第127話-3

 エヴァラント・ヨハネダルクは、おっとりとした…毒にも薬にもならなそうな男だった。

 ぼさぼさの黒髪に瓶底眼鏡のひょろりとした痩身。研究機関の端、狭い部屋に追いやられ、到底出世も望めなさそうな人物だと、正直侮った。


 真実を見抜くと言う『銀の眼』の持ち主。かつての『王の獣』。


 もしそれが真実であるならば、正面に座るユリウスの胸の内は、瓶底の奥の瞳に読まれていることだろう。



 構わなかった。



 例え何をどう晒されようと、ユリウスの望みは変わらない。



 変わらず、真っすぐと、ただ「ランの幸せ」のために。



 当たり障りない会話を交わし、表面上は好意的に、王弟殿下の婚約者殿の情報を聞き出そうとした。が、実際はさして面白い話も聞けずに終わった。

 エヴァラントという男は、始終おっとりと微笑み、そこに好意も敵意も見当たらない。分厚い眼鏡に遮られた奥の双眸が何を考えているのか、ユリウスが知る由もなかった。



 小一時間程話をした後、部屋を辞した。まぁ、初手はこんなものだろうと、張り付けていた笑みをそぎ落とした視線で宙を睨みつつ、廊下を歩く。

 その背中を、軽い声が呼んだ。



「ユリウス・ガラドリアル」



 聞き覚えのない響きに、一拍置いて振り返った。

 廊下の向こうに人影が二つ立っている。さらりとした黒髪に、空を思わせる薄い碧眼。眠たげな垂れ目の青年と、彼と同じ顔をした黒縁眼鏡の片割れ。

 白衣に身を包んだその双子に向けて、ユリウスはにっこりと笑みを作って見せた。



「何か? グリード兄弟」



 ガジャ・グリードとイラーレ・グリード…直接関わったことは無いものの、噂だけは聞き及んでいる。

 自由奔放で気まぐれ、と言えば聞こえはいいが、協調性もなく自分勝手で利己的、挙句すぐに暴力沙汰を起こすと有名な兄弟である。

 扱いに困った親が厄介払いと研究機関へ放り込んだという話だが、それがどうして先程エヴァラントの部屋にいたのかは知らない。そもそも、どういった関係なのか。少しばかり気になったが、優先順位としては随分下であったため口にはしなかった。

 加えて、彼ら自身が名乗らなかったことと、話に入ってこなかったことで、ユリウスは双子の存在を無視したのである。

 そんな彼らが、何用か、自分を追いかけてきた。

 さて、一体どう絡まれるのかと背筋を正した。まさか訳の分からない理由で突然殴りかかってくることは無いだろう。何せユリウスは、フロース五家の一つ、ガラドリアル家の人間なのだから。



(まぁ、そんな理屈が通じる相手かは知らないが)



 話を促すように小首を傾げてみると、眼鏡をかけた片割れが、歌うように口にした。「協力しよう」


と。

「僕らはエヴァラントを助けたい。君は王弟殿下を護りたい」


「全てを捨てる覚悟があるなら、力と知恵を貸してあげよう」



 にこにこと、邪気のない笑みで双子が告げる。まるで遊びに誘うように。

 口元に笑みを湛えたまま、目元の筋肉が強張った。

 何を言っているのか、と心が顔に出そうになるのを、必死で抑えつけた。

 けれど、上手くはいかなかったのだろう。もう一方が、囁くように付け加えた。



「大丈夫だよ」するりと傍に寄った男は、空色の瞳でユリウスの顔を覗き込んだ。



「僕らはエヴァの味方なだけ。そして君は、エヴァの敵ではないでしょ」


「…」


「君は王弟殿下の味方。でも、ガラドリアルの味方じゃない」



 もう一方、眼鏡をかけた青年もまたユリウスの側へ寄ると、耳元で言葉を紡いだ。眼鏡越しに、同じ碧眼でユリウスを見つめて。



「エヴァは妹を王弟殿下に預けたいと思っている。だから、彼にとって重要な王弟殿下を、僕らは決して無碍にはしない」



 楽し気に語る双子に、背筋を嫌な冷たさがなぞった。

 本能が、彼らを危険だと告げる。だというのに、甘言が沁みる毒のように、じわり心を絡めとった。

 彼らの言葉に根拠はない。信じるに足るものも。

 なのに、その双眸を見つめていると、まるでそれが名案であるかのように思えてならないのだ。



「…どう、やって」



 震える唇から何とか言葉を捻り出した。いつの間にか、顔からは笑みが消えうせていた。

 簡単だよ、と双子が言う。



「もう一度、王太子殿下に毒を含んで頂こう。それをエヴァがやったように見せかけるんだ」


「エヴァは君がどこかに隠してしまって。大丈夫、動けないようにしておくからね」


「エヴァがいなくなれば、妹ちゃんが動く。そうすれば、碧眼の王弟殿下も間違いなく動くだろう」



 左右から、こそこそと内緒話の如く二人が囁いた。子供が悪戯を考えるように、軽く、軽く。

 そんな、とユリウスが呟いた。「毒など、そう簡単にできるはずが」

 けれど双子はにっこりと、「大丈夫」と繰り返す。



「できるよ」


「僕ら、は」



 安心してと、甘い吐息が耳を擽った。



「君はエヴァを連れ去って、そして最期に全部ひっかぶってくれればいいだけだから」



 ユリウスは、瞠目した。

 何て、簡単な、言葉だろう。

 ふわふわと甘い、砂糖菓子のように、甘く軽く言い放つ。



 ―――人の、最期を、こんなにも。



「できない?」目を瞬かせ、双子の片割れが首を傾げて見せた。一瞬、甘い菓子の匂いが彼から香った気がした。



「けど、よく考えてみて。君の大好きな王弟殿下を王様にしないために、一番邪魔なのは誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸せの尺度は、人によって違う。




 きっと、ユリウスの尺度は、大多数のそれよりも歪んでいたのだろうと思う。




 それでも確かに幸せだった。




 ユリウス・ガラドリアルは、終わるその瞬間、確かに―――幸せだったのだ。

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