第8話 出発

 暗闇の中、ゆっくりと起き上がる。寝床を片付けると皆を起こしてしまうので、申し訳ないがそのままにして部屋を出る。

 中途半端に眠ってしまったせいで、かえって眠い。両腕を持ち上げて体を伸ばすと、凝り固まっていた肩がぼきぼきと豪快な音をたてた。

 部屋の隅で男物の旅装束に着替え、荷物一式を抱えて台所に向かう。


 外は仄かに白さを含んでいるが、まだ暗い。夜明け前のすんとした清潔な空気を大きく吸う。胸の中がひんやりと洗われるようだ。息を吐き、よどんだ感情を体内から追い出す。


 火をおこし、湯を沸かす。路銀は充分にもらっているが、これから常に店や宿があるとは限らない。それなりの長旅になるだろうから、手軽につまめて力のつくものを作って持って行こう。

 忘れ物はないだろうか。自分のものは自分できちんと用意して、凱たちの足手まといにならないようにしないと。

 体調は眠気以外は万全だ。足腰の強い焔や憲に負けないよう、歩き続けられる自信もある。ただ、他の三人に比べて小さいので、同じ距離でもたくさん歩かないといけないのが少々問題だ。

 小さなことばかりをいろいろ考える。鬼退治という大きな目的があるのに、こんなことばかり考えている自分の頭の中身が不思議だ。


 そろそろ他の使用人たちが起きてくる。見つからないよう、そっと勝手口の戸を開ける。

 仲間に会ってしまうと挨拶とかをしないといけないし、話しているうちに無駄に恐怖心が膨らんでしまうかもしれない。あたしは、ひっそりと存在を消すくらいでちょうどいい。


 昨晩、あたしを案じてくれる人がいた。涙を浮かべてくれる人までいた。

 勿論そういう人だけではないし、まあ、色々あるにはあった。それでもなんだかんだいっても、あたしはこのお屋敷で働けて幸せだった。

 室内に向かって深く頭を下げる。

 ありがとう、さようなら、と呟いて外に出る。




 裏門に向かって歩きながら空を見上げる。

 まだ明るいとは言えない、けれど闇が淡く溶けていくような空の色を見て、少し気分が浮き上がる。これからどんどん明るくなることを思わせる空の色は、なんだか希望に満ちているようだ。


 背後からじゃりじゃりと砂を踏む音が聞こえたので振り返ると、一番上の坊ちゃんが八郎坊ちゃんを抱え、走ってこちらに向かっていた。


「小夜、なんだよ勝手に出ていきやがって。挨拶はなしかよ」

「すみません。あたしなんかのことで皆さんを起こすのは申し訳ないと思いまして」

「どうせ小夜のことだから、そう言うと思ったぞ。だから皆で夜明かししてここで待ち構えようって言っていたんだ。夜明かしできたのは俺だけだったけど。八郎はたまたま今起きただけだし」


 怒ったような顔であたしに向かって八郎坊ちゃんを差し出す。抱きかかえると、にこにことしてあたしにしがみついてきた。


 みんな、そんなことを考えてくれていたのか。

 あたしのために。


 目頭が熱くなり、喉が詰まるのをごまかすように、ぎゅっと抱きしめ、笑顔を作る。


「そんな、ありがとうございます。眠いでしょうに、あたし……」

「眠くなんかないぞ。俺は一晩夜明かしするくらいできるんだ。もう俺は、大人といっても過言ではない」


 背丈だけはあたしを追い越した坊っちゃんの、得意げな表情に少し和む。


「いやまだちょっと過言ですね」

「なんだとお。せっかく先生から聞いた鬼の話を教えようと思ったのに」


 坊ちゃんは八郎坊ちゃんを受け取り、頬を膨らませた。


「こういうの、父ちゃんがいるとこで喋ると面倒なことになるかもしれないと思ってさ。古典の素読の先生が言っていたんだ。うちの村、他んとこと比べると鬼が出るのが少ないって言うじゃんか。でも先生が若いころは、もっとじゃんじゃん出ていたんだって。んで先生のお祖父さんのころは、全然出なかったって」


 空を見上げ、少し何かを考え、また口を開く。


「あとなんだっけ。昨日な、色々訊いたんだよ。先生物知りだから。やっぱ退治する奴のことはたくさん知っておいたほうが有利になると思ってさ……って、だだって、俺らの世話係が帰ってこなかったら面倒じゃん。ほほら八郎だってまだもらすし」


 急に早口になって顔を伏せる。気をとりなおしたように顔を上げ、あたしを見た。


「でさ、そうそう。鬼って人を食うって言うじゃんか。でも先生の知っている限りでは『鬼が人を食っている』のを見た人はいないんだって。鬼に立ち向かったりした人を殺しても、殺しっぱなし、って言ったら変だけど、そんななんだって。だから生きたまま攫って、家に持ち帰ってから食うんじゃないかって」


 それはあたしも「あれ?」と思ったことがある。

 鬼は人を食う。それは確実だ。なにしろあたしを食おうとしていたし。

 だが、「食われた」人の話は聞いたことがない。あたしは檻から出てまだ五年なので知らないことも多いが、その物知り先生がそう言うのなら、鬼はその場で自分の腹を満たすために人を食うことはないのだろうか。


 坊ちゃんはむにむに動く八郎坊ちゃんを何度も抱きかかえながら、焦ったように何度もつかえながら言葉をつづけた。


「あと、えっと、鬼は大抵、二頭ひと組で動く。武器を持っているのは大抵一頭。空を飛ぶ奴もいる。えっと、えっと、そうだ、攫われるのは女子供が多いけど、病気持ちとかはあんまり攫われないんだ。そうそう、見た目でわかんなくても、元気なのと病気持ちだとなんでか元気な方を攫うって」


 坊ちゃんの目が潤む。八郎坊ちゃんを強く抱きしめ、睨むようにあたしを見る。


「先生も、どっかで聞いたことあるようなことしかわかんなかった。あんまり役にたてなくて、ごめんな……。なあ、小夜は強いんだよな。鬼、退治できるんだよな。俺、俺、おさの跡継ぎなのに、俺が村の長になるのに、出水さんとこは跡継ぎが鬼退治に行くのに、俺……」


 潤んだ目を大きく見開き、歯を食いしばる。あたしは坊ちゃんの肩をぽんと叩き、微笑んだ。


「ありがとうございます。知らないこと、いっぱい教えてくれて。あの、あたしが鬼退治へ行くのは、自分で勝手に行くって言っただけなんです。坊ちゃんが今やらなきゃいけないのは、りっぱな長になって村をさらによくするために、お勉強と鍛錬に励むことなんじゃないかなって思うんですよ」


 坊ちゃんの目を見ていると、どうにかなりそうだ。これ以上感情を揺らしてはいけない。自分の心を振り切るために大きな笑顔を作り、片腕を大きく上げた。


「じゃっ。行ってきますっ」


 八郎坊ちゃんがにこにこと手を上げ返してくれた。大きく頭を下げ、歩き出す。

 背後から、大きな声が響いた。


「小夜は、絶対、勝つっ!」


 坊ちゃんの力強い言葉を胸に大事にしまう。

 大股で歩き、凱たちとの合流場所へ向かう。

 腰に佩いた真新しい刀が揺れる。


 あたしは、鬼を殺しに行くのだ、と思う。




 合流場所にはすでに三人が待っていた。

 村の端の目印でもある小さな祠の前。祠はかなり古いものらしく、無知なあたしにはどんな神様を祀ってあるのか全くわからない。ただ、いくら古くて小さいからって、もうちょっと手入れすればいいのに、と、少し可哀想になった。


 この先はしばらく荒れ地で、その後小さな集落がある。そこを通り抜けると山があるのだが、そこから先のことは誰もわからない。大きな町は反対方向にあるし、わざわざ山に入る必要がないからだ。

 それに鬼は、必ず山の向こうからやってくる。


「うわあ。小夜、予想を上回る色気のなさだな」


 焔はあたしのことを上から下までじろじろ見た後、眉をひそめた。


「その着物、男物じゃないか。髪を切ったら完全に男だな。まあ小夜が下手に色気づいても気色悪いだけだけど」

「でしょ。だからいいんだよこれで」


 焔の言葉を軽く流し、改めて三人を見る。

 皆、質素な旅装束で、腰には大小の刀を佩いている。凱のものだけなんとなく立派そうな気がする。家に伝わる宝物か何かなのだろうか。

 

「小夜ねえ、脚が痛くなったり、おなか痛くなったりしたら言ってね。奥様の薬草や治療石を預かっているんだ」

「へえ、憲、治療術覚えたの? すごいね」

「ううん。できるのは凱さんだけだよ。でも僕が預かった。なにしろ僕はこの中で一番の力持ちだからねっ」


 そう言って鼻を膨らませ、やたらと発達した腕の筋肉を見せつける。要はそれが言いたかったらしい。

 

 風が吹き、あたしの頬を包む。

 白い光が満ちた空に、ちいさな花びらが舞う。どこから来たのだろう。このあたりに花の咲いた木はなさそうなのに。


 風の向こうで、凱が微笑む。

 ひとひら、彼の肩に止まった。彼はそれをつまみ、そっと掌に乗せた。

 風を受け、ふたたび空に舞い上がる。


「庭の桃は、今が満開です。とても綺麗でした。でも、帰る頃には散っていることでしょう」


 あたしを見る彼の瞳に朝の光が落ちる。

 一度、口を結ぶ。


「あの桃の花を見るたびに、私は小夜さんの姿を思い浮かべます」


 風が強くなる。あたしの顔が火を吹くのも構わず、言葉を続ける。

 蜂蜜色の瞳の光が朝日を跳ね返す。


「来年は、私と一緒に桃の花を見てくださいますか」


 ――来年は、私と一緒に。


 一緒に、生きて、帰って……。


 大きく頷く。

 あたしたちは、山の向こうへと歩きだした。

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