2話 現実を知りました

さて、これからどうしようか。

公爵邸から捨てられて、私は1人で城下町であるクォエラの町の中を歩いていた。

4年だけ平民として暮らしていたけど、行く宛は無い。

私はここからずっと離れた山の中で引きこもって生活してたし、唯一山の麓の村で買い物をしてたけど、滅多に行かなかったし·····

雨が激しくなってくる。

何時もは午前中は市場で賑わっているのだが、こんな大ぶりの雨がせいか、町にいつもの様な活気はなかった。

過ぎ行く人達は、私を不信そうな目で見ていた。

雨がじわじわと体温を奪っていく。

私は元とは言え貴族だ。

平民が貴族を毛嫌いしている事は知っている。

こんな所で体調を崩して倒れでもしたら、何をされるか分からない。

どこか雨宿りできて、服を乾かせる場所を探さないと·····

そう考えてた時だった。


「あら·····アンタもしかして·····ラインドール公爵様の娘さんじゃないかい?」


ふと、声をかけられて上を見上げる。

そこに居たのは、医者のおばあさんだった。

公爵の従者達が病気になった時に、公爵邸に出向いて看病をしに来ているのをよく見かけた。

おばあさんは建物から出て、私に傘をさし、布をかけて体を拭いてくれた。


「こんな天気の日にまぁ·····傘も持たずに·····それにこんな恰好·····従者さんはどうしたんだい?公爵様はこの事を知っているのかい?」


私は公爵に捨てられた経緯を話すと、おばあさんは、辛かったねぇ、と、びしょ濡れの私を抱きしめてくれた。

そして、快く私を自分の店へ迎え入れてくれた。


おばあさんは町で病院、ではなく、レストランを経営していた。

おばあさん曰く、医者の仕事だけでは薬を買うお金が稼げないらしい。

中に入ると、憂鬱そうな人々がまばらにテーブルについていた。

皆も雨で気が滅入っているらしい。

おばあさんは私をカウンターに座らせてくれると、火でミルクを沸かし始めた。


「·····あの公爵の血筋は代々私利私欲が強い人が多くて、他人には血も涙もない事で有名でね。この町で長年生きてきて、アンタみたいに捨てられた子を何人か見てきたよ。」

「そうなんですか·····」


こんな不遇な目に合っているのは私だけじゃなかったんだと知って、少し安心する。

その子達は今どうしているのだろうか。

ちゃんとこの町で生きて行けてるのだろうか。


「私が面倒見られればいいんだけどねぇ。残念だけど私にはそんなお金はないんだよ。すまないねぇ。」

「いえ、大丈夫です。気を使って頂きありがとうございます。」


罪悪感で少し胸が痛くなった。

こんな所で倒れたら何されるか分かんない·····なんて私の勘違いだった。

あんな環境にいたから、疑心暗鬼になっていたのかもしれない。

大丈夫だ。

町のみんなはこんなに優しい。


「これからは逞しく生きていくんだよ·····はい、これでも飲んで元気だしな。」


おばあさんはチョコレートの上にミルクを注いで溶かし、暖かいココアを出してくれた。

おばあさんの幾つもの優しい言葉も相まって、涙がにじんだ。


「·····ありがとうございます。」


まだあまり考えてないけど、きっと私はこの町から出て生活していくことになるだろう。

私を捨てた人の近くに居たくないし·····

でも、いつか、ちゃんと1人で生きていけるようになったら、このおばあさんの所に恩返しに行こう。

そう心に決めて、私はゆっくりそれを口に運んだ。


·····喉に激痛が走った。


思わず飲みかけのコップを落とし、カウンターの椅子から転げ落ちた。


「ぁ·····ぐぁ·····?」


訳の分からないままおばあさんを見上げると、

おばあさんは先程とは一転、悪魔のような笑みを浮かべて私を見下ろしていた。


「それは、私の旦那が調合した特別性の毒だよ。アンタの親の重税で死んだ旦那の! この毒は焼けるような痛みとともに喉を溶かすんだそうだ。二度と可愛らしい声を出せなくなるだろうねぇ!本当に上手く騙されてくれたね!ざまぁみろ!」


その台詞を聞いて、愕然としてしまった。

そんな·····嘘·····嘘だよ·····

あんな優しい事を言ってくれたのに·····全部嘘だったの·····?

周りを見ると、おばあさんと同じ様に、皆苦しむ私を見てケラケラ笑っている。


「床に転がって無様だな!」

「バチが当たったんだ。ざまぁみやがれ!」

「自分だけ贅沢して、領地の平民にはこんな貧相な生活を強いて·····許せない!」


追放されたとは言え、さんざん自分達を虐げてきた貴族を、こうやって虐められて愉快なのだろう。

転がった私の体は、公爵の鬱憤で何人もの人から蹴られて、殴られる。

私は頭を守るのと、体を小さくしておくので精一杯だった。


暫くして、客がとりあえず満足したのか、ボロボロの私はレストランから再び雨の中へ放り出された。

あぁ、やっぱり、そんなものか。

貴族じゃないからって信用しちゃダメだ。

通り縋りの人々は、泥だらけ私を見てクスクスと笑っていた。

そうなんだ。お母さんは教えてくれなかったな。

世界はこんなに冷たいんだ。

こんなに·····残酷なんだ。

じゃあ·····もういいや。

こんな酷い世界で、これ以上生きたくない。

もうこのままの垂れ死んでしまおうか。

でも、死ぬ前に·····

私は痛む体をゆっくり起こして、ゆっくり前に進み始めた。




その場所につくまで1週間ぐらいかかった。

私の噂が広まっているようで、道中で公爵領の人達に暴言を吐かれ、沢山暴力を振られた。

そのせいで、随分と時間がかかってしまった。

誰も助けてくれなかった。

知ってたけど。

人里を走り抜け、草木をかき分けて、漸く目的の場所につく。

私が死ぬ前に行っておきたかった場所·····

そう、お母様と過ごした家である。

私とお母様の家は既に取り壊されていて、まるでそこに最初から何も無かったかのように、草木が生い茂っていた。

でも、どこに何があったかはちゃんと思い出せる。

ここが普通の畑で、こっちが麦畑。

ここに木の家が合って、この辺りが台所。

それで、こっちが私の部屋で、こっちが·····お母さんの·····部屋·····

思い出すと涙が溢れだしてきた。

もう1回、お母さんとここで暮らしたいよ·····

嗚咽の代わりに喉がヒューヒューとなる。

嫌い、こんな世界大嫌い。

お母さんも、友達も、声も、理不尽に全部奪われた。

皆、冷たくて、意地悪で、怖いよ。

もう嫌だよ·····助けてよ·····お母さん·····

いくら泣いてもお母さんはもう居ない。

私は1人だ。

みんな敵。

誰も助けてなんてくれない。


·····いや、助けない方が普通か。

だって、私が泣き叫んだところで、誰かが不幸になる事は無い。

自分達の生活が脅かされることはない。

寧ろ、赤の他人で鬱憤が発散できる方が良い。

その赤の他人が、弱くて、後ろ盾が無くて、自分が不利益にならないなら尚更だ。

·····私、皆の只の憂さ晴らしになって死ぬのかな。

誰かの気分で傷つけられて、痛めつけられて·····

私の幸せはお構い無しに。

····················


プツリ、と、私の中で何かが切れた。

涙がさぁっと引いていく。


ここに来たら死のうと思ってたけど、辞めた。

こんな惨い奴らの為に死んでたまるか。

分かったよ、お母さん。

この世界でひとりぼっちで敵だらけの私は、

弱い所を見せたら、残酷なまでに苦しめられて死ぬ。

蹴落とされて、搾取されて、ボロボロにされる。

なら、誰も信じるな。頼るな。

現実を見ろ。

善意で私に手を差し伸べてくれる人なんて、いやしなかったじゃないか。

縋ろうなんて考えるな。

自分だけを信じろ。

ごめんね、お母さん。

私が死ぬ時はきっと、この世界を呪って死ぬだろう。


私は涙に濡れた目で前を向いた。


――――――――――――――――――――


冒険者ギルドとは、地位を問わず様々な依頼を受け付け、それにランクをつけ、達成するのに適したギルドのメンバー、通称『冒険者』を提供する場所である。

ディルマ王国の最西端に位置するピエール辺境伯領の町、モドラ。

この場所にも冒険者ギルドは存在する。


その日は、モドラの冒険者ギルドの取締役であるギルドマスターと、一人の冒険者だけが酒場の様な内装のギルドの中にいた。

ギルドの受付でギルドマスターは書類仕事をし、冒険者の男性は空の酒瓶が2本ほど置かれた机に伏せて眠っていた。

不意に、ギルドの扉が開かれる。

そこから新たにボロボロな3人の冒険者がギルドに入ってきた。

書類仕事を一旦止め、3人の様子を見たギルドマスターは少し目を見開いた。


「·····ん?てめぇらがそんな有様なんて珍しいな。もしかして依頼に失敗したか?そんな難しそうな依頼には見えなかったんだが·····」

「いや、依頼は特に何も問題なく完了したんすけど·····帰り道にちょっと·····」


新たに入ってきた冒険者の1人である僧侶の男性がそう切り出すと、仲間の戦士の男性と魔法使いの女性が口々に言い始めた。


「そう!帰り道に近くの山で食料を調達しようと思ったら、馬鹿みたいに強いやつが邪魔してきてよ!?」

「3人とも瞬殺よ瞬殺!魔法は使ってないみたいだったけど、速いしパワーもあるし、見たことない体術使って3人とも即意識不明よ!」

「で、気がついたら山の麓で寝てたっす。それで慌てて帰ってきたっす。」

「ほぉ·····この近くの山か·····」


ギルドマスターは依頼書をパラパラとめくる。

そして、あるページでピタリと止めた。


「·····この近くってんなら、ラインドール公爵領の外れの山で盗賊が出て困ってるって、ランクBの依頼が来てるが·····?」

「「絶対そいつ!」」

「ランクBの依頼であのレベルっすかぁ·····あ、でも、奇跡的に物は取られなかったっすねぇ。まぁ、オイラたちが盗む程良い物を持ってなかったからかもしれないっすけど。」

「本当に盗賊に出くわして何も盗られなかってんなら、お前ら相当運が良かったな。まぁ、今日はゆっくり休みな。今後も期待してるぜ?」


そう言ってギルドマスターは宿屋に休みに行くであろう3人を見送った。

·····再び静かになったギルド内。

ギルドマスターは書類仕事を終えると、まだ机に顔を伏せている冒険者の男性に1枚の依頼書を持ってくる。


「何時まで寝こけてんだ糞ガキ。暇ならこの依頼行ってこい。」

「·····なんでだよ。」

「さっきの話、聞いてただろ?あの3人を瞬殺できるぐらいの実力の奴だ。お前でも骨が折れるかも知れねぇぜ?」


男性は嫌そうな顔をした。

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