第115話

 さて寝よう、と布団に潜り込んだ直後だった。

 肌触りの良いシーツの上に横になったルーヴァベルトが欠伸をかみ殺すことなく大口を開けたところで、寝室と自室を繋ぐ扉が乱暴に開かれた。



「お待ちくださいませ!」



 焦った様子のミモザの声が響く。驚いて飛び起きたルーヴァベルトは、大股に部屋を横切る侵入者の姿を見つけ、露骨に眉を顰めた。



「こんな時間に部屋に押し入るなど…」


「俺達は婚約している。邪魔だ、下がれ」



 憮然とした表情で、追い払うようにランティスが手を振る。

 しかしミモザは従わず、珍しく表情を露わに声を荒げた。



「いいえ、旦那様! いくら婚約中とはいえ、未婚女性の寝室で二人きりにするなど致しかねます」


「うるさい。俺が下がれと命じたのだ」


「恐れながら申し上げます。今、旦那様は酷い顔色でいらっしゃいます。とても正常な判断を下せるとは思えません」



 腹の前で手を握るメイドは、しゃんと背筋を伸ばし、主を睨めつけた。従順だと思っていたメイドが牙を剥いたことに軽く目を瞠ったランティスだったが、すぐに面倒くさそうに手を振る。



「わかったわかった。俺が悪かった。本当に話をするだけだから、部屋の外で待ってろ。扉に貼りついてりゃ、俺が何かしたらすぐにわかるだろ?」


「ですが」


「二度は言わん。それに、これは素直にどうこうされるような女じゃない」



 有無を言わさぬ灰青の視線に、ぐっとミモザが息を飲む。悔しげに唇を噛むと、一礼し部屋の外へ下がった。

 扉が閉まる音を確認し、ランティスが息を吐く。揺らぐような動きでベッドの端へ腰を降ろすと、前屈みに前髪をかきあげた。

 渦中にありながら全くの蚊帳の外であったルーヴァベルトは、じいとランティスを見つめた後、無表情に尋ねた。



「本当にどうこうするつもりはないんですか」


「…されたいのか」


「いえ、それなら殴り倒す体勢をとろうかと思いまして」



 剣呑な視線を向けた赤髪の王弟殿下へ、しれっと返す。感情の機微が浮かびづらいその瞳では、彼女がどういうつもりで口にしたのか判断がつかない。正直、今は真意を読み取ろうとする行為すら、面倒でもあった。

 深く重い息を吐き、ランティスが頭を振った。その顔には疲労が色濃く刻まれている。

 五日前、マリシュカと話した事を思い出し、ルーヴァベルトは双眸を細めた。

 苦しいのは。

 痛いのは。

 傷を負ったの、は。

 胸の内に浮かぶ言葉を飲み込んで、目を伏せた。ベッドに座り込む男の姿は酷く疲れており、見ていると心に針が刺したように痛む。

 そうして訪れた沈黙を破ったのは、小さな、小さな呟きだった。



「自害、ということで、カタがついた」



 低く沈んだ声に、ルーヴァベルトは視線を彼へ向けた。赤髪の頭は項垂れたまま、少しばかりの自嘲を含んで、淡々と続ける。

 最近思い悩むことが多かったユリウス・ガラドリアルは、敬愛する叔父が発狂死した現場で同じように命を絶った。そして、自害する旨を綴った手紙が友人である第三王子の元へ届けられ、急いで駆け付けた時には既に事切れていた、という話で収まったという。

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