28 抱えたもの

 海の向こうに沈む太陽は、最後の力を振り絞って茜色の光を放っている。その光を浴びた凱の髪は、燃え盛る炎のようだ。

 あたしたちは町長と一緒に巨大な建物に向かっていた。そこに「ききゅう」が置いてあるのだという。


 通りは、鉄の匂いに代わって食べ物の匂いに満ちていた。かなりくせのある匂いで、最初は少し、うっ、と来たのだが、慣れてくるとなかなか空腹を刺激してくる。


「遅くなってすみません。実はお客が帰った後、自警団の者と話をしましてな。あなたたちのことを、町の若い者に伝えることにしました。もし互いに同意できましたら、日を決めて皆で鬼退治をしませんか」


 町長は隣を歩く凱にそう言って、髭に埋もれた顎をもしゃもしゃと掻いた。

 町長の言うとおりになったらいいなとは思う。四人で鬼ヶ島へ行くより、鉄砲を扱えるこの町の人たちと一緒の方が心強い。だが。


「町のかたの鬼退治に、私たちも加えていただけるのでしたら、大変ありがたく存じます。ただ、気球で飛ぶとなりますと、やはり不安ですね。風を読み切り操縦できるか、空中で火を扱って大丈夫なのか。大切な仲間を、鬼退治の前に危険な目に遭わせるわけにはいきませんので」

「確かに。三台ある気球は、全て係留飛行(縄で地面につなぎ留めて浮かぶ)には成功しておりますが、縄なしで飛んだことはありませんからな」


 二人の会話を聞いて、焔や憲と顔を見合わせる。

 舟で鬼ヶ島へ向かえないのなら、空を飛ぶしかない。けれどもききゅうは、ちゃんと飛んで鬼ヶ島へたどり着けるかわからない。

 さっきぼんやり聞いたところによると、ききゅうは風の流れを見て、火を点けたり消したりして上下しながら進むらしい。舟みたいに自分で漕いで方向を決められないようだ。

 つまり、鬼ヶ島へ着いたら着いたで危険だが、着かなければ着かないで命の保証はない、ということなのか。


「でも、誰かが最初に飛ばなければならないんですよね」


 凱の言葉に町長は曖昧に頷いた。


「まあ、はい。だからできれば、誰かが試しに飛んでみてから、鬼ヶ島へ行けたらいいとは思いますが」

「では、まずは私が乗って」

「あ、じゃあ、あたしを飛ばしてみるっていうのはどうですか」


 凱が余計なことを言いかけていたので、話に無理矢理割り込んでみた。凱が驚いたような表情を見せたが、無視して町長のそばに寄る。


「そんな危ないもんに乗るんでしたら、あたしにしかできません。この人は大きな家の跡継ぎだし、こいつは子供が生まれる前だし、こいつはまだ子供で、親とも仲がいいですから」


 そうだ。あたし以外の三人は、抱えているものがある。

 それに、この中ではあたしが一番弱い。肝心の鬼退治のことを考えると、危険な試し飛びの役目を担うのは、あたししかいない。


「いやあの、操縦方法も覚えないといけませんし、そもそもそんな簡単に決められることではありません」


 町長が渋い顔をしている。もう一押ししないといけないか。凱があたしの前に割り込もうとしてきたので、振り払ってさらに町長へ近づく。


「ききゅうの飛ばし方なんて覚えますよ。町長さんだって、町の人を危険にさらせないですよね。だから、ね。あたしは何も抱えていませんから」

「誰が何も抱えていないんですか」


 静かでありながら耳に突き刺さるような声がしたので横を見る。凱があたしを睨みつけていた。

 その目を見て、心の臓が縮こまる。


 彼にこんな眼を向けられたのは初めてだ。

 こんな、こんな鋭くて、険しくて、そして。


「小夜さんにとって、私の想いは、抱えるものには入らないのですか」


 そして、こんな悲しそうな眼は、初めてだ。


「い……今の台詞、そっくりそのまま返してやるっ」


 立ち止まり、彼を見上げて睨み返す。

 想いは抱えているに決まっている。あたしの大切な宝物だ。だけどこれは特別で、だからこそあたしは空を飛ぶんだ。


「『まずは私が乗って』ってなんだよ。出水の跡取りがふざけたこと言うんじゃねえよ。あたしの想いを置き去りにするんじゃねえよ!」

「置き去りになんかしていません。小夜さんの想いがあるからこそ、私はなんでもできるんじゃないですか」


 よく通る彼の声は、体の中に真っすぐ入ってくる。

 風が吹く。頬を張り飛ばすような突風に、思わず目をつぶる。


「おい、ちょっと待てよ!」


 焔の大声があたしたちの言い合いを叩き落とした。

 途端に我に返る。

 自分の言ったことを思い返して目の前が暗くなり、頭に昇っていた血が一気に引いていった。


 焔はあたしと凱を見た後、おどけたような仕草で肩をすくめた。


「なあ凱さん、小夜。仲間の命を大切に想う気持ちは大事だけどよ、今の喧嘩、はたから聞いたらどう聞こえるか、わかってんのかよ」


 町長に向かって苦笑いをしてみせる。町長は半笑いを浮かべた。


「あ……ああ、おお、仲間に対する愛情が深いですな。素晴らしい。いやまあ、私、実はこの国の言葉の細かい表現をくみ取るのが苦手でしてな。ああ、そうですよね仲間。うん。これは失礼いたしました。さあ行きましょう。まずは気球を見てください。ほら、そこです」


 恰幅の良いお腹を揺らし、威勢よく手を振って歩き出す。あたしたちも歩き出し、凱は町長とききゅうの話を続けた。


「小夜姉、今のって」


 今まで一言も発していない憲が、肩を叩いて囁いてきた。

 そうだ。焔の機転で町長はごまかせたけれど、憲はそうはいかない。彼が今のやりとりを見てどう思ったか。

 憲は一度目を伏せた後、あたしの瞳を見た。


「僕、小夜姉の気持ちは、やっぱり、いけないことだ、と思う。それは、変わらない」


 再び目を伏せ、息をのむ。


「でもきっと、それは、汚らわしくは、ないと」


 その先に言葉は紡がれず、彼は小さなため息をついた。

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