殺せない屋(仮)

茶茶

プロローグ

「ただいま――おっ、いい匂い」

バイトが終わり、いつも通り帰宅すると家内に漂う香ばしい匂いが俺の鼻腔をくすぐった。

「あ、お帰りなさい! 待ってましたよ智久」

俺の姿を認識した玄関近くのキッチンに踏み台を用いて立っているJCの見た目をした女性は弾んだ声で迎える。

そして、匂いの正体はキッチンのガスコンロの上に乗った鍋に入っているものにあった。

「どうしたんだ? 急にカレーなんか作って」

普段はどちらも基本料理することはなく大抵はコンビニで済ますことが多いので、純粋に抱いた疑問をぶつける。

すると、JC――の見た目をした立派な大人の女性は腰に手を当て(控えめな)胸を張り、

「迦恋ちゃんもたまには料理してみようかと思って!!」

圧倒的ドヤ顔。

「……へー、そうなのかー」

圧倒的棒読みで返すと、自らを迦恋と呼んだ女性はやっちまったと言わんばかりに慌てふためく。

「い、いやあのですね? 智久はいつも栄養バランスの悪い食事をしているので、もしそれが原因で体調崩して死ぬなんてことがあったら殺し屋として切腹せざるを得なくなってしまうので、そうならないよう、私が! 丹精込めて! カレーを作りました!」

「おい、コンビニに置いてある食品は栄養バランスが悪いと勝手に決めつけるのは良くないと思うぞ。偏見にもほどがある。それに、ちゃんとバランス考えて買って食べてるから死ぬ心配はない」

早口で述べた迦恋のツッコミどころ満載の言い訳の中に聞き捨てならないことがあったので厳選して物申した。

「そ、そうですよね! 大丈夫ですよ、全部分かってましたから」

迦恋をジト目で凝視する。

「ど、どうしました……?」

さらにジト目で凝視する。

「い、いや、その……」

これでもかとジト目で凝視する。

迦恋は逃げるように視線を横に移動させ、

「あっ! もうすぐカレー出来上がるので奥で待っていてください!」

全身も横に移動し、鍋の中のカレーをおたまでぐるぐる回しだした。

これ以上は通用しなさそうだったので俺は言われた通り、奥の部屋で待つことにした。

向かう途中、迦恋がチラチラとこちらを見ていたのはバレバレだったが、あえてなにもアクションを起こさずに見過ごした。

数分後。

「お待たせしました!」

適当にダラダラ過ごしていたら、いつの間にかテーブルの上に二人分のカレーとガラスのコップに入ったお茶が用意されていた。

いつもの調子だったら迦恋のドジが発動し、運ぶ際に障害物は無いはずなのにつまずいて盛大にカレーをぶちまけて床を汚す流れなのに、やけに今日は何事もなくスムーズに進んでるな。

やはりこれは……。

頭の中で思考を巡らせながらカレーをじっくり観察する。

見た感じ何の変哲もない普通のカレーだが……。

その場に漂うカレーの独特な香りと温かな湯気が俺の腹を空かせにかかっている。

一応お茶の方も観察してみるが、こちらもパッと見普通のお茶。

迦恋の顔色を伺うと、なんだかとてもワクワクしているように見えた。

「一応聞くけど、迦恋って料理したことある?」

「ありますよ」

「ちなみにどういうの?」

「こう見えて学生の頃は家事を手伝っていたので、今日作ったカレーをメインに、味噌汁、チャーハン、オムライス、グラタン……その他もろもろです!」

「味のほどは……?」

「私が作ると毎回好評なので問題無しです!」

自信満々にそう言ってグッドサインをする迦恋。

曖昧な答えのせい……で完全には安心できないが、まあ良しとしよう。

目先にあるスプーンを手に持ち、恐る恐るカレーをすくおうとした刹那、持っていたスプーンが器用な手つきで迦恋に奪い取られ、

「せっかくなので、私があーんしてあげますよ」

男なら誰もが憧れる夢の展開突入台詞を口にした。

「お、お願いします……」

俺は、迦恋なりのご厚意に素直に甘えることにした。

ライスとカレーが均等になるようスプーンに乗せ、迦恋の手は俺の口元へと移動する。

「はい、あーんです」

固唾を呑み、口を大きく開けた。

徐々にスプーンが近づくにつれ、迦恋のワクワクな表情はより一層増している。

そんな俺の心境とは裏腹な顔が映っている光景を最後に、目を閉じて大人しくあーんを受け止めた。

モグモグモグモグ。ごっくん。

体を強張らせ、覚悟を決める。

……だが、数秒経っても何も起こる気配がない。

「あれ?」

ゆっくりと瞼を開けると、困惑という状態が俺と一致したであろう迦恋の戸惑い顔が視界に映った。

視線を合わせながらお互い無言で一分過ごしたが特に変化が起きる様子はなく、想定外の状況で最初に口を開いたのは、意図した結果にならずに困惑する迦恋の方だった。

「え? え? なんで? なんで死なないのですか!?」

「こっちの台詞なんだが……」

「だって私ちゃんとカレーに粉状の毒入れましたよ! それも結構大量に!」

「遅効性の毒だったりとか?」

「すぐに効き目が出るって言ってたのでそんなことは無いと思います!」

誰が言ってたのやら……。

迦恋の発言から察するにどうやら毒を入れたのはカレーだけのようだ。

迦恋が演技できないのは一緒に暮らしてるという理由から把握しているし、性格上、毒入り茶を飲ます予定だったのならわざわざ手間のかかるカレーを作るわけがない。

ならばどうして何も起こらないんだ?

探偵っぽく顎に手を添え考えてみるも、俺の推理力では答えにたどり着きそうにない。

それならば、考えるよりも行動するべし。

謎を解明する為に、

「念のため、もう一口いってみよう」

二口目になると、一口目よりかは緊張が緩和された感じはするのだが、決して緊張自体が消えたわけではない。

ので、

「もう一度あーん頼む!」

ひとつ屋根の下で一緒に暮らしているだけであって彼女でも何でもない女の人にあーんをお願いするのは、いくらJCだとしても相当恥ずい。

しかし、こんな変な状況下のみ謎に湧き出てくる勇気を振り絞って懇願した結果、二つ返事で無事了承をもらえ、カレーが再び口内へ運ばれた。

念入りに咀嚼していたまさにその瞬間、俺は味を楽しむ余裕がなかった一口目は気がつかなかったある異変に気がついた。

「なんか……妙に甘くない? このカレー」

今まで食べてきたカレーの中で断トツと言っていいほど甘味の主張が強く感じられた。

「そんなはずは……! 私が使用したルーは辛口! 甘いわけがないのです!」

迦恋は疑いながらも自分の分のカレーを口に入れた。

そして、

「ほ、ほんとに甘いです……! 一体どうして!?」

粉状の毒に、辛口なのに甘いカレー。

これらのキーワードから考えられる原因は一つしか思いつかなかった。

「もしかして……毒と砂糖、間違えたんじゃないのか?」

そうとしか思えない。他に何が思い当たる?

「そんな……っ! だってこの毒は裏社会の人間と高値で取引して手に入れた最高級の毒なんですよ!! これで殺せれば倍で帰ってくると思って手持ち少ないお金を払ったのに――それが砂糖だなんて!!」

「でも事実、俺は死んでいない」

「……確かに」

迦恋はがくりとうなだれた。

「騙されたな……」

砂糖なんだから確かにすぐに効き目は出るわな。

殺されそうになった側だが、さっきまで意気揚々としていたのがこんな短時間で憂鬱になる迦恋を目の当たりにするとマジで可哀そうに思えて慰めの言葉の一つでもかけてやりたいところだったが、雰囲気から触れない方がいいと察し、俺は迦恋が別の目的で作ってくれたカレーを黙々と食べ始める。

甘いが、食べれない程ではなかったので完食はなんとかいけそうだ。

四口目を平らげた時、顔を上げた迦恋もスプーンを持ち、勢いよくカレーを食べ始めた。

飲み物のように腹に流し込み、

「はやっ!!」

秒で食べ終わる。

本物の飲み物もがぶ飲みで飲み干し、口内が空になると迦恋は俺と目を合わせ、

「やけ食いしたら少しは気が紛れました。無駄なお金の消費はダメージが大きくとてもショックですが、これからも殺せるよう頑張りますので、なにとぞよろしくお願いします」

言い終わると同時に、迦恋は床に倒れた。

「おい、大丈夫か――」

心配して体を動かすが、迦恋が小さな寝息を立てて寝転がっている姿を見て留まる。

ベッドの上にあった毛布を迦恋にかけ、座って一息つき、

「まったくいつになったら俺を殺してくれるのやら」

思えば迦恋が俺の前に現れてから結構長い月日が経っている気がする。

だっているのが当たり前って思っちゃうんだよ? 普通に俺の日常に溶け込んでるんだよ?

最初に出会った時、「ああ、これでやっと死ねる」なんて思ってた俺が馬鹿みたいだ。

まさかこんな長い付き合いになってしまうとは、あの時の俺は想像もしてなかっただろうなぁ。……いや、少しはしてたな。

遠い目で過去を存分に懐かしんだ後、残ったカレーを食べ物のように腹に流し込み、飲み物も飲み物のようにがぶ飲みで飲み干し、分で完食した。

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