5 鬼ヶ島へ
34 想いを込める
気球で空を飛ぶには、大変な前準備がある。それらを海風が吹き始める前に終わらせなければならない。準備は、鬼ヶ島へ行かない自警団の人たちがしてくれる。
せっかく早起きしたのだから、彼らの手伝いでもしよう。
暗い廊下に、自分の足音がちいさく響く。しばらく歩くと、どこかから物音がした。
音の方向を頼りに台所を覗く。そこにはみさをさんがいた。
「おはよう……って、ちょっとみさをさん、大丈夫?」
みさをさんは大事そうに何かを持って、ぼんやりと立っていた。様子がおかしい。しばらくしてようやくあたしに気づき、少し驚いたような顔を向けた。
「あ……。小夜さん、随分早いね」
「いやあ、あたし早起きだからさ。それよりみさをさん、こんなに早くから働いて体は大丈夫なの?」
あたしが顔を近づけると、みさをさんは泣き出しそうな笑顔を見せて俯き、手に持った何かを強く握りしめた。
「小夜ちゃんも、焔も、みんな、鬼退治しに行くでしょ。だからせめて、力になるものをって」
言葉が途切れ、みさをさんの両目が潤む。
「焔、食べるの好きなんだよ。鬼退治の時、お腹が空いていたら力が出ないと思うんだ。でね、きっとみんなもそうだろうから、今からみんなに黍団子を作ろうと思ったんだけど」
両手をあたしの前に出す。握っていたのは、赤茶色の平べったい治療石だった。
「これ、昨日、若様からお借りした石なんだけど、
石を握りしめ、俯く。彼女の後ろにある釜からは、甘くふっくらとした匂いが漂っている。もうすぐ黍が炊きあがるのかもしれない。
あたしは笑顔を作り、みさをさんの薄い肩をぱんぱんと叩いた。
「いやいや、んなわけないじゃん。特に焔なんてさ、みさをさんが作ったーってだけで力出まくると思うよ。あいつ、その辺単純そうだし」
最後の一言は余計だったな、と後で気づいたがもう遅い。幸い、みさをさんは気分を害さなかったようで、ふふっと少し笑ってくれた。
正直、そんなことで悩まないでよ、とは思った。ただ、この気持ちの揺れはどうしようもないのだろう。
これ、たぶん妊娠のせいだ。
長様の奥様もお子様を身籠っているとき、なんでそんなことでと思うようなことで、泣いたり笑ったりしていた。
みさをさんは、こんな不安定な心の状態で、大切な人を鬼退治に送り出すのか。
「自分の具合がうつるかも、なんて考えて団子作るのやめようよ。それより大事なのはさ、大切な人を力づけたい、っていう想いを込めることだと思うんだよね」
そういえば、昨日、凱がちょっと似たようなことを言っていた。
「あたしも一緒に団子作るよ。気球の手伝いしようと思ったんだけど、こっちのほうが得意だしね。みさをさん、今は具合、大丈夫なの?」
「うん。これ持っていると、吐き気とかしないんだ」
「じゃあ作ろう作ろう。それ、とりあえずしまっておこうか」
彼女が握りしめていた石に触れる。
途端に指先が激しく痺れ、思わず石から手を離してのけぞった。痺れは腕から肩を駆け抜けていき、びりびりと全身に広がっていく。
この「気」は、桁違いの強さだ。
あたしは石の入った水を飲んだりすると、びりびりと痺れるような感覚を覚える。これは悪いものではなく、石の力を体が感じ取っているためだ。
だが、今まで石を触っても、こんなに痺れたことなんてない。
きっとこの痺れは、石の力じゃない。焔の強い想いの力だ。
大切な人を癒してあげたい、という想い。
黍が炊きあがった。丁寧につぶし、丸めていく。
黍が冷めるのを待っている余裕はない。熱いまま、食べやすいよう小さく丸める。
熱で掌が赤くなり、ちくちくと痛む。それでも手を休めず、二人で黙々と団子を作る。
想いを込めて。
どうか、この団子が力になりますように。
どうか、この想いに守られますように。
どうか、無事に戻れますように。
胡麻をまぶした黍団子ができあがった。それらを二つの大きな盆に載せ、気球のある広場へと向かう。
崖に面した広場には、すでに三台の気球が準備を終えて待っていた。
あたりには、
気球はすぐにでも飛び出せる状態のようだ。舟にくくりつけられた巨大な袋は、ぱんぱんに膨らんで浮かんでいる。
想像していたものよりもずっと大きい。これに乗って青空を飛び、鬼ヶ島へ行く、と思うと、体の内側から不思議な震えが湧きあがった。
遥か上空を鬼が飛んでいた。だがこれだけ人が集まっている所を襲う気はないらしい。そのままどこかへと飛んでいく。
呑気に飛んでいられるのも今のうちだぜ、と思う。
「鬼退治へ行く皆さーん。黍団子があるんで、よかったら食べてくださーい」
盆を掲げて叫ぶ。自警団の人たちや凱たちが振り向き、わっと集まってきた。
「小夜姉、部屋にいないからどうしたのかと思ったよ。凱さんが凄く心配し」
憲はそこまで言うと、何度かせき込んだ。喉を押さえ、苦しそうな声を出す。
凱が近寄ると、憲は首を横に振って笑顔を見せた。
「うわあ、みんなごめん。団子作っていた。お詫びじゃないけどこれ食べて。二人で作ったんだけど、なんか凄い量になっちゃったんだよ」
全員がお腹いっぱい食べられるように、あえてたくさん作ったのだが、そんな恩着せがましいことを言ってもしかたがない。そうこうしているうちに、二人が持った盆めがけて四方八方から手が伸び、みるみるうちに団子が消えていった。
凱が手を伸ばす。大事なもののように、そっと団子をつまむ。
「これは……」
団子を食べた凱があたしを見る。
「ん、どうしたの? きな粉のほうがよかった?」
「いえ、こちらもとてもおいしいです。ううん……」
団子をつまんでいた指を動かし、首をかしげる。
「なぜでしょう。治療石のような痺れと、力がこみ上げるような感覚が……」
その言葉に、あたしとみさをさんは顔を見合わせ、微笑んだ。
「そりゃあ、特別な団子だもん。なにしろあたしらの想いがぎゅうっと詰まった、この国一番の黍団子だからねっ」
鉄砲や刀の積み込みが終わったので、気球に乗り込む。あたしたちの気球には、操縦係としてレオンが一緒に乗り込んだ。
舟の中央に据えられた、背の高い台で火を焚いている。想像していたよりも激しい勢いの炎で、ちょっとこわいくらいだ。暖められた空気が頭上の袋を膨れ上がらせている。
ごうごうという炎の音、気球を繋ぎとめている縄がぎしぎしときしむ音。そして広場を満たす、歓声のような嘆きのような、祈りのような声。
「焔」
みさをさんが差し出した手を、焔は強く握った。
「ちゃんと休んで、
ひょいと身を乗り出し、みさをさんのお腹に触れる。
「父ちゃん、行ってくる。お前が生まれたらよ、父ちゃんの武勇伝、嫌んなるまで聞かせてやるから覚悟しろ」
お腹から手を離す。
みさをさんと見つめあう。
準備をしてくれていた自警団の一人が何かを大声で言った。それに何人かが応え、手にした
地上に繋ぎとめていた縄が断たれ、気球は
広場にいた人々が歓声を上げる。彼らの背を超え、屋根を超え、木を超える。崖の向こうの海がどんどん広くなり、町がどんどん小さくなる。
太陽がまぶしい。地べたから見上げるしかなかった太陽が、あたしたちに手を広げている。
「わたしは操縦しなさいと言われた時、緊張しました。うまく飛べているみたいです。みんなも大丈夫そうですよ」
レオンの言葉通り、ほかの気球もちゃんと空に浮かんでいる。海と空が曖昧な青色の中にぽかんと浮かんだ気球は、なんだか可愛らしい。
憲は高いところが苦手なのか、焔の足首を掴んで丸まり、震えている。からかってやろうかとも思ったが、照れ隠しで無駄に暴れられたらそれこそこわいので、ぽんぽんと背中を叩くだけにした。
「不思議な風向きです。でもよかったですよ。鬼が飛んでくる方向に向けて……向かっています」
レオンがそう言うと、凱はほっと息をついてあたしを見た。
微笑みあう。
指先が触れる。
穏やかな風が、気球をそっと海の向こうへ連れていく。
よかった。まずはうまく飛べた。
この調子なら、空中で鬼の集団にでも遭わない限り、大丈夫だろう。
天気もいいし、いい風が吹いているらしいし、このまままっすぐ鬼ヶ島へたどり着きそうだ。
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