第114話-2
齧ったマドレーヌを片手に、ルーヴァベルトは露骨に眉を顰めた。
「…理不尽な」
「ええ。ですが、ルーヴァベルト様をお守するためには、これが最良であったとは思います」
「そうなのですか?」
「社交に慣れてらっしゃらないルーヴァベルト様が出ていけば、殿下が丸く収めようとされていることが、丸く収まらない可能性がありますもの」
その言葉に、なるほどと首肯する。
頭を使うやり取りで、上手に立ち回れる自信は、どちらかといえば無い。それを思えば、軟禁状態も仕方ないのかもしれない。嫌だけれども。
素直に頷いた相手にほっとした様子で、マリシュカが続ける。
「現在、ガラドリアル家当主は沈黙を貫いておりますわ」
王弟殿下の婚約者殿及びその兄を拐かした後、塔へ軟禁したガラドリエル家嫡男のユリウス。婚約者殿の姿が見えないと王弟殿下から連絡を受けた直属の軍団員が救出に向かい、塔へ駆けつけた時にはユリウスは自害していた…らしい。
説明しつつ、ちらとマリシュカはルーヴァベルトを伺う。彼女は無表情に、じっと卓上を見つめていた。どう感じているのか、マリシュカには窺い知れない。
「ご子息の死と共に、ガラドリアル家には王太子毒殺と、王弟殿下の婚約者暗殺の容疑がかけられました。これまでに殿下やお兄様が集めてらした証拠に加え、先日の夜会で捕えた暴漢もおりますもの。恐らく、厳しい沙汰が下るのではないかと思われますわ」
連日ヘロヘロになって帰宅するアンリを思い出し、知らず表情が硬くなってしまう。ランティスも同じ状態らしいが、早く決着がつかなければ身体を壊してしまうのではないかと、心配でもあった。
言葉をきり、息を吐いた。
「…私が把握している状況は、以上です」
「ありがとうございます」
ゆっくりとルーヴァベルトが頷いた。赤茶の猫目が真っ直ぐにマリシュカを見つめる。硝子玉のように澄んだそれは、迷いも惑いもなく、ただ向けられた言葉を受け入れているように見えた。
そこに安堵すらないことを、マリシュカは不思議に思う。
「ルーヴァベルト様」と呼んだ。
「一つ、窺っても宜しいでしょうか」
「何でしょう」
「…貴女を害した方々が廃されようとしていることは、あまり、嬉しく思われないのですか」
マリシュカが知っているだけでも二度、ルーヴァベルトは彼らの手の者に襲われている。そして、酷い怪我を負った。
だというのに、安堵の一つもないのは、何故。
怪訝な視線を向ける相手にルーヴァベルトは眼を見開き、考える様に右へ傾げ、左へ傾げ、上を見やり、それから息を吐いた。
「一連の騒ぎで私が負ったのは、身体的な怪我だけ、です」
それは表面の傷。
いくら血が流れ、痛かろうと、目に見える傷は、時間と共に必ず癒える。
「ですから、私は別に、彼らに対し思うことは多くありません」
「そんな…!」
「今回の事で痛かったのは、私ではありませんわ、マリシュカ様」
真っ直ぐに見つめる赤茶の双眸が、僅かに揺れる。
何を、と口にしようとしたマリシュカは、言外に隠された言葉に気付き、はっと眼を見開いた。
「私じゃないのです」
そっと視線を伏せ、ルーヴァベルトが繰り返す。そこに苦い笑みを浮かべた。
マリシュカは顔を歪め、視線を逸らす。真っ先に脳裏に浮かんだのは、兄の姿。張り詰めた表情で、疲れ切った身体を、それでも始末のため向かう背中。
アンリは一体、何の為に、誰の為に、どうして、動いているのか。
くっと唇を噛んだ。
苦しいのは。
痛いのは。
傷を負ったの、は。
「私じゃ、ないんです。マリシュカ様」
ルーヴァベルトの声は静かに、けれどやけに大きく、室内で響いた。
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