27 空だって飛べる

 今は二人の時間を作ってあげたい。細かいことは後回しだ。あたしは凱の着物を引っ張り、外へ出ようと目配せをした。

 彼は懐から三つの治療石を取り出して焔に手渡した。


「私たちはしばらく席を外します。もしよければ、これをみさをさんに使ってください。これが水用、これが刮痧かっさ(マッサージのようなもの)用、これは温めて。使い方はわかりますよね」

「え、や、まあ、わかるっちゃわかりますけど」


 いきなり渡された石を手に、焔は戸惑ったような表情をした。


「俺は門前の小僧ですよ。力加減とか、水にどのくらい漬けるのかなんて知りませんって」

「いいんです。このくらいかなあ、という感じで」


 おいおい、いくらなんでもそれは雑だろう。そう突っ込みを入れようと思った時、凱は焔の肩に触れた。


「これは石です。水に漬ける時間を間違えたって毒にはなりません。一番大切なのは、愛おしい人を癒してあげたいと想う気持ちを込めることです。今のみさをさんには、焔の愛情の気が何よりの薬になりますよ」


 ぽんぽん、と肩を叩く。

 焔とみさをさんを交互に見る。


「焔。みさをさん」


 太陽のような微笑を浮かべる。


「おめでとうございます」


 石を握りしめ、頭を下げる焔を部屋に残し、あたしたちは部屋を後にした。




 部屋の外で、先ほどの女性が控えてくれていた。彼女に別室を案内してもらう。そこで町長が戻るまで待つことになるそうだ。

 広い廊下を歩きながら、凱の背中を叩く。あたしが囁きかけようとすると、彼は身をかがめて顔を寄せた。


「あのさ、ごめんね、さっき」


 瞬きをする凱の耳元で言葉を続ける。


「せっかく、脚の気を流すって言ってくれたのに」


 さっきの焔との会話を聞いていて思った。うぬぼれかもしれないが、凱は「愛おしい人を癒してあげたい」という気持ちで、脚の気を流してくれると言ったのかな、と。

 もしそうだとしたら、あたしは結構ひどい奴だ。


 凱はふっと声を出して笑った。ちらりと視線を移し、背後を歩く憲を見る。


「月は威勢よく夜空で輝いています。ですが太陽がそばに寄ると、いつも恥じらい、身を隠してしまう。太陽はそんな月が愛おしくてたまらなくて、ますます追いかけてしまう。すると月は更に隠れようとする。きっと雲や鳥は、やれやれと思って月と太陽を見ているでしょうね」


 蜂蜜色の瞳があたしの顔を捉えている。じわじわと頬に血が上る。彼は声を落としながらも、何気ない会話をするように言葉を続けた。


「春の初めの太陽は、呑気に空を漂っていますが、その身に潜ませているのは、抑えきれないほどの炎です。いつか月を、その熱で溶かしてしまうかもしれませんよ」


 最初に案内された時の部屋で待つよう促されたので中に入る。

 あたしは首から上に血と熱を集中させながらも、心の中で一つの想いを固めた。


 月は溶けるわけにいかない。

 太陽を守る、硬い盾になるのだから。




 町長を待つ間、女性からこの町のことや「ききゅう」なるものについて色々聞いた。


 「ききゅう」というのは、この町に住む異国人たちが先祖から伝え聞いていた、空を飛ぶ乗り物のことだそうだ。

 巨大な風船の中に熱した空気を入れて空を飛ぶらしい。凱は「ききゅう」のことを知っているので、凱と女性の会話は「ききゅうが何か知っている」前提で進んでいる。

 途中から二人の会話が異国語に聞こえてきたので、面倒くさくなってぼんやりあたりを眺めたら、憲も同じ仕草をしていた。


 どうせあとで実物を見るんだから、理屈がわかんなくてもいいや、と会話を聞き流していると、焔が部屋に入ってきた。

 部屋に入るなり、さっきの混乱した自分を詫びる。


「焔、みさをさんのお加減はいかがですか」

「今、落ち着いて眠っています。えっと、その、申し訳ないです。あの、あなたにも、この町の人にも、みさをを助けてくれたお礼を、面倒見てくれたお礼を、ご迷惑おかけして」

「あらいいのよそんなの。この町ではいつもそうしているんだから」


 隙あらば続けようとする焔のお礼と謝罪に隙間ができた時、凱が少し身を乗り出した。


「焔。あなたはこれから、どうしますか」


 その言葉に、あたしと憲は顔を見合わせた。

 そうだ。焔が鬼退治をする目的は、みさをさんを攫った鬼への復讐なのだ。

 だがみさをさんは無事だった。しかも身重で、具合も悪い。それならば。


「私は、鬼退治よりも、ここに留まり、みさをさんのそばにいてあげるのがいいと思います。彼女のためにも」

「は? 何言ってんすか。俺、行きますよ鬼退治」


 焔はひっくり返ったような大きな声でそう言い放った後、まっすぐに凱を見つめた。

 なぜかそのとき、あたしの目には、ふっと彼が大きくなったように見えた。


「今の俺にとっては、鬼退治は私怨のためじゃないです」


 焔の瞳に強い光が差す。


「みさをと子供が安心して暮らせるように、鬼退治をするんです」


 彼の背後から、透き通ったほむらが広がる。


「二人のためなら、俺はいくらでも戦えるし、空だって飛べますよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る