第126話
ユリウス・ガラドリアルがランティスの屋敷を訪れたのは、それから暫くしてのことだった。
供も連れず、単身屋敷の扉を叩いた青年は、通された応接室で腰も下ろさず屋敷の主人を待っていた。勿論、出された紅茶に手も付けずに。
老年の執事を連れ部屋に足を踏み入れた王弟殿下は、佇む友人を見やると、控えた執事へ視線を送る。心得た様子で部屋を辞した使用人が閉めた扉は軋みもしなかった。
ユリウスの脇を滑り抜け、どかりとソファに腰を下ろす。赤い前髪を無造作にかき上げると、灰青の双眸を相手へ向けた。
「どうするか、決めたか」
ぶっきらぼうな問いかけに、たれ目が柔く笑んだ。
執事はすぐに戻ってきた。二度、扉を叩いた後、黒いお仕着せが室内へ滑り込んで来る。その後ろには、同じく黒を基調としたメイド服の、子供。
たっぷりとしたストロベリーブロンドを太い三つ編みでまとめた姿に、僅かにユリウスの表情が強張った。が、すぐに何でもない振りを装って、一つ、目を瞬かせた。
主であるランティスが軽く手を振ると、一礼し、老年の執事は退席する。残されたのは、屋敷の主と、客と、メイドだけだ。
ちらとユリウスがランティスへ視線を向けると、彼は面倒くさそうにソファで頬杖をついている。何もない宙を睨めつけ、まるで自分は外野だという態度だ。
それが彼の優しさだと、ユリウスは知っていた。
一つ息を吐く。
それから、相手へ向き直った。
黒いお仕着せの子供…従兄弟に当たる幼い少年は、相も変わらず無表情で、何の心も浮かばない瞳をユリウスへ向けた。ヘーゼルグリーンの双眸は澄んで見えた。同時に、濁っても思えた。
痩せた頬に浮かぶそばかす。きゅっと引き結ばれた唇は薄い。
彼へ視線を向けたまま「なぁ、ラン」と友を呼んだ。
「我侭を聞いてくれるか」
苦い笑みを浮かべ呟くと、一言「貸しだ」とぶっきらぼうな返事があった。
ユリウスは、この従兄弟を…マリーウェザーと呼ばれる少年を、引き取らないことに決めた。
マリーウェザーは彼自身の名ではないと言う。聞けば、母親の名前らしい。彼は本名を頑なに口にせず、女の服装を望み続けた。そこにどんな理由があるのか、ユリウスは知らない。
ランティスは左程興味も無い様子だ。だから、ユリウスも、考えるのをやめた。
「君を、ガラドリアル家には、入れない」
淡々と、できる限り感情を廃して告げる。彼は微動だにせず、黙ったままそこに立っていた。聞いているのか、聞こえているのか、それすら定かではなかった。
構わず続けた。
「君は、俺の叔父の子供で、ガラドリアル家当主弟の息子だ。どうしたって、その身体にはガラドリアルの血が流れている。それは、変えようのない事実だ」
それは、両の瞳が物語っている。
印象的なヘーゼルグリーンの輝き。緑がかった碧眼は、フロース五家であるガラドリアル家特有のものだと、見るものが見ればすぐにわかる。
「それは君を縛りもするし、いつか助けてくれるかもしれない」と、皮肉めいた笑みを口元に、ユリウスは軽く小首を傾げた。
「王弟であり、かの瞳を持つ御方の館にいる、ということが、君の強みになる可能性は高い」
ユリウス自身、ランティスの友という立場で、護れたものがあったように。
「俺たちは、否応なしに利用される存在だ。だから、利用することも覚えろ。君が君として生きるために、利用されることすら、選べるように」
子供の瞳は、ちらとも揺れなかった。凪いだ心に言葉が届いたのかもわからない。
それでもふわり微笑んで、ユリウスは告げる。
「生きていくのは、幸せと不幸せの繰り返しだ…誰であっても」
少年の瞳を覗き込んだ。彼は一つ瞬くと、ゆっくりと頷いて見せた。
それが何を表す動きだったのか確かめず、ユリウスは、たっぷりとしたストロベリーブロンドを撫ぜた。
「幸せの尺度は人によって違うことを、覚えておいて」
そっと零した呟きは、果たして誰のためだったのだろうか。
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