名前を変えること

萬 幸

名前を変えること

「大樹のようにどっしりと生きてほしい」


 それが私の名前に込められた意味だ。

 だが、それを私は裏切る予定でいる。

 明日、私は名前を変えるのだ。


 きっかけは五年前。

 私は大学を卒業した後、ちょっとした会社に勤めることになった。

 そこで出会った男性。

 一年先に入社していた先輩で、私の教育係を任せられた人だった。

 私が仕事でミスをした時も一緒に謝ってくれた。

 私がプレゼンで大成功した時も自分のことのように喜んでくれた。

 気付いたら、私は彼に惹かれていた。

 でも、臆病な私は先輩と後輩という普通の関係から、一歩先へ進むことが出来なかった。

 そんなこんなで、一年が過ぎて、先輩は教育係から外れた。

 それでも、私達は仕事の相談をし合う程度には関係性を保っていた。

 入社して二年が過ぎた頃。

 先輩の転勤が決まった。

 左遷というわけでなく、栄転という意味でだ。

 周りは彼を祝福した。

 それに対して、私は素直に祝えなくて。

 先輩はそんな私を気にかけてくれて。

 転勤してからも、私とメールで頻繁にやりとりをしてくれた。

 忙しいのに構ってくれることへの、少しの罪悪感と大きな喜びがあって。

 そんな風に過ごして、仕事も順調ななか、先輩が転勤してから一年ぐらい経った。

 唐突に、彼との連絡が取れなくなった。

 そのまま一週間が経っても連絡がなかったので、 私はいろんな伝手を頼って、彼を探した。

 先輩は交通事故にあって入院していた。

 それを知った私は仕事を早退すると急いで病院に向かった。

 病室で包帯を巻いた先輩は意外にもピンピンしていて、私は安堵したのを覚えている。


 電話が壊れてて連絡できなかった。ごめん。


 そう弁解する彼を、私は思わず笑ってしまった。


 本当ですよ。でも、無事で良かったです。


 私はそんな感じのことを言った気がする。

 その時の事は気持ちがフワフワしていたせいで、上手く思い出せないのだ。

 それから、私は先輩の病室になるべくお見舞いに行くようにした。

 彼は幼い頃に家族とは死別しているらしかった。

 それを知ってから、休みの日は毎回行くようにしていた。

 長い時間が経って。

 先輩が仕事に復帰できるぐらいになった時、私は彼から告白された。

 私はそれを快諾した。

 そこからは早くて。

 一年半も経てば、私たちは結婚を意識し始めて、気付いた時には婚姻届を貰いに行くまで関係は進んだ。

 あとは明日、役所に届けるだけ。

 おじいちゃんが継いで、その息子であるお父さんが継いで、一人娘である私が継いだ。

 代々受け継がれてきた、「大樹」の苗字。

 私はそれとは別の新しい苗字を背負う。

 旦那となる彼の苗字だ。

 その重さと、苗字が変わるという喪失感。

 おばあちゃんやお母さんの気持ちが分かった気がした。

 今まで育てて来てくれたみんなにありがとうという気持ち、名前を継ぐ人がいなくなることによる申し訳なさ、が同時に湧く。


 それでも私は———




 ———明日、結婚します。

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