第116話

「下がれ」



 低く命じる声に、執事は一礼を残し退室する。

 扉が閉まる音を確認し、重い足を引きずる様にしてランティスはベッドへ倒れ込んだ。

 身体が重くて堪らない。足先から上へ上へとまとわりつく疲労感は、水気の多い泥のようで、酷く不快だった。

 すべきことは、全て終わった。

 思い通りに事が運んだばかりではなかった。他と天秤にかけ、要望を退けたものもある。それでも、大筋は「願った」通りに始末がついた。


 後は、「これでよかった」と、全てを飲み込むだけ。


 口の中が苦く、酸っぱさを感じた。さっさと眠ってしまいたかったが、疲労感が強すぎて、頭が眠ることを拒否する。だというのに、生欠伸ばかりが出た。

 眉間に皺を寄せつつ、きつく眼を閉じた。ごろりと横を向くと、息を吐く。

 脳裏に婚約者殿の姿が過った。一昨日の夜、無作法に部屋を訪ねた際の、夜着姿。

 事の中核にありながら、始終、他人事のような顔でランティスの話に耳を傾けていた。決して彼女が薄情なわけではなく、ルーヴァベルトは自身の中の軸によって、事の顛末を飲み込んだだけだとわかっている。

 一見、感情の起伏が乏しく思えるルーヴァベルトが、その実、激しい心を隠していることは知っているし、それを表に出すのが苦手な不器用さも愛しい。全てさらけ出し、自分へ甘えてくれればと願う、けれど。



 ―――今は、表へ浮かぶ淡白さが、少しばかり苦く感じられた。



 疲れと寝不足のせいだと、心の内で言い聞かせた。時間が経てば、きっと落ち着くはずだから、と。

 腹の底に溜まった澱を流すように、重い深呼吸をした。

 その時。

 バンッと大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。突然の物音に、反射的にランティスは飛び起きた。



「なんッ…!」



 さっと向けた視線が、早足に部屋に入ってきた黒髪の少女を捕える。相変わらずの無表情を顔に貼りつけたまま、王弟殿下の婚約者殿は、つかつかとベッドへと近づいてきた。



「ルーヴァベルト?」



 驚きと、先程まで内に渦巻いていた感情を隠すように、曖昧な笑みを顔へ浮かべた。

 が、彼女は気に留める様子もなく、徐にランティスの胸倉を掴む。

「は?」と思った瞬間、横倒しにベッドへと押しつけられた。首が締まり、ぐえと潰れた音が喉から漏れる。

 背中を手で押さえつけ、肩を臀部で押さえつける様にランティスへ跨った。丁度ルーヴァベルトがランティスと逆のむきになる形だ。太腿で男の腕を押さえつけると、何処から取り出したのか、縄で手首を縛り上げる。そのまま身体をずらして足の方へ移動すると、今度は太腿と足首を同様に縛り上げた。やけに手慣れており、あっという間にランティスの自由は拘束されてしまった。

 灰青の双眸をぱちくりとさせつつ、唖然としたまま転がされたランティスの耳に、がちゃりと錠が落ちる音が届いた。

 顔を捻って出入口を見やれば、ひょろりとしたボサボサ頭の男が、いそいそとこちらに歩いてくるのが見える。



「エヴァラント…」



 呟き、眼を見開いた。



「ちょ、ちょっと待て…何でお前、今、鍵閉めた…?」



 すると、朗らかな笑みを浮かべ、エヴァラントが返す。



「誰も入ってこれなくするためだよ」


「待て待て待て! 何するつもりだお前ら!」



 ぞわりと嫌なものを感じ、全力でランティスが暴れ出す。しかし、未だ腰の上に跨ったままのルーヴァベルトががっちりと押さえつけており、逃げ出すことは叶わなかった。

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