第127話-2

「ランティス殿下を、王としたい」



 その言葉に、珍しく鉄面皮の父の眉が動いた。

 顔には笑みを張り付け、ゆっくりと目を瞬かせる。そんなユリウスの内側を探るように、ガラドリアル家当主は訝し気な視線を息子へ向けた。

 冷ややかな眼差しに臆することなく、彼は続けた。「目が覚めた」と。

 一体どういった心境の変化かと問われた。当然の問答だと、惑うことなくユリウスは答える。



「僕は、王弟殿下を大切な友人だと思っています。だから、彼が幸せになることを望んでいる。けれど、彼の選んだ相手では、無理だ」


「…ほう」


「彼女では周りが誰も納得しない。結果は目に見えている」



 父の瞳はちらとも揺れず、そこに感情を読み取ることはできなかった。値踏みするようなそれに、口内で唾液が溜まる。今飲み込めば喉が鳴りそうで、やめた。

 一つ目を伏せ、ガラドリアル家当主は息を吐いた。



「まぁ、いいだろう」



 じじじ、と火が揺れる。

 卓上に広げた資料へ視線を戻し、さっさと作業へ戻った。無言のまま書類を片付けていく父の姿を見つめ、次の言葉を待つ。静かな中に響く紙を引っかくペン先の音が、ピリピリと肌を刺す気がした。



 そうしてしばらく間を置き、ふと、父親が口を開いた。



「殿下が傍に置いた娘の兄は、『王の獣』だ」



 顔を上げもせず告げる。

 一瞬、何の話か分からず、鼻から息を吸った。反応がないことに、ユリウスが思い当たらないと悟ったのだろう。同じ調子で、淡々と続けた。



「かつて、精霊王に仕えたとされる獣だ。『銀の眼』を持つ…精霊王の所有物だ」



 不意に、こめかみが傷んだ。

 同時に脳裏で怒鳴り声が響く―――「そのために男爵夫妻を殺したというのか」、と。

 長らく記憶の向こうに追いやっていた思い出だった。あの夜、言い争っていた父と叔父。かつてこの部屋で行われたやり取りを、確かにユリウスは聞いた。

 



 ―――ヨハネダルク男爵を巻き込むなんて…!

 



 ランティスの選んだ娘は、何という名だったか。

 



 ―――仕方がないだろう、『王の獣』を手に入れるためだったのだ

 



 今と変わらぬ感情の無い声で、父が言っていた。他の手はなかった、と。

 俄かに見開いた双眸の奥で、感情が揺さぶられるのがわかった。悟られぬように、そっと視線を伏せる。鼻から長く細い息を吐いた。



「あの娘は至極邪魔だが、兄は、手に入れておきたいものだ」



 利用価値があるだろうと、独りごちる。

 



 ―――大人しく王へ跪けば良いものの…どいつもこいつも、手向いおって

 



 かつての父が吐き捨てた言葉が蘇る。きっと今も、内心苛立っているに違いない。己の正しさを疑わぬ、その歪んだ清廉さで。

 睫毛を震わせ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。緑がかった碧眼を真っすぐに、逃げず、父へ向けた。



「僕が」と、口にする。



「獣と、交渉しましょう」



 相変わらず顔を上げぬままの相手へ、できる限り声を押さえて続けた。気を抜けば声が震える。そうならぬよう、腹の底に力を込めた。



「先日の夜会で、僕は件の令嬢と挨拶を交わしています。まだ、立ち位置としては王弟殿下の友人のはず。その立場から兄である『王の獣』へ接触すれば、そう不信感も持たれないでしょう」


「…なるほど」



 コトリ、とペンを置いたガラドリアル家当主は、改めて息子へ視線を向けた。先程よりも興味深そうに、まじまじと青年の姿を見やる。

 なるほど、ともう一度呟いた。



「『銀の眼』は、真実を見抜くと言う。お前の内心を悟られぬ算段はあるのか」


「別に、彼や妹を害そうと言う意を持って接するわけじゃありません。あくまで僕は、ランティス殿下にとって、最善であるようにと行動するだけです」



 にこり、と口端を持ち上げ、笑うように顔を歪めた息子に、父親はそれ以上何の言葉もかけることはなかった。

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