33 たまらなくあたたかな

 静かな夜だ。

 静寂がじんじんと耳の奥にみてくる。窓の外を見ると、黒い空の中に大きな星が一つ、所在なげに光っていた。


「小夜さんと出逢えて嬉しいのに、未だにこわい自分が嫌でなりません」


 しばらくの沈黙の後、凱がぽつりと呟いた。


「こわい? なんでよ。あたし、凱にはこわいことしていないつもりだけど。殴ったり耳引っ張ったりしていないし」

「いやあの……。とりあえず、焔の耳は引っ張らないでくださいね。すみません。言い方がよくなかったです。こわいのは小夜さんではありません。自分がこわいのです」


 ますますわからない。凱のどこがこわいんだ、と思った時、彼の手に目が行った。

 膝の上に軽く置かれたその手はきっと、刀を握る手ではないと思う。それなのに、野盗の手首や胴を切り、鬼をたおし、明日は。


「自分の強さが、こわいの?」


 あたしの言葉に、凱は俯いて首を横に振った。


「いいえ。弱さがこわいのです」


 両手で顔を覆い、ため息をつく。

 顔を上げ、弱々しく微笑む。


「情けないことです。格好つけて強いふりをしていようと思っていたのに。小夜さんの前では、どうしても自分が偽れない。私を見るあなたの澄んだ瞳が美しすぎるからですよ」

 

 ここで最後の言葉に捕らわれて頬を火照らせていては話が続かない。どっくんどっくん騒ぎ始めた心の臓を引っぱたき、なんとか自分を保つ。


 凱はいつも穏やかに微笑んでいるけれど、いざとなると野盗や鬼を倒す。それってどう考えても強い。

 彼の「弱さ」って、なんだろう。


「格好なんかつけなくていいんだよ。あたし、凱が強いから好きになったんじゃないもん」


 特に剣は弱いと思っていたしね、という言葉を飲み込む。


「凱は、強い。あたしはそう思う。でももし凱が自分の弱さをこわいと思うんなら、凱のこわいものを、あたし、知りたいな」


 今の言い方はあんまり良くなかったかもしれない。興味本位で訊いているわけじゃないこと、わかってもらえるだろうか。


 「弱さがこわい」という気持ちを抱えて鬼退治に向かうのは、それこそこわいことなのではないか。「お前もな」と言われてしまったら、それまでだけれども。

 あたしは凱を守りたい。そう思ってここまで来た。そして守るなら、鬼の攻撃の盾になるだけじゃなくて、彼に寄り添い、その心も守りたいんだ。


 凱の瞳を覗き込む。蜂蜜色の瞳にあたしが映っている。微かな風に火が揺らめき、瞳の中のあたしが揺れる。


「強くなりたい。小夜さんと出逢った時から、ずっとそう思っていました」


 膝に置いていた手を握り、見つめている。


「ご存じの通り、私の剣の腕はひどいものでした。だから小夜さんが鬼に襲われた時、何もできなかった。その時の『情けない』という想いが、『強くなりたい』に変わったのはすぐでした。庭に咲く桃の花に、微笑みかける小夜さんを見て、私は自分の恋慕の情に向かって叫んだのです」


 視線があたしに移る。少しはにかんだ後、まっすぐにあたしを見た。


「『強くなれ、私。いとしい人を守るために』と」


 風が吹く。熱を帯びた風が、灯台の火を大きく膨らませる。


 あたしは言葉を返すことも忘れ、彼の瞳を見つめ続けた。

 凱は、あたしが昨夜、月を見据えて胸に突き刺した想いと、同じ想いを抱いていたのか。

 あたしたちは、互いのために強くなろうとしているのか。


 思わず彼の手を取ろうと体を動かす。だが握りしめられた彼の手の強さにためらい、差し出した手が宙を漂った。


「良い師匠のおかげで、剣の腕はそこそこになりました。けれどもふとした時に、私が至らぬせいで小夜さんの身に何かあったらと、こわくてたまらなくなってしまう。それに小夜さんが存在しているということで、今、鬼退治のための力を得、立っていられる。そんな弱い人間なのです」


 また両手で顔を覆う。大きなため息が群青色の中に溶ける。


 凱。

 あたしのことで、そんなにこわがらなくていいのに。

 あたしが何かの力になっているのなら、それでいいのに。

 それに。


 ああ、そうか。

 あたしたちは、お互いに守られるだけの存在じゃないんだ。

 あたしたちは。


 凱の手を取ろうとしていた腕を広げる。少しのためらいの後、えいやっと腕を彼の体に回す。

 びくりと体を固くした凱を、ゆったりと包み込む。

 彼と頬を合わせ、囁く。


「あたしだって、凱がいるから立っていられるんだ。だからあたしたちはさ、きっと、お互いがいるからこそ強くなれるんだよ」


 囁く息が彼の耳元で巡る。頬の肌の感触が、ぬくもりが、溶け合ってひとつになる。

 凱の腕が、ゆっくりと動いた。仕草や雰囲気からは想像できないほどたくましい腕が、あたしを抱きしめる。

 強く。


 どうしてだろう。

 甘い言葉をかけられたときみたいに、どきどきしたり、頭に血が上ったりしない。

 鬼退治前夜の今、胸に満ちているのは、深く深く、たまらなくあたたかな、安心感だ。


 川に流され、見世物にされ、大回りして生きてきたのは、彼の腕の中にたどり着くためだったのかもしれない。


 あたしたちは人間と亜人だ。禁忌を犯してはいけない。今の状態だって、本当はいけないのだ。けれども。

 あたしたちのいのちは、ひとつだ。




 どのくらいの時が経っただろう。やがて戸の向こうから、べったんべったんという大きな足音と、声変わりしはじめの中途半端な声が響いてきた。


「やー、気持ちよかったなー。お湯使い放題って凄いなー。もう寝なくっちゃー。えーっと僕の部屋はどこだっけー」


 騒がしいのは、憲なりの気遣いなのだろう。凱の腕の中から離れ、顔を見合わせて笑う。


「憲の言う通りですね。もう休みましょう」


 あたしは立ち上がり、一応こっそり戸を開けた。廊下の少し先に、憲が灯りを持って歩いているのが見える。振り返り、凱に「おやすみ」と言おうと口を開く。

 彼の手が、あたしの手首をそっと掴んだ。


「小夜さん、ありがとうございます。あなたと出逢えて、本当に良かった」


 あたしを掴む手に力が入る。


「私たちは明日、必ず鬼に勝ちます。そうして皆で一緒に帰りましょう」


 大きく頷く。


「うん。あたしたちなら、大丈夫」


 深い深い安心感のなかから、強い心がふつふつと沸き上がる。




 結局、あたしはほとんど眠れなかった。

 もうすぐ夜明けだ。今から変に寝るとかえってつらくなりそうなので、さっさと起きて着替えた。

 男物の鳥人用の着物は、動きやすいが背中が寒い。借りた着物は丁寧にたたんで部屋の隅に置いた。


 あたしは着飾るのが嫌いだ。だけどもし、鬼退治に勝って村に戻れたら、一枚くらいはこういう桃色の着物を仕立ててもいいかな、と思う。

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