第26話 ひとつになるとき

 目の前の二人が微笑む。「はじめまして」と言われてたので頭を下げたが、言葉が出てこない。


 ええっと、そもそもあたしと凱に向かって「はじめまして」と言った、んだよな?

 ということは……。


 「神の気を出している」、「ヒトとして育つ」、そして「幼い風の神と、風の神の使い」。

 三つ合わせると、どうしても、絶対に考えてはいけないような答えが導き出されてしまう。


 つまり、あたしたちはヒトとして育ったけれども、実は凱が「幼い風の神」で、あたしが「風の神の使い」ってことか?

 「神」って、まさか、あの「神」?


 ロンがふわふわと浮かんで、あたしたちの前に出てきた。


「お前らは何者だ。ここはどこだ。一体何が目的だ」


 訛りのない、強い口調で畳みかける。だが彼の目の前の瑠璃色が、ゆらん、とたわむと、何かに押されるような姿勢のまま、後ろへ流されていった。

 後ろを見る。焔や憲、自警団の人たちが浮かんでいる。怒鳴ったり、叫んだりしながら。しかし何かに阻まれているかのように、その場でもがいている。


「はじめまして。我々を助けて下さり、誠にありがとう存じます。しかし……。そうですね、何から伺ったらよいものやら」


 凱がいつもとあまり変わらない調子でそう言い、首をかしげる姿を見て、翼のない方が、ふふふと笑った。

 笑い声はあたりに響き、瑠璃色を震わせる。

 翼のある方が、腕を組んで翼のない方を見る。


「海の神よ。あなたの話はわかりにくい。よく喋るわりには、何を言っているのかわからない」


 確かにそうだけどひどい言いようだ。海の神と呼ばれた方が、またふふふと笑う。


「私の使いよ。仕方がないのです。私はあなた以外とはほとんど話さない。そしてあなたは、私の話すことを全てわかってくれる」  


 海の神と使いが、見つめあってふふふと笑う。

 瑠璃色が細かく揺れ、さわさわと全身を包み込む。胸の奥が、しっとりとしたぬくもりに満ちる。


「こちらは、海の神。私は海の神の使い。一緒にこのあたりの海を守っています。そうですね、私たちはヒトの言う、『神様』です」


 使いは、指先を揃えてふわりと頭上を指した。


「この海の上には、今、風の神がいません。それなのに風の神の気を感じたので見てみたら、あなた方が空を飛んでいたのです」

「上手な気を使っていました。人間の肉は苦しいでしょう」

「待ちなさい海の神。私が順番に話しているのに」


 神と使い、という呼び名から、なんとなく神が主人で使いが使用人みたいなものなのかと思っていたが、もしかして神、使いの尻に敷かれているのか。


 そんなことを思いながらも、心のどこかであたしの声が呟いている。


 あたしと凱、変だ。「いかにも神様」な彼らが目の前にいて、こんな会話をしているんだから。普通なら後ろにいる皆みたいに、感情が乱れそうなものなのに。


 隣の凱を見る。彼は神と使いを見て、笑みを零していた。


「おそらく気づいているでしょうが、この海の先にある島には、鬼が棲んでいます。稀にヒトが鬼を退治せんと舟で向かってくるのですが、敵うわけがありません。だから海の神が渦を起こして追い返していました。しかし空から来られては手が出せない。島へたどり着いてしまう。あの空飛ぶ球に乗っていたのが、ヒトたちだけであったらね」


 使いは大きく手を広げた。瑠璃色が緩やかに波打つ。


「空飛ぶ球を浮かべていたのは、幼い風の神、あなたの意志です。海の神の心が海と繋がっているように、風の神の心は風と繋がっている。だからあなたが怒れば突風が吹き、鬼の島へ行きたければ島の方向に風を吹かせ、球を飛ばす。しかし神の気で吹かせた風は、鬼の放つ邪気に弾かれてしまう」

「あの、おそれいります」


 凱が困惑したような顔をして、使いの話を遮った。


「先ほどより私のことを神と仰いますが、私はただのつまらぬ人間です。大地の気を動かすような、大それた技を使うことはできません。そして彼女も、確かに神のごとく慈愛に満ちた、強く優しい女性ですが、神の使いではなく亜人です」


 こんな状況でもそういう一言を挟んでくるって凄い。

 背後から憲の声が聞こえる。


「凱さんって神様なの? え、神様が川から流れて、うちの村に来たの?」


 海の神がゆるゆると手を動かした。その手が指し示す方を見ると、憲がいる。憲はぎょっとしたような表情をして固まった。


「幼い風の神よ。あなたは、やはり川に流されたのですね」


 凱が頷く。ついでにあたしも頷いてみる。彼らに促され、凱は自分が川から流れて村にやってきた経緯を話した。

 真っ白な産着にくるまれて、桃の香りが満ちた箱に入っていた話。これは何度か聞いたことがあるが、あたしはこの話を聞くたびに、不思議に思っていた。

 赤ん坊を川に流すのは、口減らしのためだ。普通、そんな丁寧な流し方なんかしない。


 あたしも話す。といってもあたしの場合、川に流されたことは知っているが、どういう状況だったのか聞いたことがない。

 そのかわり、見世物小屋の頃の話を色々させられた。檻に閉じ込められ、好奇の目にさらされて、翼が腐り落ちた話。

 

「――って感じで捨てられていたのを、彼に助けてもらったんです。だからあたしたちが出逢ったのは偶然なんで、『神と使い』みたいなものではないと思うんですけど」


 そこまで話してみたが、たぶん、最後の方は聞いてもらえていないと思う。

 海の神と使いは、あたしの話の途中から涙を零していた。


 瑠璃色の海の中で、彼らの涙は澄んだ空のような色をしている。涙は目からぽろぽろと零れると、ちいさなちいさな珠になって、瑠璃色の中に浮かび、溶けていく。


 海の神が顔を上げた。


「そんなことを、女神は望んでいないというのに。女神のもとで育てば、きっと強い風の神と使いになって、千年の時を重ねることができたであろうに」


 使いは目元をゆっくりと払い、涙を瑠璃色に溶け込ませた。あたしを見て口を開く。


「神はおよそ千年の時を刻んだのち、消えます。今は多くの神が消える時なので、神の魂を産む『女神』は、ずっと産み続けています。産まれた魂は神と使いのふたつに分かれ、女神のもとで育つのですが、まれに、神産みで弱った女神を案じた取り巻きが、魂が強すぎ、女神を弱らせる神と使いを、人の世に流してしまうのです」

「そうなのです。神は人の世では姿が見えません。だからヒトの肉に魂を詰めて川に流すのです」


 海の神と使いが言葉を切る。あたしと凱は顔を見合わせた。凱はなんともいえない表情をしている。それはたぶん、あたしも同じだろう。


 神が消える時期だから、女神がずっと神を産んでいる、というあたりは、ゆうべロンが言っていたことと同じだ。そしてこの話の続きが本当なら、あたしたちはもともと一つの魂だったものが、二つに分かれて、でも育てにくいからと取り巻きに勝手に捨てられた、ということだろうか。


 ヒトの肉、という言い方がこわいが、要はヒトの赤ん坊の姿の中に神の魂を入れて川に流すのだろう。それを今更どうこう言ってもしょうがないが、しかし。


 神は人の世で姿が見えない。

 じゃあここは、どこだ。


「あの……。話の本筋ではないのは承知ですが、その……」


 凱は息を飲んだ後、前のめりになった。


「私たちは女神から産まれたのですよね。では、私と彼女は、きょうだい、なのですか……」

「いいえ。魂は魂。私と海の神は同じ魂から生まれましたが、きょうだいではありませんよ。きょうだい、というのは、生き物の肉の話です」


 神と使いが、顔を見合わせてふふふと笑う。

 瑠璃色がさわさわと揺れる。


「私と海の神は、魂が同じ。だから離れがたく、なによりも大切で、共にいることで強くなれる」


 海の神がふわりと微笑み、使いを見つめる。


「どんなに離れていても引きつけあい、求めあう。自分の中の魂が、もう片方の魂とひとつになりたいと願うのですよ」


 そこで海の神の微笑みがすうっと消えた。

 真顔になる。使いの表情も変わる。


 瑠璃色が重みを増す。体全体を何かに圧迫される。普通にできていた息が苦しくなる。

 使いが両手をあたしたちに差し伸べた。


「幼い風の神と、風の神の使いよ。あなた方はヒトの肉を持ちながら、強い神の気を保っている。あなた方なら、ヒトの世に安らぎをもたらすことができるかもしれない」


 海の神も両手を差し伸べる。


「あなた方の魂がひとつになれば、神の気は増し、使いの翼は蘇り、そしてその強大な力が鬼と天の間に道を作り、鬼に裁きを下せるかもしれない」

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