第127話

 世界が何事もなかったようなふりをするから、ユリウスもまた、何事もない顔をして日常へ戻った。

 ランティスも、アンリも、父も、ガラドリアル家も、全く何も変わらぬ様子で、日々を過ごす。まるでそ知らぬふりができなくなれば負け、とでも言うように。



 それを歪だと感じても、正せるほどの何かをユリウスは持っていなかった。長いものに巻かれるように、少しも変わらぬように、口を三日月ににんまり笑い、実のない言葉を紡ぎながら、世界が霞むように目を細めて息をした。



 歪み切った世界で、大切なことは多くない。



 腕に抱えられるだけの宝物を護る為に、ユリウスは適度な賢さで笑い続ける必要があったのだ。



 けれど、時が進み、成長するにつれて、周りはそれだけで満足を成さなくなっていった。

 赤髪の印象的な灰青の王弟殿下は、そこに立つだけで人の眼を奪う。人を惹きつけるくせに上手にあしらう男は、一見、器用に人の上に立つことができるように見えた。

 だから、莫迦な夢を見る輩が湧くのだ。

 じっとりと蜘蛛の意図で絡め取る様に、陰湿な策を巡らせる妄信者たち…その際たるものが己の一族であったが、ユリウスにできることは少なかった。精々ランティスへすり寄ろうとする者どもを、そっと押し戻す程度だ。


 そうして誤魔化して、誤魔化して…起こった何度目かの王太子毒殺事件。


 事は公にはならなかった。下手に犯人探しなぞ大事にすれば、途端、灰青の瞳に縋る莫迦が騒ぎ立て、王弟兄弟の望まぬ結果になることは明白だったからだ。

 けれど、それと怒りは別物である。最愛の兄への無礼に、ランティスは静かに怒り募らせていた。ひやりと冷えた炎が、彼の中で渦巻いているのをユリウスは感じた。硝子玉のような灰青の双眸から感情が消えていく。ぞわり、と背筋が凍った。


 直感的に思った。良くないことになる、と。


 沈黙を守る相手に勢いづいた回帰主義者は、予想よりも随分莫迦なのだ、と。



 全ては友のために動かなければ、と、ユリウスは避け続けた一族当主の元へ向かった。護る為に、嫌悪感を押し込めて、父を問い詰めた。一族を、同胞を、何故勝手にさせるのか、と。

 淡い燭台の灯りしかない書斎で、凍えた視線をガラドリアル家当主は息子へ向けた。じじじ、と鳴く蝋燭の光の中、緑がかった碧眼は、まるで感情もなくじいとユリウスを見つめた。

 そして、一言。



「そろそろ、本家嫡男として自覚を持て」



 抑揚もなく放られた言葉に、彼は眉を顰めた。



「既に手は打ってある。あの方が王太子に昇られる日も近い」



 それはゾッとする程、温度のない声、だった。













 何となく一族の動向へ気を付けつつ、ランティスの館で働くマリーウェザーと連絡を取り始めた。

 時間をかけ、年相応の明るさを取り戻した従兄弟は、相変わらず実名は明かさず母親譲りの髪を太く編んで、メイドのお仕着せで細々と働いている。ひょろりと痩せているせいか、髪型のせいか、上背がある割に女に見えるから不思議だと思う。

 それまで、できる限り彼との接触を避けてきたユリウスだったが、ランティス側の状況を得るために協力を仰いだ。

 二つ返事で是と答えたマリーウェザーに、少々不思議に思ったが、彼は肩を竦め「あんたは多分、旦那様の害になることは、しないだろ」とだけ言った。



 そんな矢先、突如、ランティスが婚約者を担ぎ出した。



 何の後ろ盾もない男爵家の娘。社交界にも出たことのないという貧乏貴族だと聞き、これまた頭を抱えてしまった。

 一体、どういうつもりなのか、と。

 同じく慌てた一族の者が、大慌てでユリウスに探りを入れてきて、これらをさばくのにも骨が折れた。何せ、ユリウス自身、何も知らないのだから。

 マリーウェザーに探りを入れれば、ランティスが一方的に熱を上げている様子だと言う。



(ランが? 熱を上げてる?)



 俄かに信じられない話である。

 赤髪で自信家の友は、己の置かれた立場は重々承知していた。自身が望まぬ道へ進まぬよう、誰の弱みにもならぬよう、どれ程女性から言い寄られようが、決して一線を越えなかった。そのための相手は、念入りに選び取って遊ぶことを心得ていた。

 だというのに。

 何か裏があるに違いない。

 ランティスが利用しているのか、それとも利用されているのか。

 どちらにせよ、そこに心が存在しているなど、露とも思いはしなかったのだ。



 けれど。



「離して下さいませ」



 初対面のユリウスへ挨拶するために身を離そうとした婚約者殿を、腕の内から出すことを渋った赤髪の王弟殿下。とろりと蕩けるような笑みを向けていた。

 別段、綺麗な少女ではなかった。色気もない。並みの令嬢が上手に着飾って、綺麗な並みになった程度だと、そう見えた。


 そして彼女は、別段ランティスに夢中にも見えず。


 顔に張り付けた作り笑いで取り繕っているけれど、赤みがかった猫目は、大よそ彼に恋をしているとは思えなかった。


 それでもランティスは、甘い声で、彼女を呼んで。


 遙か昔の初恋を思い出した。もう二度と会うことはないであろう、彼女との記憶を。


 恋をしているのだ、と、ふっと胸が温かくなった。


 こんな毒にまみれた世界で、ユリウスの大事な友人は、恋しい人を見つけたのだ、と。


 まるで柔く甘い菓子が口内でしゅわりと溶けて消えるように、幸せな気持ちになった。




 直後、襲撃事件が起こる。

 間違いなく一族の仕業だった。即刻ガラドリアルを切り捨てるようにユリウスは告げたが、ランティスは頷かない。ガラドリアルは大家で、簡単に切って終れる家ではないと、苦い口調で顔を背けた。


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