37 ひとつになるとき

 真っ白な産着にくるまれて、桃の香りが満ちた箱に入っていた話。これは何度か聞いたことがあるが、あたしはこの話を聞くたびに、不思議に思っていた。

 赤ん坊を川に流すのは、口減らしのためだ。普通、そんな丁寧な流し方なんかしない。


 あたしも話す。といってもあたしの場合、川に流されたことは知っているが、どういう状況だったのか聞いたことがない。

 そのかわり、見世物小屋の頃の話を色々させられた。檻に閉じ込められ、好奇の目にさらされて、翼が腐り落ちた話。

 

「――って感じで捨てられていたのを、彼に助けてもらったんです。だからあたしたちが出逢ったのは偶然なんで、『神と使い』みたいなものではないと思うんですけど」


 そこまで話してみたが、たぶん、最後の方は聞いてもらえていないと思う。

 海の神と使いは、あたしの話の途中から涙を零していた。


 瑠璃色の海の中で、彼らの涙は澄んだ空のような色をしている。涙は目からぽろぽろと零れると、ちいさなちいさな珠になって、瑠璃色の中に浮かび、溶けていく。


 海の神が顔を上げた。


「そんなことを、女神は望んでいないというのに。女神のもとで育てば、きっと強い風の神と使いになって、千年の時を重ねることができたであろうに」


 使いは目元をゆっくりと払い、涙を瑠璃色に溶け込ませた。あたしを見て口を開く。


「神はおよそ千年の時を刻んだのち、消えます。今は多くの神が消える時なので、神の魂を産む『女神』は、ずっと産み続けています。産まれた魂は神と使いのふたつに分かれ、女神のもとで育つのですが、まれに、神産みで弱った女神を案じた取り巻きが、魂が強すぎ、女神を弱らせる神と使いを、人の世に流してしまうのです」

「そうなのです。神は人の世では姿が見えません。だからヒトの肉に魂を詰めて川に流すのです」


 海の神と使いが言葉を切る。あたしと凱は顔を見合わせた。凱はなんともいえない表情をしている。それはたぶん、あたしも同じだろう。


 神が消える時期だから、女神がずっと神を産んでいる、というあたりは、ゆうべロンが言っていたことと同じだ。そしてこの話の続きが本当なら、あたしたちはもともと一つの魂だったものが、二つに分かれて、でも育てにくいからと取り巻きに勝手に捨てられた、ということだろうか。


 ヒトの肉、という言い方がこわいが、要はヒトの赤ん坊の姿の中に神の魂を入れて川に流すのだろう。まあ、それを今更どうこう言ってもしょうがない。


「あの……。話の本筋ではないのは承知ですが、その……」


 凱は息を飲んだ後、前のめりになった。


「私たちは女神から産まれたのですよね。では、私と彼女は、きょうだい、なのですか」

「いいえ。魂は魂。私と海の神は同じ魂から生まれましたが、きょうだいではありませんよ。きょうだい、というのは、生き物の肉の話です」


 神と使いが、顔を見合わせてふふふと笑う。

 瑠璃色がさわさわと揺れる。


「私と海の神は、魂が同じ。だから離れがたく、なによりも大切で、共にいることで強くなれる」


 海の神がふわりと微笑み、使いを見つめる。


「どんなに離れていても引きつけあい、求めあう。自分の中の魂が、もう片方の魂とひとつになりたいと願うのですよ」


 そこで海の神の微笑みがすうっと消えた。

 真顔になる。使いの表情も変わる。


 瑠璃色が重みを増す。体全体を何かに圧迫される。普通にできていた息が苦しくなる。

 使いが両手をあたしたちに差し伸べた。


「幼い風の神と、風の神の使いよ。あなた方はヒトの肉を持ちながら、強い神の気を保っている。あなた方なら、ヒトの世に安らぎをもたらすことができるかもしれない」


 海の神も両手を差し伸べる。


「あなた方の魂がひとつになれば、神の気は増し、使いの翼は蘇り、そしてその強大な力が鬼と天の間に道を作り、鬼に裁きを下せるかもしれない」


 彼らはあたしたちのことを、まっすぐ見つめている。

 海の神の青い瞳も、使いの黒い瞳も、まっすぐに見つめながらも、どこかほの暗く揺れている。

 ああ、この瑠璃色の重みは、神と使いの心の重みなのだろうか、と思う。


「自らを神と名乗る、あなた方に問う」


 背後から鋭い声が聞こえた。あれは、訛りのないロンの声だ。


「あなた方は、このお二人が神の魂を持っていると言った。だがヒトの肉であるとも言った。つまりいくら風を吹かせられようと、体は我々と一緒だ。それなのに、あなた方は神でありながら、鬼ヶ島のすぐそばの海にいながら、彼らに鬼を裁けと言うのか」


 強い言葉に驚いて振り向く。ロンは、他の自警団の人たちに抑えられながらも、顔を前に突き出してもがき、声を上げていた。

 背後にぴりぴりとした波を感じたので振り返る。使いがロンの方に手を伸ばしている。


「そうではない。実際に裁くのは天の神です。風の神は鬼を退治し、邪気を払うのみ」

「『のみ』とはなんだ。神々は自分たちの守る場所だけに居座り、鬼退治は出水さ」

「まあ、まあ、まあ」


 まあ、まあ、の声が、瑠璃色の中にじわんと響く。海の神が腕をゆっくりと広げた。


「私の使いよ。また私が、話の順番を間違えてしまったのですね。では、今度はできるだけわかりやすく話をしてみましょうか」


 ロンと使いの間の険悪な空気が緩む。ロンは険しい表情のしまいどころを忘れたまま腕を組んだ。


「ヒトよ。確かにそう思うでしょう。今の幼い風の神は、魂は神でも肉は人間ですから、『変わった力を持つ人間』です。小さく、弱く、数十年で命が尽きる人間です。しかし、それだからこそ、神である私たちは、幼い風の神たちを頼らねばならぬのです」


 海の神の青い髪が、瑠璃色の中に揺れる。海に溶けていくように。


「生き物の肉を持たない私たちは、島を囲む邪気を通り抜けることができません。仮に何らかの手段で入れたとしても、邪気にあたって全身が腐り崩れてしまう。そう、風の神の使いが、人々の放つ邪気のせいで翼を失ってしまったように」


 海の神の言葉を聞いて、背中に触れてみる。着物の切れ目から触れた翼の痕は、でこぼこしていて柔らかい。

 あたしが翼を失ったのは、見世物としての暮らしがつらくて、ではなく、客の放つ気そのもののせいだったのか。薄汚れた、よこしまな気が……。


 ん? あれ?


「え、でも変じゃないですか。あたしは鳥人ですよ。翼だって『ヒトの肉』の一部でしょ。なんで翼だけ腐ったんでしょう」


 言った後で後悔する。今はあたしの翼なんかどうでもいい。せっかく海の神が順序だてて話そうとしていたのに、今度はあたしがかき回してしまった。

 海の神と使いが顔を見合わせる。瑠璃色がくにょりと揺れる。海の神が両手を胸の前に置いた。


「それが、あなたたちの強さなのです。人間の肉を持ちながら、風の神は風を操り、風の神の使いはヒトの目に見える形の翼を持っていた。私の知る範囲では、ここまで神のしるしが表に出ている例はありません。神の魂を持っていても、皆、普通のヒトとして生きているのに」

「凱、あ、この人の名前、言っていましたっけ。凱の風はまあ、凄いと思います。確かに凱の周りはいつも風が吹いていましたから。でも、あたしの翼は使いの体の一部が、実物っていうか目に見えるものとして、ヒトの肉から生えていたってことですか?」

「そうです。ヒトの肉ではなかったから、邪気に耐えられなかったのです」

「いやでもあたし鳥人だから、翼は生え」


 そこでようやく気がつく。

 目の前が白くなり、黒くなる。

 あたしの目の前が、あたしの人生が、あたしの全てが、ぐるんとひっくり返る。

 目眩がする。頭の中身が弾ける。


 ちょっと待て、それは思いつかなかった。

 あたしは鳥人。嘴のない鳥人。だって翼があるから。


 じゃなくて。あたしは。


「もしかして、まさかだけどあたし、あたしって、『嘴のない鳥人』じゃなくて……『翼の生えていた人間』、なの?」

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