

 

 場所考えて言えよ! すぐそばに自警団の人とかいっぱいいるじゃないか!


 神は凱の言葉にふふふと笑うと、使いの方に顔を向けた。

 使いもふふふと笑うと、もう一度、翼を大きくはためかせる。


 その瞬間、目の前が真っ暗になった。




 目を開ける。あたしは気球の舟に乗っていた。

 頭が重い。髪が日を受けてぽかぽかする。舟の中を見回すと、皆、無事のようだ。ぐっすりと眠っている。

 刀や鉄砲もそのままだ。体を起こすと、他の舟も近くに漂っていた。


 振り返る。

 舟は、巨大な岩の塊――鬼ヶ島に向かっていた。

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