9 それぞれの理由
「さよ、さん?」
凱が頭のてっぺんから出たような変な声を上げる。長様は不思議なものを見るような目であたしを見た。
「小夜、お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「はい。わかっています。あたしはそれなりに鍛えていますから、きっと出水様たちのお役に立てます。それにあたしは長様の家の使用人です。だけど一番下っ端です。だから鬼退治に出すのにちょうどいいと思うんです」
自分の言葉を自分で聞いて、覚悟が固まっていく。もちろん怖くないと言えば嘘だけれど。長様はあたしの話の途中から、腕を組んで何かを考えているようだ。
旦那様は身を乗り出し、丁寧に諭すように言った。
「小夜、気持ちは嬉しい。だがね、はっきり言うと、小夜には無理だ。自己流の鍛錬は実戦に役立つわけではないだろうし、旅路もきっとつらいものになると思うよ。こんな小さな体が耐えられるわけがない」
「気遣ってくださってありがとうございます。でも、あたし結構しぶといんですよ。鳥人のわりには脚も強いですし。それに逆境も、まあ、色々経験していますから」
「無理だ。小夜は女じゃないか」
旦那様の性格上、「女じゃないか」という言葉は、あたしを気遣って言ってくれているのは理解している。それでもあたしはその言葉を聞いて、反射的に眉間に皺を寄せた。
あたしは大人の男性から「女」云々と言われるのが嫌いだ。ほんの小さなころから男どもの下卑た視線にさらされ続けた思い出が、心に影を落としているのかもしれない。
「小夜さん」
凱が声をかけてきた。うっかり眉間に皺を寄せたまま顔を向けてしまう。彼はあたしをまっすぐ見つめ、静かな口調で訊いた。
「鬼退治へ行く理由は、長様の家を立てるため、なのですか?」
蜂蜜色の瞳が、あたしの心の中に手を伸ばしてくる。あたしはその手を払うように、大きく何度も首を縦に振った。
もしかしたら、凱は気づいているのかもしれない。
あたしが鬼退治へ行きたい理由。長様の家のため、というのは建前だ。こういう形にすれば長様の顔も立つだろうし、他の使用人が行かされることもなくなるだろう。
でも本当の理由は、凱に言えない。
あなたを助けたいから。
いざとなったらこの身に代えてでも、あなたを守りたいから。
そしてその「理由の理由」は、絶対に言えない。
なぜなら、あたしはあなたを、
「いけません」
あたしの思考は、凱の鋭い声で遮られた。
「小夜さん。あなたの長様への心は大変素晴らしいものだと思います。ですが私としてはそのお気持ちだけで結構です。私は私の意志で行くのです。あなたを危険に晒すわけに」
「いや、よく言った。さすが我が家の使用人。女だてらに鬼退治へ行こうという、その心意気。どうだ出水の爺、うちからは小夜を出そう」
長様は凱の言葉を遮り、大きく手を叩いた。あたしに近寄り、肩を叩く。口を大きく開け、笑顔を作る。凱が何かを言おうと前のめりになったのを手で制し、旦那様に声をかけた。
「小夜は使えるぞ。お前の
いや同じじゃないだろ、後継ぎを鬼退治に出すのと、下っ端の使用人を鬼退治に出すのでは全然違う。そう思ったが、黙って皆に向かって微笑んだ。
「いえ。小夜さんは行かせられません」
それなのに、凱はなおも突っぱね続けた。長様に向かって強い瞳を向ける。長様は凱を睨みつけ、声を落とした。
「なんだ。儂の家の使用人が不満なのか。儂がせっかく人を出すと言っているのに」
「不満どうこうではありません。小夜さんを危険な目に遭わせるわけにはいかないと言っ」
「黙れ子倅! 青瓢箪の『ソトの者』の分際で。そんなに儂の顔を潰したいのか」
二人の間に苦い空気が流れる。長様の感情がこじれ、凱への個人攻撃になりそうな雰囲気が漂う。
この感じ、このままにしておくと新たな面倒を引き起こしてしまう。あたしは二人の間に割って入り、冗談を言うときの笑顔を作った。
「まあまあまあ。お二人ともやだなあ。あたしのために喧嘩はやめてくださいよう」
苦い空気をかき回す。凱に顔を向け、にっこりとしてみる。
にっこりとしながら、心の中を鎧で固く閉ざす。
「出水様、大丈夫、あたし結構使えますよ。飛べないけれど走るのはまあまあ早いし、腕力もあります。あ、女だからどうこうなんていうのは気遣っていただかなくて平気ですからね」
そこまで言って長様に顔を向け、同意を求める。長様は腕を組み、頷いた。
「小夜。当家の使用人として恥ずかしくない働きをするんだぞ。もし、それができたら」
表情を変えず、言葉を続ける。
「先ほどの失礼の数々を赦してやる」
旦那様と凱に対して顎をしゃくり、帰るよう促す。
大股でお屋敷に帰っていく。
長様の背中を見ながら、なんとなく悟る。
そうか。
あたしは今、長様に退路を断たれたのだな。
長様に向かって失礼な言葉を浴びせたあたしは、鬼を退治しなければ、お屋敷に帰ることができないんだ。
夜になって寝床に入りはしたものの、なかなか眠れなかった。
凱は、明日もお屋敷に来ると言っていた。鬼退治に一緒に行く人を連れて、長様に挨拶をするのだそうだ。
暗闇の中、仲間たちの寝息や歯ぎしりが聞こえる。疲れ切った彼女たちを起こさないよう、ゆっくりと体をひねり、そばに置いた桃の小枝に触れる。
一日中あたしの髪に挿されていた花は、すでに張りを失っている。明日にはしおれてしまうだろう。暗くて何も見えないが、指先の感触からその姿を思い浮かべる。そしてこれを髪に挿してくれた凱を思い浮かべる。
あの優しい手を、穏やかな笑顔を、鬼から守るんだ。
彼の幸せを阻むものは、あたしが許さない。
強くなれ、あたし。
どうせかなわぬ恋ならば、せめて愛しい人の盾となって散りたいじゃないか。
翌日、凱と焔、憲の三人がお屋敷に来た。
鬼退治をするのは、やはりこの三人になったのか。例によって「誰がお茶を持って行くか」でもめていたので、これ幸いと手を挙げて三人のいる客間に入った。
「お茶持ってきたよ。へへ、内緒で焔と憲の分も淹れてきちゃった。味わってね」
これから重苦しい空気になるのは目に見えていたので、せめて今だけでもと明るい声を出してみる。焔はぞんざいにお茶を受け取り、一口飲んで顔をしかめた。
「なんだよこれ、
「うわー、やだねえものの良さを知らない奴は。あんたなんか白湯で充分だったな。ねえ憲、憲はおいしいと思うよね」
「おいしいよ小夜
熱い飲み物が苦手な憲は、声変りしはじめの中途半端な声でそう言い放ち、きらきらとした黒い瞳を向けた。薄茶色の毛並みのいい尾を嬉しそうにぱたぱたと振る姿はかわいいが、結局こいつも味がわかっていないのだ。
「こちらのお屋敷で、お茶の淹れ方もきちんと教わっているのですね」
ただ一人味がわかる凱は、器に視線を落とし、ため息をついた。
「小夜さん、思い直していただけませんか。あなたを連れては行けません」
顔を上げる。その表情は曇り、目の下には微かに疲労の影が浮かんでいた。やはり鬼退治を受けたことについて、昨夜、随分と悩んだのだろうか。
「だからあたしは大丈夫だって。それよりあの、どうしたの、顔色。もしかして、鬼退治が怖い……じゃなくてえっと」
「小夜お前なあ。ちっとは人の心を察しろよ。本当、お前って利口なのかばかなのかわかんねえ奴だな」
焔が話に割って入ってきた。歯をむき出して睨み、あたしを指さす。
「凱さんは鬼退治自体が怖いんじゃねえよ。ま、全然怖くないわけじゃないだろうけどさ。えっとな、小夜、お前を連れて行くのが怖いんだよ」
「あたし?」
よくわからない言葉に戸惑う。「あたしを連れて行きたくない」はなんとなくわかるが、「あたしを連れて行くのが怖い」ってなんだろう。あたし、凱にはそんなに怖い態度を取ったことないんだけど。
凱を見る。彼は目を大きく開いて焔の肩を掴んだ。
「焔、ちょっと待ってくださ」
「あのなあ小夜。見世物小屋でお前を見てげへげへ笑っていた奴だけが男じゃないんだぜ。ああもうわからんもんかねえ。凱さんが内に秘めたこの純粋で美しい心を」
「わあ、やめてくださいっ!」
「え、なになに、僕全然わかんないんだけど。焔は何を話してるのさ」
なんだかあたしそっちのけで、男三人でごちゃごちゃ騒ぎ始めた。
この感じ、出水家でよく見かけた光景だ。凱より少し年上の焔が偉そうな口をきき、二人がそれに乗って騒ぐ。本当に仲がいいなと思う。
でも、彼らは今日、遊びに来たわけではないのだ。
騒ぎが収まったのを見て口を開く。
「あの、やっぱり焔と憲が一緒に行くんだね。鬼退治」
あたしの言葉に三人が口を閉じる。しばらくして憲が身を乗り出した。
「そりゃ、そうさ。僕ら以外に誰が務まるんだよ。今回の鬼退治、長様の魂胆は見えている。もしうまくいけば貢物を減らさなくてすむ。凱さんに万が一のことがあれば、自分にとって厄介なことを言う人がいなくなる。鬼退治を拒めば山を奪って腰抜け扱いできる。結果がどう転んでも長様のいいようになる。でもそんなものにはとらわれない」
どん、と床を叩く。あたしが声を抑えるよう身振りで示すと、彼は声をひそめた。
「こうなったら、なんとしてでも鬼退治を成功させたいじゃないか。村の人みんなが略奪に怯えることなく、もっと豊かになって、貢物も余裕で納められるようになって、平和になったら最高だよ。それにそうなれば、出水家や凱さんの立場も強くなるしね。この村を守るのは、出水家だ。そのために僕は頑張る」
純粋で忠誠心の塊のような憲らしい考えだ。ただ、少し理想に酔っている危うさがある気がする。
憲の話を聞いて、焔は鼻を鳴らして腕を組んだ。
「憲ちゃんは偉いなあ。村のため、出水家のため。俺だって、ちっとはそういう清らかな心はあるよ。だがな」
人好きのする顔に、
「鬼退治の話をされたとき、俺、正直『ついにこの時が来た』と思ったよ。これで堂々と鬼どもをぶちのめせる。調子こいて略奪だなんだと繰り返しやがる奴らに思い知らせてやる。一頭残らず、俺が、俺が」
呼吸が荒くなり、言葉が乱れる。凱が焔の肩にそっと手を置いた。焔はその手を見て、自分の胸を掴んで呼吸を整えた。
凱に頭を下げる。
俯き、呟く。
「悪いけど、俺の鬼退治の理由は私怨だよ。……鬼ども、俺のみさをを攫ったことを、地獄の底で後悔させてやる」
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