第125話
屋敷はいつも通りだった。
叔父が死んで、半月たった。
何も変わらなかった。
そ知らぬ空気で、まるで初めから何もなかったかのように、依然屋敷は日常を繰り返している。
もしかしたら、狂った叔父は塔になどいなかったのかもしれない。あれは、悪い夢で。
そもそも叔父は狂ってなどいなかった。ストロベリーブロンドの女性と手を取って屋敷を飛び出した後、どこか遠く、ユリウスの知らない土地で幸せに暮らしている。子供も生まれたはずだ。父親に似た瞳と、母親譲りの髪をした男の子。顔にはきっと、笑顔が浮かんで。
日中にそんな夢を思い描く。
そうして夜半、うつ伏せたまま動かなくなった叔父の夢を見るのだ。悪夢は悪夢のまま、溶けも消えもせず、ユリウスの心にこびりついていた。
叔父の息子で、自分の従兄弟である子供について、思いだしたり、忘れたりした。意図したわけではない。後々考えれば、この時の自分は、随分心がすり減っていたのだとユリウスは思う。思いだせばどうにかしなければと考えるのに、瞬き一つ後にそのことすら記憶の中から消えてしまうのだ。そうして、彼もまた叔父夫婦と共にどこかで幸せに笑っているなんて、願ったりして。
ランティスは何も言ってこなかった。アンリも同じく。
何事もなかったかのように振る舞うユリウスに、怪訝な表情一つ向けず、いつも通りに接した二人。彼らがガラドリアル家の内情に気付いていたかどうかすら、ユリウスにとってどうでもよく思えた。
それ程までに、自分を護るのに必死だった。
このまま何もなかった顔をして過ごそうか。
そうして時間が経てば、心も風化して、そして終わってくれるのではないか。
きっと、忘れる。
きっと、忘れられる。
思っている以上にユリウスは自分自身が大事で、弱い。今、己が抱えていることを全て昇華して前に進める強さなど持ち合わせていない。
(そうだ)
忘れるのがいい。
無かったことにするのが、一番良い。
思わず笑むように、顔が歪んだ。目頭が熱くなり、視界が僅かに揺れた。
直後、子供の顔が脳裏を過る。
表情のない子供が、俯せに首を吊る映像が浮かび、ぞっとした。
―――何も知らないふり何て、今更できない。
それはとても恐ろしいことに思え、同時にそれをしてしまえばきっと、自分は父親と同じモノになるのだろうと漠然と感じた。
その日は小雨が降っていた。しとしと、しくしく、と空が泣いているかのような陰鬱な天気だった。
気付けばいつもの場所で、いつものように蹲っていたユリウス。どこをどのように歩いてきたのかすら、定かではない。
濡れた青葉が、明るい色の髪に触れる。しっとりと冷えてゆく身体は、ゆるやかにユリウスの命を吸い上げていくように感じた。
だというのに、やけに空気が、優しくて。
膝を抱えて頭を埋めた。きつく瞑った瞼の裏に、あの日の青空と、叔父の黒い身体が映る。頭が痛い。
どうして、こんなことになったのだろうか。
どうして、あんな風に終わってしまったのか。
それが、叔父の望みだったのか。
涎を垂らしながら、獣の如く喚きたてる姿を思い出す。ヘーゼルグリーンの焦点は合わず、汚れた姿は大よそ人の尊厳を保っているとは見えなかった。
彼が、ただ生かされているだけだったのならば…あれで、良かったのかもしれない。
自分本位な甘い考えに、じわり、瞼が濡れた。
(良かったか、なんて)
そんな、こと。
じゃりり、と濡れた土を踏む音が響く。
緩慢な動作で顔を上げると、緑がかった青い双眸に、二つの影が映り込んだ。
燃えるような、印象的な赤髪。心底腹立たし気な表情に顔を歪め、灰青の瞳でユリウスを睨みつけていた。
その隣には、緩いくせ毛に菫の瞳。こちらは、哀し気な微笑みを向ける。
ぼんやりと顔を上げたユリウスは、ただぼんやりと二人を見やり、ぼんやりと何も言わなかった。
その様子に、王弟殿下は髪を逆立てそうに荒く息を吸い込み、そして、苦々し気に低く呟いた。
「お前は、何もかも、抱え過ぎだ」
向けられた言葉の意味は、結局、ユリウスには理解できなかった。
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